第十八話

 伏黒ふしぐろ牡丹ぼたん吉祥天きっしょうてん主水もんど。が、まるで子供のような口論へと発展していた。

 二人の言い分は、どちらに比があるかの――擦り合い。


「審判なんだから、止めるタイミングいくらでもあったよね?」

 主水が鋭い視線を伏黒に向け、手を広げて抗議する。


 伏黒は冷たい笑みを浮かべながら、腕を組んで反論する。

「ぁーあーん! お前の楽しみを見逃してやってたんだよ。感謝されることが、あっても、批難される筋合いがどこにある。そもそも、アニーは降参する気がないのに止める必要ある? それに、私の判断がそんなに気に食わないなら、お前が止めればよかっただけだろ?」


 二人の言い争いはエスカレートし、まるで自分が悪くないと強調するかのように互いに責任を押し付け合っていた。

 教師たちと生徒たちは遠巻きにこの光景を眺めながら、過去に起こした一件を思い出していた。


「ぁぁ。これってまるであの海上闘技場ヴァルホルが、太平洋に沈んだときみた……」

 生徒の少年が小声で呟き、周りの仲間たちも苦笑いを浮かべる。


「あの記者会見のとき。記者に嫌味を言われて、二人がまたこんな感じでケンカし始めたんだよね。それで、最終的に乱闘になってたよね……」

 生徒の少女が、全世界に中継されている最中に、問答無用に取っ組み合いを始めるという。常識などお構いなしの行動に、二人には常識が通じないと、皆、悟った。


 教師たちもその時の記者会見の出来事を思い浮かべ。

「さすが、鬼才と奇才だ」

「破天荒を体現した、ことを忘れていました、よ」

「あのときよりも、二人とも少しは大人になった、と、思ったんですけどねぇー」

「そう簡単に性格が変化してくれたら……教師は苦労しませんって」

「たしかに」


 どちらも一筋縄ではいかない存在で、常に予測不能な展開を引き起こす。そんな二人が今、また同じように言い合いを始めているのだから、周囲の者たちもどうしていいか分からない状況だった。




「ぅん? この、あまい、かおり」

 主水が眉をひそめ、鼻を少し動かして辺りを見渡す。


金木犀きんもくせい、だ、な」

 牡丹も軽く鼻をすすりながら、香りの出どころを探すが、目立った変化は何もない。


 風がそよそよと吹き始め、甘く懐かしい香りがさらに強くなってくると。


「おっとっと。風に乗るのって、難しい」


 二人の頭上から声が聞こえてきた。

 空から一人の少年が、見えない不安定な乗り物を乗りこなすため、バランスを取りながら登場し降り立った。

 タイミングで――フラッシュを主水と牡丹に浴びせた。


「一万円、な。けい」「一万円、だ。金木かなぎ


 主水と牡丹は、被写体モデルとしての料金をカメラ小僧――金木桂に請求していた。

 そんな二人の行動を見ながら桂は、柔らかく微笑みながらカメラを構え、シャッターを切った。


「はい、はい。二万円払えば、ヴルガータ嬢は助かる、と」


 二人が言い争いを始めた理由は、アニーが心肺停止状態になったことによることであった。

 異能者たちの戦闘は、ただの試合ではなく、場合により生き死に直結することがある。

 特に、“魔闘士”という肩書を持つ者たちは、国の軍事力の一部を担う存在でもある。

 それは、戦時下において相手を殺すことも、正当化される。それは逆に、殺される立場であるということも覚悟する必要がある。

 理事長である伏黒牡丹は、その重みを生徒たちに伝える必要があった。元、世界最強の魔闘士の経験から、綺麗事だけの世界ではないということを誰よりも理解している、主水も同様に。

 古来、世界は血生臭さい。


 だからといって、無駄に死人を出すことが良いわけではない。


 アニーの心肺停止状態を目の前にして、互いにその責任を押し付けあっていたからだった。

 戦いの最中、主水が手加減をすべきだったのか? それとも、牡丹が早急に止めるべきだったのか? その責任がどちらにあるかに。

 基本、この二人の性格は似ている――メンドクサイことは、他人事に。

 観客席からその様子を見ていた実力者たちは、二人の性格をよく知っていた。異能者同士の闘いが、命掛けなことも理解している。

 しかし、

 今回の事態は、


 そして白羽の矢が立ったのが、金木桂であった。

 この場で最も信頼できる存在であり。あの二人、主水と牡丹の破天荒を翻弄できる人物なのだ。


「……ごめん…………なさい」「……すま…………ない」


 効果抜群。

 桂は見た目は体育会系の好青年に見えるが、彼が所属しているのは新聞部と写真部である。

 両部活に参加しているが、束縛されることを嫌っているため、形式的には部員となっているが。

 自らは、“現地報告者ルポルタージュ”と称して活動している。主水や牡丹と同じ変わり者である。

 だが、

 実際にはどちらの部でも、優秀な成績を残しており、その能力は確かであった。


 新聞部では鋭い観察眼と表現力を活かした記事を執筆し、読者を引き込む文才を発揮している。

 また、

 写真部では卓越した感性から、独自の構図で被写体の魅力を引き出し。その作品は数々のコンクールで、入選する常連であった。

 見た目こそアスリートのような、筋肉質な体つきと健康的な日焼けをしている。が、その内面は芸術的感性に溢れ、常に新しい視点を追求しており。

 ただの好青年ではなく、奥深い、二面性のあるキャラクターとして他者に認識されている。

 ただし、

 表面上は柔らかく親しみやすいが。

 内心では他者を冷静に観察し、時には皮肉を交える側面がある。

 主水や牡丹をオモチャにして遊ぶことができる数少ない、一人。


「飛んできたな」

「運んでもらいました」

「生徒会長に頼んだのか。あとで、配送料、請求されそう」

「配送料、請求されるか? わからないけど。お説教は配達されるんじゃないかな、二人とも、に」

 カメラのレンズが、主水、牡丹、最後にアニーへと焦点される。




 心肺停止状態のアニーに、微笑みを浮かべながら。


「衣、鎧、盾、光線、酒杯しゅはいの五つ。約、三分の一も使わせた。大したものだよ、アニー・ヴルガータ」


 酒杯に透明な液体を注ぎ込んだ――口へ。

 清涼な泉から汲み上げた、一滴、一滴、口元から流れ落ちる命の源、が。


「ぁー。心肺停止状態に飲ませるのは、無理だよな。救命処置、きゅうめいしょち」


 心肺停止しているアニーの唇に近づけたが、彼女は当然のように何の反応も示さない。意識がなく、口を動かすこともできない。このままでは、甘露かんろを飲ませるはできない。

 ので、

 主水は酒杯の中の甘露を自分の口に含むと。

 躊躇なく!

 アニーの唇に唇を重ね、ゆっくりと流し込んでいく。まるで神聖な儀式をしているように見せかけ、二回目の厚めの唇の感触を楽しんでいるとは、誰も思わないだろう……数名を除いて…………。


 甘露が口、喉、胃へ体内に入って数秒が過ぎた。


「ぅ」


 小さい呼吸音。

 肌の色が少しずつ血の気を帯び、呼吸も安定し始めた。アニーの体は徐々に生命力を取り戻していく。

 主水はゆっくりとその場から立ち上がり、目の前の光景に満足そうな表情を浮かべた。


「次は、傷の手当、と」


 穏やかな呼吸を確認すると。手元にある酒杯をゆっくりと傾けた、深い銃創じゅうそうに金色に輝く甘露がとろりと。まるで濃厚なシロップを傷口へ、大量に掛け広がっていく。

 甘露には強力な麻酔効果も含まれており、苦痛に苦しむことなく治療を受けることができる。


「キレイに傷、治って、よ。自分でキズモノにしたけど。責任取れないから、一夫多妻制じゃーないん、で」

 小さく呟いた。


 肉が再生し始めた。

 その様子はまるで、ホットケーキにシロップをたっぷりとかけるような動きで、アニーの体を癒していく。

 しかし、

 手つきはどこか、慎重であった。

 主水がしていることは、医療行為に近い。

 甘露は、高い回復力をもたらす。反面、対象者の身体に大きな負担になる。

 現代医学においても、適切な投薬量や治療法を見極めることが不可欠だ。例えば、抗生物質は感染症の治療に非常に効果的だが、誤った投与や過剰摂取は逆に体に害を与えることがある。

 甘露とは、外科的治療と内科的治療を同時に行う、超高度医療の一つ。

 適切に用いなければ、ただの毒となり、治療者を救うどころか危険にさらすだけ。

 主水はその特性を理解し、アニーに対して慎重に甘露を使用していた。これは、医師が患者の病状や体調を総合的に判断し、投薬量や治療行為をしているのに似ている。

 強力な治療力を最大限に発揮しながらも、その危険性を熟知しながら。いかにして、効果的かつ安全に治療をするかが重要な課題となる。


 この強力な治癒力を扱うには、異能者としての高い才が必要不可欠である。大量にかければ良いというものではなく、執刀医が患者の容態を慎重に見極めながら、適切な処置を施すかのように、甘露の効果を最大限に引き出すための技術が求められる。


 慎重に傷口の周りを甘露で満たしていく。

 深い集中の中、アニーの表情をちらりと見た。アニーの顔は平静で、麻酔効果のおかげで、痛みを感じさせていない。


 黄金のシロップは傷口に吸い込まれていき、肌は滑らかに再生していく。主水の目はその過程を追い、酒杯から甘露はまるで終わりがないかのように湧き出し、主水の手からゆっくりと流れ続けた。アニーの銃創はその甘露の力で少しずつ癒され、まるで最初からそこに傷などなかったかのような状態に戻りつつあった。

 肌が元の美しさを取り戻し、呼吸も安定し、顔の血色も良くなっており、穏やかな安堵の表情になっていた。


 主水は慎重にアニーの傷口を確認した。彼女の肌はもう完全に再生していた。甘露をたっぷりと使ったおかげで、見るからに深刻だった銃創は痕跡すら残していない。

 傷が癒えることを見届けた、ふっと息をついた。

 だが、

 その額に触れて、体温が少し高いことが気になった。


「ふぅーむぅー。自己免疫力が高まちゃうよ、ね。どうしても。悪いことでは、ないんだけど」


 つぶやき、眉をひそめる。

 甘露の強力な回復効果は、身体の自然治癒力を引き出し、再生を早めるものだが、場合によっては負担が大きすぎることもある。

 アニーの体は、その負荷に対して反応していた。


「体温、少し高いな」

 牡丹はアニーの額に、手を当て。

「主水、甘露の影響?」


「甘露の効果が発揮しているからね。体温上昇は、免疫システムが活性化している証拠だし。体がウイルスや細菌と戦う際、白血球や他の免疫細胞が活発に活動することによって、エネルギー消費が増えるため、体温が上昇しちゃうんだよ。防御反応ってヤツだ、ね」

 落ち着いた口調で説明した。


「医務室に連れて行ってあげな、よ。主水」

「これでも、けが人なんですけど? 俺よりも、たっぱも、がたいも、いいんだから、さ。桂が運んで」

「僕も王子さまに、なりたいんだけど、ね」

 首からカメラを掛けたまま、手をひらひらと振る。まるで、自分が無力であるかのような、身振り。

「ぉま、もう少し上手く、ウソつけ。じゃー、理事長が運んで。桂や俺よりも、力持ち、だし」

 牡丹はその言葉を聞くなり、両手を腰に当て、少し憤慨した表情で。

「乙女だぞ、私は。運ばれることがあっても、運ぶことはない」

 声には、軽い怒りと抗議の色が感じられた。

「はい、はい、乙女に失礼しました。おぶって運ぶから手伝いだけは、し、て、よ」


 牡丹はアニーの体に腕を回して、軽々と持ち上げた。まるで子猫を扱うように。

「よし、主水」

 手際よく背中に乗せた。


 主水は背中に当たる胸などの感触から健康的な体重だなと思いながら。デッドウェイト、意識を失った人は完全に無防備な状態で、どの方向にも重みがかかるため、持ち上げるのもバランスを取るのも難しいのに。


「理事長が運んだほうが、よくない」

「女の子だから」

 と、あっさりと返す牡丹。

 背中で主水は苦笑いするしかなかった。その力を見せつけられた後では、彼女の言い分には、説得力が。

(女の子、ね……便利な単語)

 心の中でそう呟きながら、しっかりとアニーを支えつつ、歩みを進めた。




 完全に意識を取り戻したわけではないが、体は徐々に動きを取り戻していた。

 その時!

 臀部の布が、不自然に。

 包み込む温かい感触。

 それが、手のひらであることに気づかなかった。

 衣服に擦れるナニか? ということだけは、ぼんやりとした意識のなかでも、なんとなく理解できた。

 くねらせ、逃れる。

 追従。

 後方に、ズラす。

 と、

 柔らかい張りのある――尻をガッシリと!?


「ひぃ」


 背筋に電流が走り、震えた。

 引くが。

 ふともも、ふくらはぎ、が絡んで腰が。

 肌と肌が汗によって、滑らかに触れる。


「んッ」


 ゾク、ゾク、と皮膚から伝わってくる嫌悪感。


 揉みしだいていた。


「……何してんの…………あんた?」


 弱々しいながらも怒りのこもった声で、主水に問いかけた。


「……ち、ちじょぉ――ごふっ!」


 主水が叫ぼうとしたときには、アニーは全力で頭を振り上げ、後頭部に猛烈な頭突きを見舞った。

 思わず声を漏らし、その場に倒れ込んだ。

 背中に馬乗り状態で、アニーも一緒に地面に。


「……、…………、………………」

「殺っちゃった?」


 小さな声でつぶやいたが、その表情にはまだ怒りが残っていた。

 助けるために背負っていたとはいえ、お尻を鷲掴みにされた挙句の果て、揉まれたことに対することに、我慢できる寛容な女性は希少。


 牡丹は、二人を少し離れた場所から見守っていた。

 こればっかりは、主水を擁護することができなかった。アニーの気持ちを理解しつつも、状況を和らげよう、と。


「殺ってないから気にするな。気絶しているだけだから、アニー」


 桂も、カメラを構えて二人の様子を収めながら、

「まさに王子さまの特権を味わえて、良かった、ね。主水」

 軽口とシャッター音が響く。

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