プロローグ

髻(もとどり)を切ったせいだろうか。頭が抜けるように軽い。


武士をやめるということは、俗世から足を洗うことはこんなにも晴れ晴れとした気持ちになるのか。


尊氏は人生の皮肉を噛み締めた思いだった。


母が地蔵信仰をしていたせいもあろう。世のはかなさというものを、幼い頃から感じ取っていた気がする。


もっともそれは、少年期特有の空想癖から生み出された形ばかりの空しさでしかない。


長ずるに及んでそう思い至り、家を守るため御家人の一人として鎌倉に忠誠を誓わねばという現実の声が尊氏を駆り立てていった。


あるいは自分は、六波羅を攻め滅ぼした時にでも出家していればよかったかもしれない。


二年前の正慶二(一三三三)年五月、京へ上った尊氏の軍勢は共に力を合わせるはずだった六波羅探題の軍を蹴散らした。


呼応するように、関東では同じ源氏の出である新田義貞が鎌倉を急襲。


足利・新田という有力御家人の寝返りによって、百五十年近く続いた鎌倉幕府はここに滅びた。


長年にわたって倒幕に執念を燃やしていた後醍醐天皇にとっては、まさに手を取らんばかりの大功労者といえた。


特に尊氏に対しては、当時高氏と名乗っていたこの男に、自分の名・尊治から一字を取って与えたほどの気に入りようだった。


この御方のために身を粉にして働くのも悪くはないかもしれない。


英邁といわれる帝に拝謁した時、心中そのように忠義立てていたはずの尊氏だった。


どこで歯車が狂ったのだろう。天皇を中心とした政治体制はすぐに破綻した。


武家は戦の恩賞の不平等さに内心苛立ち、農民は更に高い税を搾り取ろうとするさまに土地を捨てて逃げ出した。


これならば鎌倉幕府の頃のほうがましであった。武家の間に不満は瞬く間に広がり、期待は否が応にも尊氏へと向けられた。


武家の棟梁、源氏の血をひく家に生まれたゆえの抗い難い宿命といえた。


もはやこの身には出家も許されなかった。帝は、なにがなんでもあなた様を討たずにおれないと弟の直義が忠言した。


その一言で尊氏の気持ちは揺れた。それでもなお迷っていた。一晩考えさせてくれ。


そうつぶやいて鎌倉の建長寺にこもった。余生を過ごすはずの場所だった。


ゆらめくロウソクの灯が年の瀬の凍てつきをいや増すようであった。


来年の正月には、足利尊氏という俗名も源氏の末裔というしがらみもすべて捨て去っているつもりで出家を決意していた。


屠蘇や料理に舌鼓をうち、愛する妻子に囲まれ心穏やかに過ごす。そのような喜びさえも断ち切って帝に刃向かうまいとしたのだ。それなのにー。


いや、帝一人を責めるべきではないかもしれない。


あの御方を取り巻く公家や寺社勢力、まるで自分たちが幕府を倒したかのように大きな面をし、私腹を肥やす取り巻きがいることが問題だ。


なるほど、天皇一人ですべての政治を一手にしようとする後醍醐帝の考えはわからなくはない。


だが、しょせんは絵に描いた餅。自分たち武家がいたからこそ成し得た倒幕ではなかったかと問いたい。


仮に、と思う。この尊氏が詫びをこめて自害したとて、あの御方はなんとも思うまい。


逆賊が追い詰められて死を選んだ。その程度の認識が関の山であろう。


この際、見せしめのために足利家は滅ぼし武家などという無骨な奴輩は朝廷の親兵としてこき使うべきでありましょう。


帝の側近として専横目に余る僧文観は、片頬を歪めてもっともらしく進言するであろう。


皮肉なことに、自分たちの生活を守ってくれなくなった鎌倉幕府を攻め滅ぼしたために、足利家は、すべての武家が今存亡の危機に立たされている。


やはり隙間風が吹き込んでいたらしい。流れるようにかろうじて揺らめいていた灯がついに消えた。


闇に支配された空間において、尊氏は今の己の状況に似ていると苦笑さえした。


前に進んでも後ろに退いても行く手がわからないこの先のこと。


足利の、源氏の末裔の血をひいているということで担ぎ上げられた自分だった。だが、その一個の存在とはなんと無力で弱々しいことか。


そう、一度権力という厚着を脱ぎ捨ててしまえば人間などこれほど小さいものだ。


思い至った時ハッとした。帝とて、それは同じことではないかと。


殿、いかがなされました。いぶかしんだ警護の者たちが外から声をかけてくる。


「大事ない。明かりがただ、隙間風で吹き消されただけのこと。

それよりも誰か、直義を呼んできてくれ。もはや床に就いていようが火急の話があるゆえと断ってな」


そう命じた主人の声が意外と明るいことに安堵したのであろう。一人がハッと、駆け足で直義の寝所へと走っていった。


このような末端の者たちにまで不安な思いをさせていたのだな。自分は、なんと頼りなく情けない主であったことか。


自嘲気味に小さくつぶやいたが、その目からは迷いの色が掻き消えていた。


戦おう。勝ち目があるかどうかはわからない。座して待っていても、帝が差し向けた新田義貞の軍勢に首討たれるだけのこと。


ならば、逆賊の汚名をねじ伏せるだけの気持ちで臨もう。


わしはあなた様に刃向かいますぞ。外から差し込む月の光を見据えながら尊氏は決意を固めた。


鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇を中心としたいわゆる建武の新政により政治の実権は再び朝廷へと戻っていった。


だが、あまりにも現実離れしたやり方に武家や民衆の心は次第に朝廷から背を向け始めた。


足利尊氏の蜂起は、そのような時代の憤懣が限界に達した証だったのかもしれない。


建武二(一三三五)年十二月、尊氏がこの時重い腰を上げた瞬間再び朝廷から武家中心へと引き戻されると共に、南北朝という混迷を極めた時代へと突入していくこととなる。


※毎週金曜日連載予定。




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