World.1 そして世界は入れ替わる
1
赤茶けた大地。
硬い岩盤にうっすらと
一台の
「午後二時。定時ぴったりだ」
その荷台から飛びおりて、偵察兵──カイ・サクラ=ヴェントは双眼鏡を取りだした。
年齢は十七。
暗い
人類
「これより『墓所』の監視を始める。サキ、アシュランも」
カイが双眼鏡で
精密機械で描いたような完全な
「状況──」
「どーせ異常なしだって」
車の助手席で。膝上にクリップボードを乗せた青年が、
アシュラン・ハイロール。
カイより一つ年上の十八歳で、偵察兵の
「何もねーよ。そうだろカイ?」
「まだ七十秒。墓所の観察時間は三百秒と決まってる」
墓所と呼ばれた漆黒のピラミッド。
カイが双眼鏡で覗くものは高さ二百メートル。現代の超高層ビルに匹敵する高さである。その天辺から地上までを入念に観察していく。
「何もねーって。ほら、もう三百秒たっただろ?」
「いま百七十秒」
「あ────もうっ。いいじゃねえかそれくらい……俺、ずっと車に揺られて乗り物酔いだから、早く終わらせたいんだっての」
報告用紙に早々と「異常なし」と記入したアシュランが、ぐったりと助手席のシートによりかかる。一方でカイは双眼鏡を離さずに。
「三百秒」
「……お、おう。相変わらずブレねぇ奴だな……」
「報告する。ウルザ
「……はー」
深々と
「おいサキ、お前も言ってくれ。昨日も今日も異常なし、ついでに明日も異常なしだって」
「んー?」
サキと呼ばれたオレンジ色の髪の少女が身を起こす。
好物のガムを
「いいじゃん、カイが
「程があるって話だよ。百年だぜ百年。大戦で
「ない」
「だろ?」
「その一度を起こさないのが俺たちの監視だ」
「…………正論。だけど肩こらない?」
追加のガムを嚙みながら、サキ。
「アタシらの地域だけ真面目にやってもダメでしょ。墓所は世界に四つもあるし」
「ほかの三箇所でも真剣にやってるに決まってる」
決まり文句のように応じ、カイは
「大事な任務なんだ。万が一にも墓所から悪魔が逃げだしたら大惨事になる」
世界に四つ存在する
墓所と呼ばれるこの建造物は、かつて人間が戦った他種族を閉じこめる
──強大な法力を振るう悪魔族。
──天使やエルフ、ドワーフといった亜人種の勢力たる蛮神族。
──ゴーストなど、
──竜を頂点とする、巨大な獣たちの勢力である幻獣族。
だが百年前を境に、反撃に成功する。
人間を含む五種族が入り乱れ、史上最大の争乱となった五種族大戦。この戦いを経て、人類は黒きピラミッド「墓所」に四種族を
以後、人間は墓所をこうして
「そうそうカイ、大事なこと忘れてたんだけど」
運転席からサキが身を乗りだした。
「来週のジャンヌの
「任務中だ。悪いけど後で」
「……もーっ。どうせ何もないってば! いいじゃん今でもぉ」
声を上げて
隣の助手席では、アシュランがぼんやりと車の座席によりかかっている。これが現代における一般的な認識だ。すなわち「世界は平和である」と。
四種族が墓所から逃げだせるはずがない──
サキやアシュランだけではない。世界共通で定められている二年間の兵役につく若者の、ほぼ全員が公然と口にする本音。
一方で、その
「何も起きなくても油断したくないんだよ。半分、意地みたいなもんだけど」
サキとアシュランが
二人の主張の方がむしろ正論。百年も封印を保っている墓所が、明日いきなり音を立てて崩れ落ちることなど普通はありえない。
が。
墓所の封印を気にかけずにはいられない特別な理由が、カイにはあった。
「俺は見たから」
十年前、悪魔族の墓所に転落。
「またその話するぅ? アタシもアシュランも二十回は聞いてるけど」
「お前の気のせいだって。墓所に転落して助かるかっての。悪魔の
アシュランの言うとおり、生きているのは
だが現に自分は生きている。無数の悪魔に
ただし、記憶を証明するものが何もない。
……あの悪魔たちの重圧感。
……あれが俺の勝手な
悪魔たちを前に感じた恐怖。
たとえ周囲から同意を得られずとも、あの強大な種族が墓所の封印を破って現れることは「あり得る」とカイは直感したのだ。
そして悪魔族の
ゆえにこの十年、カイは誰よりも
「その時ってカイが七歳とか八歳の頃でしょ。墓所の入り口は一つきりで、カイが墓所に入って転落したら見張りの兵が見てなきゃおかしいもん」
「しかも監視カメラ付きでな。なあカイ、映ってなかったんだろ?」
カイの転落を証言する
正確には、一緒にいた大人たちが口を
「だから夢だってば夢。子供の頃に見た怖い夢! 前に、カイが
「いや、覚えてるよ」
「でしょー?」
うんうん、と
「カイの記憶違いってことよ」
「それはそれとして、墓所を見張る任務を
「だ─────っ!?」
サキとアシュランが悲鳴を上げる。
「本部に連絡しよう。午後二時の監視、完了。墓所に異常なし」
そんな
カイは、墓所をふり返ってそう言った。
2
人類
五種族大戦を終えた人類が、
もしも墓所に異変が起きたら。
もしも墓所から四種族が脱出して
もしも五種族大戦が再発したら。
事態に備えての高火力兵器の開発から道路・鉄道といった
とはいえ古き制度である。
兵役に真剣に取り組む者など、現代では皆無に等しい。
「あー、しんど。アタシもう休憩だから!」
人類
その隅っこで、ランニングウェア姿のサキがベンチに腰かけた。
「相手、
「…………」
「ねえカイ、聞いてる?」
「幻獣族がそういう種族だからしょうがない」
カイの前には、体高三メートルという巨大な竜を
もしも幻獣族が墓所を脱出してしまったら。
そのための戦闘訓練だが、サキの言うように「意味がない」と主張する者が大半だ。
──勝てるわけがない。
大戦の記録では、幻獣族の頂点に立つ竜の
「確かにやるだけ無駄かもな」
言葉と裏腹に、機械竜の足下に
「ちょっとカイ!?」
サキの絶叫。
踏み
が、カイの一撃に機械竜はビクともしなかった。
「……だめか」
「なにやってるのカイ!? 踏み潰されたら死んじゃうでしょ! 教官のいない自主訓練は、そもそも幻獣型の
「そういう覚悟でやらないと意味がない」
「……いやはや。カイってさ、生まれる時代を間違えたよねぇ」
水の入ったボトルを口にあてながらサキが苦笑い。
半分は感心で、もう半分は動物園で
「そう思わないアシュラン?」
「…………話……しかける、な……傷に……響く……」
ベンチに座るサキの、その奥でうずくまっている長身の青年は動かない。
カイとは別の
「まあアシュランはほっといてさ。カイのこと教官も言ってたしね。大戦の時代に生まれていればって。あのシドのかわりに歴史に名前が残ったかもね」
「俺はそんな柄じゃない。訓練に手を抜きたくないだけだから」
機械竜を見上げて、カイはごくごく当たり前の口調でそう返した。
百年前のこと。
悪魔族、蛮神族、幻獣族、聖霊族にはそれぞれ種族を率いる最強の個体がいたという。
長老。首領。あるいは統率者など。種の頂点を意味する言葉は様々だが、人語を解する最強の四体はその中でもっとも強烈で強大な称号を好んだ。
すなわち四英雄──
悪魔族の英雄「
蛮神族の英雄「
幻獣族の英雄「
聖霊族の英雄「
だが現れたのだ。
五種族大戦下において、四英雄に対抗する人間の英雄が。
「預言者シドねぇ」
ベンチで、ぼんやりとサキが天井を見上げる仕草。
「人間の英雄『預言者シド』。この世のものとは思えない輝きを放つ剣で四種族の英雄を倒し、墓所に四種族を
「シドっていう男が百年前にいたのは間違いない。写真にも残ってる」
ローブを着た男の写真。
これが預言者シドであると言われている写真を、カイは資料で何度も見た。
「でもさーカイ? シドの伝説って、歴史学者も
サキが肩をすくめてみせる。
人間の英雄「預言者シド」など存在しない。それが現代における定説である。
まず言い伝えにある「
「シドっていうのが四英雄と戦ったって証拠がないもん。戦った時の写真も映像もないし、シドの剣とか言われてる剣も残ってないんだから」
「……ああ」
証明する記録がない。
カイが悪魔の墓所に落ちたのと、奇しくも同じ状況なのだ。
戦闘時の写真が一枚さえも残っていない。百年前とはいえシドが四種族の英雄と戦った時の姿がないのは不自然。ゆえにシドの活躍を信じる者は
「そういうことよ。シドって人は実在しても、それが大戦で人間代表みたいな活躍はしてなかったってこと。どうカイ?」
「それは俺もそう思う。だけどさ──」
汗で
「こうであって欲しいって願望は別でもいいだろ」
「そりゃね。ま、それはさておき話題は変わるけど……ほらアシュラン起きてってば」
「……ぐはっ!?」
倒れている
「昼間も話したけど、ジャンヌの
「あぁ? 昇進祝いって言ったら花束でいいだろ?」
ようやく起き上がったアシュランがベンチに腰かける。
「定番でいいんじゃねえの」
「ダメダメ。だってジャンヌだもん。特待生で毎年表彰されて花束もらってるし。今さら花束あげたって意味ないって。ねえカイ? カイもそう思うでしょ」
「…………」
「あれ、おーい。カイってば?」
サキに背を向けていたカイの胸元で、通信機が鳴りひびいたのはその時だった。
「……ジャンヌ?」
「ん? ジャンヌがどうかしたか?」
「あれれ、アタシんとこには来てないけど? カイだけ?」
同僚二人がベンチから腰を浮かす。ジャンヌからの通信内容を見せろと首を伸ばす二人の前で、カイは通信機の画面を表示させた。
『カイへ。
明日は非番でしょ? 朝十時、第九
ただしサキとアシュランには内緒でね?』
「…………」
ちょっと待ってほしい。内緒と言われても、
「カイ、ジャンヌから何て?」
「俺にも連絡来てねぇし。珍しいよな、俺にもサキにも秘密で……おいカイ、お前まさかジャンヌと良からぬ関係なんじゃ」
「……待った」
片手を前に出して二人を
「俺の勘違いだった。ジャンヌからの連絡なんて来てない」
「ほほう? じゃあ俺らが聞いた着信音は何だったのかなぁ?」
「アタシらに慣れないウソつくくらい、特別な着信があったってことなのかなぁカイ君」
サキはニヤニヤ顔で。アシュランは
その通信機を見せてみろと距離を詰めてくる。
「……そういえば」
通信機をしっかりと
そのまま全力で走りだす。
「今日はまだランニングをしてなかった。十キロくらい走ってくる」
「あっ、おい待てこの野郎!?」
「誰かーっ! カイを捕まえるの手伝って。重罪よ、アタシたちに内緒でジャンヌと良からぬことをたくらんでるわ!」
「誤解だよ!……ああもう、俺は
ジャンヌ、人類
内心そう叫びつつ、カイは追いかけてくる
3
ウルザ
王都ウルザークを中心に発展した広大な国家である。
世界大陸の北部に位置するこの国は、悪魔の
しかし百年前。
五種族大戦の勝利で、この領土を再び人間が
「朝十時。ジャンヌが来るのは一時間遅れの十一時ってとこか」
第九
カイの寄宿舎から地下鉄道を利用して十五分。王都ウルザークからほど近いこの区域は、近代的なビルが建ちならぶ
「カイ、おまたせ」
弾む声。
カイがふり向いた先には、手提げ
「ジャンヌにしちゃ時間どおりだな。あと一時間は待つと思ったけど」
「む? 失敬なー」
だがすぐに、その
「もう来週から
ジャンヌ・E・アニス──
同年代の女子よりいくぶん高い
カイの隣家に住む十七歳。
穏やかな気候にあわせた長袖のシャツに、スキニーパンツ。ボーイッシュな格好を好むのがジャンヌの気質だが、それが逆に少女としての魅力を高めている。
「ほら行くわよ、歩いた歩いた。カイ下級兵、
「この街中を?」
「
ジャンヌが指さすのはカイの着ている服だった。
人類
「今日って非番よね。カイはどうしてそんな物々しい服装なのかな?」
「この買い物の前に自主訓練してきたから」
「……知ってるわよ。皮肉で聞いたの。やれやれよ」
銀髪の少女が
「私と一緒に非番を楽しむって誘われて、動じないのは多分カイだけね」
「誰かと非番に外出を?」
「しないわよ。だから皮肉で言ってるの!」
むすっ、と
とても楽しそうに声を弾ませながら、だ。
「……なんて。そういうカイがいいんだけど」
人混みのなかを並んで歩きだす。
立ちならぶ建物は、すべて有名な服飾店や菓子店が入った商業ビル。それをジャンヌは、真剣なまなざしで一つ一つ見比べていた。
「どのお店にしようかしら。久しぶりに来たけどお店がありすぎて目移りしちゃう」
「ちなみに今日はどんな風の吹き回しで?」
「買い物よ。サキとアシュランの分」
「それにカイもいれたら三人ね。その三人で、私が
「……それ俺に聞く?」
ただしカイたち三人はジャンヌに
「いいのいいの。私だって同じこと考えてるもん」
「同じことって?」
「記念の
ジャンヌの家系は代々、人類
父は人類庇護庁ウルザ本部きっての名将校で、祖父も本部の
──十七歳の美少女が王都へ出向。
歴代最速の
「そういえば、ジャンヌがいなくなるって周りの男子たちが
幼い頃から専属の退役軍人から学んだ組織指揮術と、代々
「アシュランもかなり落ちこんでたっけ。サキもだけど」
「……あの二人と会えるの、最後だもんね」
「最後って大げさな。ジャンヌの出向はせいぜい二年だろ?」
二年後、幹部候補となって戻ってくるジャンヌと再会できる。落ちこむことなどないと、カイはそう信じていた。彼女の返事を聞くまでは。
「私が戻ってきた時には、サキもアシュランも兵役が終わってるわ」
「…………ああ、そっか」
義務兵役は二年。その二年を終えた若者はそれぞれ自分の道を進んでいく。
「私の友達だとカイくらいよ?」
「そうだろうな」
兵役を終えた者たちが去っていく。
そんななか自ら兵役の延長を志願し、人類
「俺は自分の好きで兵役やってるけど、そんな奴なかなかいないし」
「私はそうよ?」
「知ってる。
「一桁違うわ。何百回でしょ」
「カイには、耳にタコができるくらい話したもんね」
「ジャンヌが親父さんの階級を超えれば、親父さんも喜ぶよ。立派な娘になったって。……ただ、俺たちぐらいか。二年後も兵士やってるような変わり者は」
「カイは、墓所を見張るのが俺の義務だっていつも言ってるもんね。いつ悪魔の大群が出てきてもおかしくないって。それに、もう一回シドの剣を見つけるんだって」
「…………」
預言者シドはいた。
四種族の英雄と戦った人間は存在したのだと、カイは信じて
……俺は見たんだ。
……十年前、シドの剣をこの目で見たから。
英雄の剣は実在する。
悪魔の墓所で。
太陽のように周りを照らしだす
カイの記憶はそこで途切れている。
「まあ……その気持ちがないわけじゃないけど」
悪魔を
その疑問こそ残っているが、あの時に見た「光を放つ剣」は、まさしく伝説にあるシドの剣の特徴とピタリと
もっとも、それを信じているのはカイ一人だけなのだが。
「言ってもジャンヌにからかわれるだけだから」
「からかってないわよ?」
そう言いながら楽しげにジャンヌが口元をほころばせた。
「俺は
「
「……ああそうですか」
「もう何年も前よね。カイがいきなり『シドの剣を見た』って言いだしたの。まだ私たちが十歳くらいの頃からかしら。その前からずっと遊んでたもんね」
人混みのなかを歩いていく。
十字の交差点のちょうど真ん中に来たところで、隣を歩く少女がふと足を止めた。
「カイだけね。子供の時から遊んでくれて、今も一緒にいてくれて。私が出向から戻ってきた時にもいてくれるのは」
ふり向く横顔。
ゆれる
「ねえカイ。わたしたちこれから先、どうなると思う?」
「先って……ジャンヌは王都に行くんだろ。それから二年したら戻ってくるって」
「ううん。もっと後のこと」
こくん、と息を
幼なじみであり
「ねえカイ、もし私が──────」
その瞬間に。
──
「ジャンヌ!?」
「え? どうしたのカイ?」
水面に映る影が
だが彼女だけではない。カイの見ている前ですべてが歪み始めたのだ。高層ビル、並木、周りの通行人すべてが
続いて突風。
黒い微粒子が混じった砂嵐が吹き始める。
……誰も気づいてない? 自分に起きてることも、この砂嵐も?
……なんだ、どうなってるんだ!?
カイが見上げる前で、空が黒く染まりつつあった。
──黒点に空が吞みこまれていく。
空だけではない。歪曲したビルが地面から浮き上がり、さらに地面の
並木も、道行く人間さえもだ。
さながら巨大な
……みんな気づいてない?
……まさか、この現象が見えてるのは俺だけか!?
そして目の前で、幼なじみの少女が浮かびあがった。
「ジャンヌ!」
「え? なによカイ、さっきから。こんな人前で名前呼ばれちゃうと……その……あの、私、いろいろ期待しちゃっていいの?」
笑顔のまま浮かびあがっていく。何が起きているのかもわからないまま、カイの眼前で、幼なじみの少女の
「ジャンヌ、俺の手を──────」
砂嵐のなか必死に手を伸ばす。
同時に、カイの視界は黒に塗りつぶされた。
『世界
世界の『上書き』を実行する──
4
砂嵐めいた風が消え去ったその後に。
カイは、意識が
──たった一人で。
目の前にいたはずのジャンヌがいない。
交差点を歩いていた何十人という通行人も、高層ビルを出入りしていた何百人という買い物客もいなくなっている。
「……どういうことだ。おいジャンヌ? ジャンヌ、どこ行ったんだ! 隠れて
無人の第九
そしてこれは、どういうことだ。
足下の
まるで
「どうなったんだ……ジャンヌもみんなもいなくなって……」
人間が一人もいない。異常すぎる。
理解を超えた現象が起きた──その予感に、カイは肩に
人類
カイの所属するウルザ本部の
ジャンヌを探すのも、辺りを探索するのも
「そう近い距離じゃないけど、急ぐか……」
人類庇護庁のウルザ本部へ。
カイの背後のビル陰で、小石が跳ねたのはその時だった。
「音? 誰かいるのか!?」
いっそ野良犬でも野良猫でもいい。生物がいれば、それは生息できる環境があるということだ。人間だってどこかにいるはずだと安心できる。
「おい誰か……」
ビル陰からゆっくりとソレが現れた。犬でも猫でもない。
その姿に、カイは喉が引き
「え?」
二本の足で地に立つソレは、頭上までは優に二メートルを超えていただろう。
真っ黒な体表は、まるで
背部には大きな
……十年前と同じだ。
……俺が墓所に落ちて、そこで見たアイツらと同じ。
兵役につきながら一日も忘れたことはない。いつか、墓所からこの怪物が
──漆黒の悪魔。
カイが見上げる大きさの怪物が、そこにいた。
……
……こんな街中に。
人類庇護庁の開発した四種族の
『ニ────ニ……ゲ…………』
耳まで
声帯の構造が異なるのか聞き取りづらいが、
『──ニンゲン? コノ地ニ?』
「
悪魔族をはじめ四種族の英雄は、人語を理解できたという。
だが言葉として発声できる個体は一
『人間ノ……兵……』
光が
『消エロ』
機関銃さながらの炎の射撃。
カイの
「法術か!?」
カイは、その直前に後方へと跳んでいた。
法術──古代において
強力な法術になれば人間の大型重火器に比類する破壊力があり、高位悪魔となればソレを
初めて目にする「本物」。
しかし
──無意識に身体が動く。
この日が来ると想定してきた。
対悪魔の訓練に費やした数えきれないほどの時間。身体に染みついた回避行動が咄嗟に出た。それが命を救ったのだ。
「……何がどうなってるかわからないけど」
確かなことがある。
この悪魔は
「────────上等だ」
バチン、と音を立てて金属錠が外れる。
悪魔の放った炎の弾丸が穿ったのはカイではなく、カイが
「相手してやるさ」
刀身が取りつけられた銃を向け、その引き金に指をかける。
汎用型強襲銃剣「
『…………人間ガ』
宙に描かれる炎の軌跡。
先の数倍にあたる数の「弾丸」が、悪魔の強大な法力によって生みだされた。
『
「略式エルフ弾」
白い火花。
カイが
それが──何十という炎の弾丸をことごとく消滅させた。
『ッッ!?』
悪魔の目が
『エルフノ法術!?』
「いいや、これは人間の
大戦後に研究された実験兵器だ。
法術飛散効果のある鉱石を削って弾丸に加工し、法術にぶつけることでソレを飛散──すなわち消滅させる。
「大戦中は、蛮神族のエルフがこんな道具を使ってたんだってな?」
ただしエルフが造った法具には、エルフの法力が込められている。
法力を有さない人間はそれを技術と科学で
「行くぞ」
割れ砕けた路面を駆ける。
そんなカイの足下に真っ赤な
『燃エロ』
天へ昇る火柱。地面に生まれた円環から生まれた炎が
略式エルフ弾を撃つ間もない。
そう察した瞬間に、カイは地を
『…………
「
悪魔の
──発破。
「一つ教えてやる。人間が造ったのはエルフ弾だけじゃない」
倒れゆく巨体の悪魔。
この弾丸も、四種族との実戦で使われるのは史上初めてに違いない。
──略式ドレイク弾。
「…………っ、ふぅ」
悪魔が起き上がる気配はない。
爆発の衝撃で
……たった一発ずつ。略式エルフ弾と略式ドレイク弾の引き金を
……緊張で全身がふるえてる。
初めて戦う「本物」。先の法術もそう。一歩でも
「だけど通じる!」
無駄ではなかったのだ、今までの死に物狂いの修練は。
「いける。……相手が悪魔だって戦える」
今ここで何が起きているのかは、まだカイにも理解できていない。
だが証明できた。
強大な悪魔にだって人間は
『なんだ、貴様は?』
奇怪な羽ばたき音が、勝利の
ばさっと
『人間……? 我ら種族が……人間に敗れた……?』
二体目。外見は一体目と大差ないが、宙に浮かぶこの個体は「小さい」。
カイと同程度の身長で、先の個体と比べれば非力にも見える。
……だけど、この圧迫感。
……大きさだけならさっきの方が上だけど、言葉遣いから感じる知性がまるで違う。
『貴様は』
「見てのとおり人間だ」
一体目より危険。
直感がそう告げるなか、カイはゆっくりと言葉を返した。
「お前こそ、ずいぶん人間の言葉が
『────』
じっとこちらを見下ろす
『
それはどういう意味だ?
続けて尋ねかけるカイの意思を
『奴隷への命令は、その奴隷の言葉がもっとも有効だ』
「…………っ!?」
人間が
その言葉は──
なぜこんな変化が起きたのかという根源の疑問を抜きにするならば。
この世界の有り様をもっとも非情に、だが見事なまでに表現しきっていた。
人間は四種族に敗北した?
『奴隷は足りている。ヴァネッサ陛下はそう
「ヴァネッサ?」
聞き覚えのある名に、カイは眉をひそめた。
「……冥帝ヴァネッサ!? まさかあの大悪魔が!?」
『人間、貴様は危険な
悪魔の指先に
紫色の
「────目を閉じて!」
聞き覚えのある声。それが誰の声なのか思い
『ッ!』
悪魔のうめき声。目の前で
「……閃光弾か!?」
人類
だが、いったい誰が?
「こっちよ! 早くしないと悪魔の
人間?
目を
「乗って、あの弾は強力だけど十秒ちょっとしか
手を
そのまま
「放浪者確保。アシュラン、出して!」
「おうよ」
車輪が高速回転。
甲高い摩擦音を
「
後部座席で、隣に座った少女が大きく息を吐いた。
「まったくなんて命知らずなの。アンタ、どこの人。悪魔たちに
「…………サキ!?」
「え? アンタ、アタシのこと知ってるわけ?」
少女がきょとんと目を丸くする。
年齢は自分と同じほどだろう。天然で収まりの悪いオレンジがかった短髪に、猫のように大きな目。口の端から
間違えるはずがない。同じ部隊の
「知ってるも何も俺だって。助かったよサキ、何が何だか……」
「だから、アンタ誰なの?」
「……え」
まじまじと互いの顔を見つめあう。
昨日まで共に訓練してきた相手だ。他人のそら似で見間違えるわけがない。
「サキだよな。サキ・ミスコッティ……でいいんだよな?」
「うん」
「人類
「何それ」
首を
「ねえアシュラン聞いた? 人類庇護庁って? そんなのウルザ
「いいや全然しらねー」
軽快なハンドル
その横顔もまた間違いなく、同僚であるアシュラン本人のものだ。
「おいアシュラン!? アシュラン・ハイロールだろ。お前まで悪い
「どっかで会ったか?」
「…………」
絶句。これほどまでに、その言葉に
「本当に……俺のこと覚えてないのか?」
「っていうかアタシと会ったことあるわけ。ああでも、アタシの名前は知ってるんだよね」
当たり前だ。
もう一年以上同じ部隊で行動してた仲じゃないか。
「好きなのはオレンジ味のガムで、嫌いなのは
「えっ!? ちょ、ちょっとどうしてソレを?」
「アシュランは生まれつき乗り物酔いが激しくて、車に乗るときは酔い止めを欠かさない。それでも車の運転は……」
そう言いかけて、はたとカイは我に返った。
アシュランが運転している? そんな馬鹿な。墓所までの運転はいつも
「アシュラン……お前、乗り物酔いはどうしたんだよ」
「あぁ? んなのとっくに克服したに決まってんだろ」
荒れはてた
「こんな世界だ。車が運転できなきゃ悪魔どもに捕まって
「アタシの好きなガムの味まで知ってるのも不思議だし」
うんうんとサキが
「アンタ、何者なわけ?」
「…………本当に覚えてないのか」
サキもアシュランも自分の記憶そのままだ。完全に本人たちで間違いない。
なのに。
「待ってくれ。……いったい何が起きたんだ」
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