死神に向いてない

柳成人(やなぎなるひと)

死神に向いてない

 彼女は戸惑っている様子だった。

 キョロキョロと周囲を見回し、何度も腕時計を確認しては、不安げに視線を落とす。

 それはそうだろう。

 まさか待ち合わせしていたはずの俺が、こうして空の上から見下ろしているとは夢にも思わないだろうから。


「あー、あれがさっき話してた彼女ですね」

「そうだよ。あ、馬鹿、違うよ。彼女じゃねえ。ただの幼馴染みだ」

「いやぁ別にそういう意味の彼女とは言ってませんよ。それより、人の言葉尻をとらえて文句言うのはどうかと思いますが」

「うるせー。それはてめえの方だろ」


 俺は鼻息も荒くそいつに言った。

 白い手袋を嵌めた右手を庇代わりに、呑気に彼女を見下ろすそいつは時期外れのハロウィンパーティーみたいに黒いマントなんて羽織っちゃって、おしろいでも塗りたくったみたいに真っ白な顔をして……まぁ要するに、死神というやつだ。


 色々とややこしいのでかいつまんで説明すると……あの子の名前は相原梢。家が近所で、幼稚園から中学までずっと同じ学校に通った幼馴染みだ。と言っても仲良く遊んでいたのなんてせいぜい小学校低学年まで。成長するに従って疎遠になり、別々の高校に通う今となってはたまに顔を合わせるぐらいの関係だったのだが。

 そんな梢からのラブレターがポストに入っていたのは昨日の夕方。


〈明日の夕方十七時に、北公園に来てください〉


 帰り際に体育教師のデブ原に掴まったりするアクシデントもあったものの、俺は学校が終わるや否やすぐさま梢の待つ北公園へと急いだ。

 しかし北公園まであと僅かというところで、横断歩道を渡る子どもに気づかず猛スピードで突進する軽自動車に出くわし――子どもを助けようと飛び出した俺は、その子の代わりに車にはねられてしまったのである。


 痛いとか苦しいとか思う間もなく、はじき出されるように俺は自分の身体から飛び出し、ふと見れば死神を名乗るコイツが、


「あーどうも初めまして。お迎えに上がりましたよー」


 なんて陽気に現れたという流れだ。


 俺をはねたドライバーは浮浪者みたいに薄汚い恰好をして、真っ赤な顔で呂律も回らず、明らかに大量の酒が入ったおっさんだった。俺の身体は頭から血を流して道路の上に横たわっているというのに、おっさんは地面に座ってぼーっとするばかりで救助活動はおろか救急車を呼ぶ気配もない。男の子だけが、擦りむいた膝に血をにじませながらわんわん泣いていた。その泣き声に気づき、周囲の家々からようやく人が出てくる始末。


 梢の耳にも車のブレーキ音は届いたとは思うが、まさかそれが俺を襲ったものだとは気づいていない様子で、ただしょんぼりと俯いている。

 全ては待ち合わせの十七時からほんの五分前に起きた出来事だ。


「良くないですねぇ」


 俺の隣で、死神が言った。


「あなた未練タラタラじゃないですか。私達、死神とは言ってますけど意外と力はなくて、あくまで本人の同意がないとあの世には連れて行けないんですよねぇ。このままだとあなた、地縛霊とか背後霊になっちゃうパターンじゃないですか」

「は? 当たり前だろ。急に死んではいそうですかなんて受け入れられるかっての」

「皆さんそう言うんですよ。特に最近はそういう人、多くてですねぇ。死んだ魂は回収してリサイクルしないといけない。そうしないと次の命に魂を回せないから、どんどん少子化が進むんですよって説明しても、生まれ変わりたくない、死んでもこどおじニートのまま実家にいたいとか好き勝手言っちゃって。長寿命化で回収できる魂の数は年々減る一方なんですから、そんな事言ってる場合じゃないんですよ。亡くなった方はすぐに次の身体に移ってもらわないと」

「リサイクル? 次の身体?」

「そう。もうあなたの次の行先も決まってるんです。だから早いところ成仏に同意してもらって、転生手続きに入らせていただきたいんですよねー」


 時代劇の悪い商人みたいに揉み手しながら、わかりやすく下手したてに出る死神。こいつどうしてこんな態度しかとれないんだろ。向いてないんじゃないかな?


「同意って言ったって……」


 無意識に視線は梢に向いてしまう。あの手紙がラブレターである事は明らかだったものの、具体的に梢の気持ちが書かれていたわけじゃない。梢は俺に会って、なんて言おうとしてたんだろう。俺の死を知ったら、どんなに悲しむだろう。


「心残りなのはわからないでもないですけどね。あなた今まで女性とお付き合いした経験もないみたいですし。せめて死ぬ前にキスぐらい……あわよくばもっとその先まで、なーんて思いますよねぇ。でもほら、冷静になって見て下さいよ。彼女、そんなに可愛くもないじゃないですか。どうひいき目に見たって人並み、月並みレベルのルックスですよ。いいとこ中の中か中の下。さっさと生まれ変わってもっとマシな人探した方が良いんじゃないですか?」

「うるせーっての」


 梢が人並みだなんて言われなくても俺が一番わかってる。俺だって今まで恋愛対象として意識した事はなかったけど、あいつが書いてくれた手紙を読んだら、昔一緒に遊んだ想い出とか、たまに会った時にほっとする感じとか、色々考えちゃって眠れなくなったんだ。

 だからこそあいつに会って、あいつの言葉を聞いた上で、俺の胸の中でぐるぐるするこの気持ちが何なのか、確かめようと思ってたのに。


「うーん、困りましたねぇ。よし、じゃあこの際直接本人に会っちゃいましょうか。あの子が快く送り出してくれればあなたの未練もなくなりますもんね」

「え、お前ちょっ……」


 止める間もなく、死神は突然俺の手を掴むとバビューンと空を飛んだ。



     ※   ※   ※



「ええと、あの初めまして。死神といいます」


 呆気に取られる梢に、死神は平然と名乗った。


「死神って……」

「いえいえ、別にあなたをお連れしに来たわけじゃないんです。実はたった今、あなたの知っている人が死ぬ事になりましたので、つきましては最後のお別れをと思いまして」


 一瞬怯えたように見えた梢は、後ろに立つ俺に気づいてはっと息を飲んだ。


「優也……死ぬって、まさか……」

「……ごめん」


 いたたまれなくなって、俺は目を逸らした。それでも梢の目に涙がにじむのがわかる。


「どうして? そんな急に……もう来てくれないのかと思ってたのに」

「……行こうとしてたんだ。でも、こんな事になっちゃって」


 もう身体は無くなったはずなのに、胸が締め付けられるように痛くなった。本当ならきっと今頃は生身の身体で、こうして向き合っていたはずなのに。


「ええと、そんなわけで神永優也さんは死ぬ事になりました。でもあなたの事が心残りだというので、こうしてお連れしたんですよ。あなた、何かこう気の利いたセリフでも言って彼を成仏させてもらえませんかね? 安らかにお眠り下さいとか、後の事は私に任せろとか」


 いちいち水を差す死神に文句を言おうと口を開きかけたその時、遠くからピーポーピーポーと救急車のサイレンの音が聞こえて来た。


「ほら、もう救急車も来ちゃいましたし。と言っても病院に連れてって、死亡判定してもらうだけでしょうけど。人間の場合、いちいち医者に死亡判定出して貰わないと死んだとは認められないんだから面倒ですよねー。私達から見れば、死んだか死んでないかなんて一目瞭然なのに……んがっ」


 妙な声を出して口を噤む死神。その襟首を両手で捩じ上げるのは、梢だった。


「ちょっと待って! 救急車って事はまだ近くにいるの? まだ優也は死んでないって事?」

「いやですから死んだとか死んでないとかいうのは現世での法律上の話で、私達から見れば……」

「うるさいっ! どっち! 優也の身体はどこ?」

「……あ……あっち……」


 息も絶え絶えに死神が指差すと、梢は一目散に走り出した。投げ出されて尻もちをついた死神が、盛大にむせ返る。


「……ゴホッ! ホッ! な、なんて子なんでしょうねぇ。死神に暴力振るうなんて」

「いいから、それよりも……」


 俺は死神を助け起こし、二人で梢の後を追った。



     ※   ※   ※



「心臓が動いてない! 心肺蘇生しなきゃ!」


 周囲を取り巻いてざわめく人々をよそに、俺の身体に飛びつくや否や梢はテキパキと指示を飛ばした。


「私が人口呼吸をします! この間学校で習いました! どなたか男性の方、心臓マッサージを!」


 それまでは「動かさない方がいい!」「もうすぐ救急車が来る!」ともっともらしい事を言って救助活動を阻害していたおじさん達も、我に返ったように梢に従った。

 額を押さえながら顎を持ち上げ、授業で教わった通りに気道を確保すると、梢は躊躇なく俺の唇に自分の唇を押し当て、大きく息を吹き込んだ。一回……二回……。


「マッサージを! 両手で五センチ沈むぐらい! もっと強く! そう! 三十数えます!」


 一、二、三、四、五……声に出しながら三十回、おじさんに心臓マッサージをさせた後は、再び梢が人工呼吸。

 どんどんサイレンの音が近づいてくるけれど、梢は脇目も振らず、一心不乱に心肺蘇生を続けた。俺の身体から流れ出した血で、せっかく着飾った服や、手や、顔も全身が汚れるのも厭わずに。


「お願い! 頑張って! まだ死んじゃ駄目! 優也! 優也!」


 俺の名を叫ぶ梢の目からは、ボロボロと涙が零れ出していた。

 俺の身体は目の前に寝ているはずなのに、どうしてか鼻の奥がツンとした。死神に言われて呆気なく死を受け入れようとしていた自分があまりにも浅はかに思えた。


 それと同時に、俺の胸の中でぐるぐるしていた気持ちがなんだったかも、わかった気がした。梢の見た目なんかどうでも良くて、俺はきっと梢が自分を大切に思ってくれている事に気づいていたんだ。こんな風に俺の為に必死になってくれるヤツなんて他にいるはずもない。

 でも、だからって彼女の気持ちに報いてあげたいだなんてそんな受け身な気持ちではなくて……俺も同じように、梢を大切にしてやりたかったんだ。俺にとっても梢は大事な人だったんだ。


「あーあ」


 わなわなと拳を震わせる俺の隣で、死神は天を仰いだ。


「なんだか逆効果になっちゃいましたね。あなた、もう成仏する気ないでしょ? 面倒くさいなー」

「お前さ、面倒くさいとか……」

「やっぱりやめます」

「は?」


 俺は思わず聞き返した。


「実を言うとあなたが死んだのはんですけど、そう言ってられない事情もありまして。もうすぐそこに生まれそうな命があって、さっさと魂用意してあげないと母体も赤ちゃんも危険なんですよ。予定が狂ったからまた今度ってわけにもいかないし、とにもかくにも死んだあなたに行ってもらうしかないと思ったんですけど……こりゃあムリゲーっぽいですもんねぇ」

「ちょっと待てよ。イレギュラーってどういう事だよ。お前さっきから一体何を……」

「あーあ、また怒られる。また減点だ。最悪だぁ」


 死神は突然子どものようにじたばたと喚いた。かと思うと、俺に向き直り――


「じゃあ、戻しますよ」

「は?」

「やり直します。事故の直前だから、時間はそうですね……五分前ってとこですか。今度は間違えないで下さいね。お願いしますよ。次もしくじったら今度こそクビ飛んじゃいますからね。最悪転職させられちゃうかも。あーやだやだ。最悪だぁ」


 死神は嘆きながら、目の前に差し出した指をパチンと弾いた。



     ※   ※   ※



 ふと我に返ると、俺は歩道に立っていた。

 あれ? これは一体? 俺は死んだはずじゃ……死神は? 梢は?


 混乱する俺の目に、横断歩道を渡る男の子が映る。そこに猛スピードで突っ込んでくる軽自動車。

 これはついさっき見た光景だ。どうやら事故の直前まで時間が巻き戻されたらしい。でもぼーっと突っ立っていたせいか男の子との距離が離れすぎていて、今度は走ったところで到底間に合いそうにもない。


 死神は俺が死んだのはイレギュラーだと言っていた。つまりそれは、本当は別のヤツが死ぬ予定だったという意味だろうか。だとすれば、とは……。


「逃げろーっ!」


 俺は腹の底から叫んだ。男の子がキョトンとした顔でこちらを振り向く。失敗した。立ち止まるんじゃない。


 キキィーーーーーッ! ゴシャゴシャガシャ! ドドドドゴロドドドゴドドッ!


 耳をつんざくようなブレーキ音と、衝突音が周囲に響き渡る。

 俺は目を疑った。姿


 軽自動車はギリギリのところで男の子に気づき、自ら急ハンドルを切って隣のブロック塀に突っ込んだのだ。車のフロント部はぺしゃんこに潰れ、衝突した勢いで横転した上、崩れたブロックの下敷きになっていた。車内を覗く事はできなかったが、運転手が無事では済まない事は明らかだった。

 俺がわざわざ男の子を助けずとも、んだ。俺はわざわざあのおっさんの身代わりになるという愚行を犯したというわけだ。


 事故の衝撃と音に驚いて、付近の住人達が家から飛び出してくる。救急車を、パトカーを、などと通報を促す声がそこかしこから聞こえてきた。


「……大丈夫か? 怪我はなかった?」

「うん。でも……」


 男の子に声を掛けると、半べそをかいていた。自分のせいで車が事故を起こしたと責任を感じているのかもしれない。


「大丈夫。君は悪くないよ。俺が見てたから、お巡りさんが来たらちゃんと説明してやる。だから安心しな」

「うん。でも、でも……」


 男の子はぐずぐずと泣き出した。子ども心には大きな衝撃だろう。けど、助けた俺が身代わりで死ぬよりはマシなんじゃないかと思ったりもする。


「優也!」


 名前を呼ばれて振り向くと、呼吸を乱しながら走ってくる梢の姿があった。


「大丈夫? すごい音がしたけど、もしかして、巻き込まれたの?」

「いや、大丈夫。この子は危なかったけど」

「良かったぁ、無事で。もしかしたらって心配しちゃった」


 くしゃっと顔を歪めて涙を浮かべる梢に、胸が締め付けられる。何も死んだわけじゃないんだから、泣く必要はないだろうに。ただでさえ月並みな顔が余計にブスに見えちゃうじゃないか。


「ごめん、そろそろ時間だよな。俺、警察来るまではいなくちゃいけないから。だから悪いけど、約束、また今度にしてもらえる?」

「あ、うん。別にいいよ。私の用事なんて大した事ないし。別にいつだって……」

「いや、俺からも話したい事があるんだ。大事な話だから、あとでちゃんと二人で話したい。できるだけ早く。だから終わったら連絡する」


 真剣な顔で俺が言うと、梢はぽっと顔を赤くした。


「う……うん。わかった。じゃあ……連絡、待ってるね」


 手を振りながら逃げるように走り去る梢に、手を振り返す。

 いつの間にか泣き止んだ男の子が、俺を見上げて不思議そうに聞いた。


「どうして笑ってるの?」

「うん……いや、あいつ、本当に死神だったのかなって」


 さっさと死神辞めて、キューピッドにでも転職した方がいいんじゃないか。そんな考えが頭に浮かんだ。

 死神に向いてないよな、あいつ。

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