なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?

細音 啓/MF文庫J編集部

Prologue 「0」

 少女は、天使に見えた。

 少女は、悪魔にも見えた。

 背中に生えた一対のつばさもとしつこくからすのような濡れいろ。だがその羽は先に進むにつれて、その翼は雪のようにじゆんぱくに染まっていた。

 黒と白のグラデーション。

 少女の背中からは、悪魔と天使の両方の特徴をそなえた翼がのぞいている。

 その姿をたとえるとするならば。

 ……天魔?

 否。そんな種族など存在しない。

 天使も悪魔も、少年の知る世界では、はるか過去に地上から姿を消したはずだった。

 ならばこの少女は何者なのだろう。

「────」

 じゃらり、と。

 少女をつなぎとめるくさりの音に、少年──カイは我に返った。

 翼の少女は円柱にはりつけになっていた。

 両手と両足を鎖でいましめられて、決して逃げだせないように。

「……っ?…………」

 項垂うなだれていた少女が顔を上げた。

 目元さえ鎖でおおわれて、それでも、少年が近づいてくる気配を感じとったのだろう。

「……そこにいるの……だれ……」

 少女が口にする人間の言葉。

 明らかに人間ではないはずの少女が、人間の少年の方へと顔を向けた。

「誰って……」

 お前こそ何者だ。

 そう言いたくても緊張で言葉が出ない。少年が息をんで見上げるうちに。

「リンネ」

「……リンネ? それ、お前の名前か?」

 こくんとうなずく少女。

 その拍子に、目元からほおにかけてを小さなしずくが伝っていく。

「……お願い……」

「お願い?」

「…………助けて。このくさりを外し……っ──────」

 言い終える前に、少女は意識を失って項垂うなだれた。

 助ける?

 人間ではない種族が、人間に解放をうというのか。

 少年のいた世界では。

 人間は、天使や悪魔をはじめ他種族と壮絶な大戦をくり広げた歴史がある。

 いわば敵対関係。少女を助けた瞬間に──態度をひようへんさせておそいかかってくる可能性は、十二分に考えられることだろう。

 我が身の安全を優先するならば、彼女の正体を確かめるまでは放置するべき。

 ……そのはずだった。

 だが。

「────わかったよ」

 少年は、右手に剣をにぎりしめて少女に近づいた。

 これがわなだとしても。

 

 はりつけになっている少女へ。

 その悪魔と天使のつばさやいばが当たらぬようしんちようねらいを定めて、剣を振り下ろした。


 ──翼もつ少女の解放。


 ばらばらと鎖のへんが床に散らばるなかで、解き放たれた少女が床にくずおれた。

「……何がどうなってる。ここはで、この子は何者なんだ」

 少女を抱き起こす。

 驚くほどに軽く、そしてやわらかい肌の感触にわずかな躊躇ためらいを覚えながら。

 ──

 カイは、歯を食いしばってなげきの声を上げた。

「なんで誰も、本当の世界を覚えていないんだ……!」

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