World.2 誰も俺を覚えていない
1
「さあ着いたぜ。俺らの町だ。秘密基地っていう方が俺好みだがな」
無人の道路の一画で、ようやくアシュランが車を止めた。
……走ってきた時間は三十分くらいか?
……第九
そびえたつ十階建てのツインタワー。窓ガラスが割れ砕けているものの、このビルの形状は見覚えがある。
「第十
ウルザ
遊歩道と並木道に彩られた緑豊かな場所だったはず。
それがどうだ、このビルが原形を
「お? このビル知ってんのか?」
「つくづく不思議よね。アンタ、この近くで暮らしてたんだ?」
車から降りるサキとアシュラン。
「……ああ」
カイは第八
「まあ落ちつけよ。さっき悪魔に
「そそ。アタシらのことも詳しかったし。ただ、その服と銃……あんま見慣れないけど」
二人が見つめるのはカイの服装と
人類
……いや、基調になってるデザインは同じ?
……細部が違うだけだ。でも左胸についてる紋章が、俺と違う。
カイの紋章は人類庇護庁のもの。
だが二人の胸についてる紋章は、明らかに別物。
「ん? 俺らウルザ
「
「あー……これ、混乱状態とかじゃなくて一時的な記憶喪失の線もありそう。
声を上げるアシュランの隣で、サキが大きく肩を落とした。
「とにかく入りましょ。外でうろついてたら悪魔の巡回に見つかっちゃうし。アタシらは地下に用があるの。この駅ビルの地下にね」
先導するアシュランと、カイの隣を歩くサキ。
ビルの扉はおそらく爆発の衝撃で吹き飛んだのだろう。
「地下の
「見りゃわかるだろ。電気が通ってると思うか?」
薄暗くなっていく通路をアシュランが
「あのさ。頼みがあるんだけど……」
こくんと息を
「俺が記憶喪失の
悪魔は言っていた。
──
カイの覚えている世界とまるで状況が違う。
「見てのとおりだ」
地下へと続く薄暗い階段を歩きながら。
アシュランが、見るも
「この世界には人間の天敵の種族がわんさかいる。特にヤバイのが四つ。悪魔族、幻獣族、蛮神族それに聖霊族。
「……人間が負けたって。そんな」
人間が大戦に勝利したという記憶──ソレと逆の結果ではないか。
悪い夢だと思いたい。ジャンヌと買い物をしていた時のあの現象前後で、いったい何があったというのか。
「…………続けてくれ。それで人間はどうなったんだ。無事なのか?」
「逃げ隠れてるわ。ギリギリでね」
あとの言葉を
「四種族が世界大陸を支配してて、今も世界中で
階段の終わりをサキが
静まりかえった地下三階──ぱっ、とカイの
「
天井から
……そうか。悪魔に地上を支配されたから。
……人間は地下に逃げたのか!
巨大地下街を利用した人間の都。
商店と住居、それにホテルや飲食店まで。親子連れがカイの目の前を歩いていくなか、視界の奥では銃を
何もかもが
ここには、人間の都市が姿を変えながら確かに存在していた。
「ようこそ
ヴィシャールは元々この第十
その地上部分を悪魔に奪われてしまったならば、新しいヴィシャールを造ってしまえ。そんな意味合いなのだろう。
「悪魔どもは、
「……すごい。こんなに発展してるんだな」
悪魔から
だがここには人間の暮らしの活気がある。賑やかで力強い。
「食料は?」
「もちろんここで生産だ。走らない電車のための路線を残したって仕方ねぇし、地下鉄の軌道を取っ払って、二本のレールを引っこ抜いて
「悪魔に壊されないのか?」
「廃ビルの屋上までわざわざ偵察にくる悪魔なんていねぇよ。いたとしても連中には太陽光発電なんて理解できやしねぇ。発電装置も
電気を
四種族に支配されながらも、人間はこうして生きながらえているわけだ。
「サキとアシュランもここで暮らしてるんだ?」
「一年くらいここにいるかもね。アタシら
サキが自分の腰に手で触れる。
大型の自動拳銃。サキのような小柄な少女が扱うには本来あまりに大きすぎる大口径の拳銃がそこに収まっていた。
「悪魔からウルザ
「────あのさ」
意を決し、カイは二人へと向きなおった。
人間が五種族大戦に負けた。そう聞いて思い浮かんだ疑問がある。
「これは……二人を馬鹿にしたような質問に聞こえるかもしれないけど、俺は本当に何もわかってなくて聞きたいことがあるんだ」
黙って先を
その二人へ。
「どうして人間は大戦で負けたんだ?」
「…………はい?」
「…………どうして。って」
二人が固まった。
魂が抜けたような
「だって……勝てるわけないじゃん」
おずおずと口を開いたのはサキだった。
「幻獣族のドラゴンはナイフも機関銃も
「それは四英雄?
「なんだ、カイも知ってるんじゃない」
そう言った後に、彼女がじっとこちらを見つめてきた。
「そこまで知ってて、カイはどうして人間が勝てると思ったわけ?」
「……いや根拠なんてないんだ。俺、本当に疑問に思っただけだから」
サキに真顔で答える。
「悪魔も他の三種族も、ぜんぶシドが倒したんじゃないのか? それで墓所に閉じこめたはずだって思ったから聞いたんだ」
「シド?」
「誰だそいつ」
「……待ってくれ二人とも。預言者シドは、さすがに知ってるだろ……」
四種族を倒したとされる人間の英雄だ。
つい数日前も、カイは二人とシドについて話していたはずなのに。
「シドって名前だけならまだしも……ねえアシュラン知ってる?」
「預言者って言われてもな。悪魔を倒した? そんな奴がいたら俺らはこんな地下でこそこそ暮らしてねぇよ」
サキとアシュランが顔を見合わせる。
その仕草は、彼の存在そのものを二人が認識していないことを告げていた。
……知らないんじゃなくて。
……そもそも預言者シドが存在しないことになってる!?
徐々に、ごく
カイの記憶と、今ここで聞く世界の
「俺の記憶じゃ人間の英雄がいたはずなんだ。預言者シドが四種族の英雄を倒したから、人間は大戦に勝利した。って……」
ならば。
もしも歴史上に預言者シドがいない世界があったとしたら?
四英雄に立ち向かえる者がいない。だから人間は敗北した。あたかも、そんな
……あの時で間違いないはずなんだ。
……ジャンヌと買い物に行ってた時に見た、あの現象から、何かがズレた。
天にできた黒点にすべてが吸いこまれていった。
雲も地面もビルも人も、ジャンヌさえも。自分一人が取り残されて。気づけば世界そのものの歴史が一変していた。
と。
「あれ? ねねアシュラン」
「おう。本隊の登場か。予定より一時間早かったな」
通りを歩く民衆が一斉に足を止め、向こう側へと
「俺やサキはここの
地上を取り戻す希望。
しかし
「ずいぶん人気があるみたいだけど?」
「そりゃ
甲高い喝采は、街の女性たちのものだろう。
それを耳にしたアシュランがやれやれと肩をすくめてみせた。
「人気があるのは本隊じゃなくて指揮官な。俺らの一番偉い上司だよ。若くて優秀、しかも見た目も大人気だからな」
「──霊光の騎士」
ぽつりとサキがそう口にした。
「悪魔の支配からウルザ連邦を解放する希望の
人集りが近づいてくる。
「その指導者ってのは?」
「ほら人集りの真ん中の男性。一人だけ騎士っぽい
一息ついて。サキが、ほぅっと憧れ混じりの口調で言葉を続けた。
「ホント格好いいよねジャンヌ様。男なのにそこらへんの女子より
「…………サキ、今なんて?」
聞き違いだろうか。
隣に立つ少女が口にした名前は──
「ジャンヌ様!」
「お待ちしておりました。本地区、異常ありません。引き続き警備に全力をつくします!」
サキとアシュランが姿勢を正して敬礼。
多くの民衆に囲まれた、騎士の
「ご苦労。
それは、重量感のある鎧をまとった麗しい横顔の青年だった。
おそらくはカイと同年代だろう。
それはカイにとって──
……肌全体に日焼けの化粧をして、顔も男っぽく仕上げてる。
……鎧を着てるのは、線の細い体型を隠すためじゃないのか?
声も、喉から無理やりに出しているように聞こえる。そして
それは、子供の頃、カイの前でジャンヌがしていた髪の結び方だった。
お
「ジャンヌ?」
「────」
振りかえる銀髪の騎士。サキとアシュランに
「おや、そちらは? 見慣れない顔だが」
「地上で保護しました。カイという名だそうですが、この街には住民登録がなくて」
「ちっとばかし頭を打ったのか記憶が混乱してるんすよ。悪い奴じゃないんでジャンヌ様は気にしないでください」
サキとアシュランが口早に。
それを聞いたジャンヌが、承知とばかりに
「そうか。では──」
「待ってくれ! ジャンヌ、俺だ!」
左右の二人を押しのけて、カイは幼なじみへと叫んでいた。
これだけは何かの
悪魔に支配された世界。人間が地下都市にしか住む場所がなくて、サキやアシュランが自分を覚えていなくても。彼女は一緒に行動していたではないか。
「さっきまで俺と買い物してたじゃないか! お前が王都に出向になるからって、だからサキやアシュランに
ざわざわと周囲の
それは同情の視線ではなく、人類解放の希望と期待される騎士に突然に怒鳴りかかった見知らぬ者への
「すまない」
ふっ、とジャンヌと呼ばれた騎士が首を横にふる。
男のフリをした────そうとしかカイには思えない裏声で。
「どこかで会ったか? 人違いであるように思えるが」
「……本当に覚えてないのかよ」
「すまない。私も部下もこの後すぐに会議が
部下たちに囲まれた騎士ジャンヌが背を向ける。
……本当に?
……ジャンヌまで俺のこと覚えてないのか。
何かの
「ジャンヌ!」
唇を
部下たちを押しのけ、背を向けた騎士の前に詰め寄った。
「お前……そんな男のフリして指導者顔して、それがお前の夢だったのか。そうじゃないだろ。娘として
「────っ!?」
ジャンヌにだけ聞こえるよう押し殺した声。
そして、
だがそれも一瞬。
「貴様!? ジャンヌ様に何をする!」
「離れろ。ジャンヌ様、ご無事ですか!」
肩を
「ちょ、ちょっとカイ!? 何してるのよ!」
「お前、いきなりジャンヌ様に詰め寄るなんて……すいませんジャンヌ様、こいつホント、悪い奴じゃないんですが!」
サキとアシュランに
カイは、
2
地下都市では、地上を照らす太陽にあわせて天井部の照明を切り替える。
午前ゼロ時。地上の夜にあわせ、都市でもわずかな街路をのぞいて消灯するという。
「…………」
ホテルの一室。
「……なんてこった」
やがて。
「これが世界の『常識』だっていうなら……この歴史は、俺の覚えてる歴史と違う」
カイの覚えている歴史では、五種族大戦で人間が百年前に勝利した。
だがこの世界は違う。
「人間が大戦で敗北した。それも今からたった三十年前に敗れたばかり……」
歴史以外は、カイの記憶のとおりだ。
世界の大陸や山脈といった地形はそのまま。
人間についても、街の住民記録票で、カイの近所に住んでいた住民の名前も見つけた。さらに
……アシュランが乗り物酔いを克服してる。
……そんな変化はあるけど、個々人の特徴も俺が覚えているままだ。
一方で。
謎に包まれているのは、なぜ自分が忘れ去られてしまったのかという理由だ。
いないのは自分と預言者シドの二人。
まるで歴史から
「……どうしてだ」
預言者シドがいないのはまだ
彼がいないからこそ人類は大戦で敗北した。そう考えれば、世界の現状と
「俺がいないのはどうしてだ……!?」
人類
なのになぜ、
いま確実に「存在しない」と断言できるのは、カイと預言者シドだけなのだ。
「手がかり……何かないのか。預言者シドがいなくて、人間が他の四種族に支配された。それ以外に変化は!?」
地図と歴史書を隅から隅まで眺め続ける。
「ウルザ
違和感。
めくったページを、恐る恐るカイは戻した。
ウルザ連邦の地図。そこに写真付きで記載されているのは黒いピラミッドだ。
悪魔の墓所。
……待て。俺、何かとてつもない勘違いをしてないか。
……何かを見落としてる気がする。この墓所について。
「っ!? そうだ、どうして気づかなかったんだ!」
椅子が後ろに転がる勢いでカイは立ち上がった。
「この墓所……この世界にコレがあること自体がおかしいだろ!」
大戦で勝利した人間が、四種族を
だが、この世界で敗北したのは人間だ。
「シドがいないのに……人間が大戦に勝ったわけじゃないのに、何でコレがあるんだ」
人間が敗北したのなら、四種族を封印するための墓所があるはずがない。
この世界の歴史と
「────」
薄明かりのなか、カイは唇を
3
翌早朝。
カイの広げた地図を
「……墓所? ううん、何それ知らない」
「俺も初めて見た。何だこの気味悪い三角形の建物……悪魔が造ったんじゃねえの? 写真撮った奴も、悪魔の建物のつもりで撮ったんだと思うぜ」
「……わかった。ありがとう」
サキもアシュランも墓所を知らない。
予想どおりだ。五種族大戦で人間が敗れたなら、この墓所があるのは
調べる価値はある。
「アシュラン、使ってない車あるかな」
「ん? どっか運転して連れていけってか。昨日ここに
「わかってる」
その上で、カイはアシュランに向けて手を差しだした。
「俺一人で行くから
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
墓所の荒野。
前の世界では実に一年半におよび、カイはサキやアシュランと
「一人で来たのは初めてだな」
砂混じりの風に
「ウルザ
第九
この荒野にたどり着くまでも、悪魔らしき影を何度も見かけた。そのたびに道を
「……行こう」
高さ二百メートルの超巨大建造物へ。
助手席に積んでいた
「入口は異常なし。当然なんだろうけど」
墓所の内部にいたる唯一の扉だ。人類
……俺も十年前に一度特別に入ったきりだもんな。
……ジャンヌの
そして深部に転落した。
「っと、今はそれどころじゃないか」
墓所の外周をゆっくりと歩きだす。
うっすらと
「封鎖石が、外れてる……!?」
巨大な円形の石が墓所の壁面から外れ、地面に転がり落ちていた。
悪魔の脱出を防ぐ栓の役目を果たす
「墓所に閉じこめられてた悪魔がこの石を外して脱出したって線は……ないか。それならサキもアシュランも『悪魔が墓所から脱出した』って言うはずだし」
悪魔を
「ここから入るのは初めてだな……」
墓所内部へ。
それも表側にある入り口からではなく、裏側にある封鎖石のあった穴からだ。
悪魔を封印する空間に直接通じている。
カイが十年前に転落した場所はちょうどこの奥だろう。
……だけど俺も、
……気がつけば墓所の外に倒れてて。
無数に
そこで預言者シドの伝説にある「光を放つ剣」を見つけて、すがる思いで剣に抱きついた────カイの記憶はそこまでだ。
太陽の光が差さない墓所の内部。
踏み入った途端、ひやりと冷たい空気が首筋を
「なんだ?」
光。通路の角から、うっすらと光の線が
……あの光。なんだ、この感覚。
……懐かしい?
無意識に、光の溢れる先へとカイは駆けていた。
光の下へ。
通路を折れ曲がった先の広場。その中心に──
光を放つ剣が、突きささっていた。
預言者シドの伝説──
だが
そんな英雄の剣が、再び目の前に。
「……シドの剣……?」
それは、地上すべてにふりそそぐ太陽の光を
夜を照らす
陽光色に輝き続けるシドの剣。
「……本物、だよな?」
十年前の記憶のとおりだ。
英雄の剣は実在した。
「そうだよ、やっぱりシドの伝説は本物だったんじゃないか!」
十年前と同じように剣へと駆けよって柄を
そして。
〝運命の
〝
「……
カイの前で、陽光色の剣がふわりと浮かびあがる。
剣先から放たれた
光が凝縮して形づくられる扉。
その扉が、開き始めた。
〝…………だれ……か……お願い…………たすけ…………〟
先とは別の声。
消え入りそうな
「ぐっ!? おい……今の声、誰だ!?」
光の
確かに聞こえてきた少女の声に、カイは全力で声を振りしぼって叫んだ。
──誰かがいる。
──泣きそうな声で助けを求めている。
たったそれだけを理解して。
カイは、英雄の剣に
4
気づけば。
カイは、無限に続く雲海の中にいた。
「……墓所……じゃない?」
何度も何度もあたりを見回す。あの薄暗かった墓所の様相が一変し、全方位どこまでも、空の果てまで埋めつくす雲海が広がる世界。
そして雲は
「なんだここ……それにこの
どこまでも延びている石の通路。
通路の端には、古代彫刻を想わせる見事な石柱が数十メートルほどの
いったい誰が、このような回廊を用意したというのか。
「人間? あとは……蛮神族だっけか。エルフとドワーフが、人間の建物より大きい
だがここは悪魔の墓所だ。
蛮神族の墓所とは別である上に、カイが見た蛮神族の遺跡とも違う気がする。
「……悪魔の
分岐は無視。この空間の終わりを確かめるために無心で突きすすむ。
どれだけの時間が経過したことか。一時間。それとも二時間は経過しただろうか。感覚が
「あれは?」
陣を描くようにそびえ立つ姿が視界に飛びこんできた。
十段にも満たない階段を走りきった先に、一際
その中心に。
「……女の子?」
円柱に
何かの儀式に捧げられた
両手を
「…………そこにいるの……だれ……」
カイの足音を察知したのか。
柱に縛りつけられた少女が顔を上げた。鎖に
「お願い」
「……助けて。この鎖を外して……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます