第四回:露見

歴史というものは、時としてため息をつきたくなるような人間喜劇を垣間見せてくる。


側から見れば失笑ものの出来事であっても、本人の苦悩を思えば身につまされもする。


土岐頼員(よりかず)はその夜も、半ば煩悶しながら帰路に向かっていた。


何故自分はこのような大それたことに加担してしまったのであろう。


思い返せば、幾度、幾十となく繰り返し未だ整理のつかない自問自答へと陥っていた。


きっかけは親交の深かった親戚筋の多治見国長に誘われたことから始まった。


「宮中の方々の歌合わせがあるのじゃ。いや、なになにそんな堅苦しいものではない。

適当に各々の歌を披露した後に、酒盛りで締め括るというたわいもないものよ」


都に住む武士たる者、和歌の一つでも作り宮中と繋がりを持っていなくては格好がつかぬぞ。


国長の言に、なるほど田舎侍とお公家に侮りを受けるよりはましかもしれぬと、期待と不安を入り混じらせながら出向いた。ところがー。


夜な夜な美しき女官たちに酌をされることは、最初のうちこそめくるめくような桃源郷に身を浸す思いであった。


それと背中合わせに、あるいは酒を酌み交わす度に公家や僧侶が、鎌倉の御政道を批判することに胸中穏やかになれなかった。


「相模守(北条執権職の称号。ここでは、十四代高時をさす)は、相も変わらず闘犬狂いなそうじゃ。

政に頭を使わない分、犬と一緒に鳴きわめいているとか」


「さても愚かしきことよのう。代わりを務めている長崎円喜入道に至っては、受け取りし賄賂を蔵に積み上げるのに忙しいとか。

それでこちらも御政道どころではないらしいとのこと。あほらしや、あほらしや」


公家たちのとりとめのない幕府への不満というだけなら聞き流せばすむこと。


建久三(一一九二)年に源頼朝が鎌倉に幕府を築いて以来、政治の実権は否が応でも朝廷から幕府へと移っていった。


それを不満とした後鳥羽上皇が引き起こした承久の乱が叩き潰されると、六波羅探題という朝廷を監視する機関が都に配置された。


公家方は、事実上この時より幕府に首根っこを押さえられたといっていい。不平不満が出ることは同情に値する。


(だが、それにしても幕府を倒そうなどとは……)


天と地がひっくり返るような大事を打ち明けられ、頼員は気もそぞろの思いで日々過ごすこととなった。


そのように今夜も鬱々として楽しまぬ宴に遅くまでつき合わされ、どうしたものかと思い悩みながら帰り着いた。


既に屋敷の明かりは消えている。忍び足で恐る恐る玄関へと入りかけた頼員であったが、提灯を取り落として腰を抜かした。


ボウと、微かな明かりの先に人影があった。まだ新婚間もない妻が三つ指を立てて控えていたのだ。


お帰りなさいませと、一言も発することなく。


次回、「六波羅急襲」に続く。


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