第32話 亡霊覚醒


 翌朝、ギルド屋敷の縁側。


 新たな一日を告げる目映い陽の光が、地平線の彼方から登り始めている。その陽射しに照らされ、穏やかなそよ風に当たっているのは、縁側であぐらをかいて座り、丸まって眠る一匹の狐を膝の上に乗せた死神の姿。


 その後ろ姿に背後からゆっくりと近付き、朝の挨拶を投げ掛けるリューリが現れた。


「おはよう、長光くん」

「……」

「…………長光くん?えっ、ま、まさか……長光君っ!」


 反応が無い死神の肩を揺すり、慌てて声を掛けると、彼は目元を擦りながら寝ぼけた様子で挨拶を返した。


「……んぁ?あ、リューリ……おはよう」

「……はぁぁ、心臓が止まるかと思った……なんだか、すごく久し振りな感じがするよ、この感覚……」

「そうか?ところで、よく眠れた?」

「うん、お蔭様で。あの、隣、座ってもいいかな?」

「どうぞ」


 わざわざ許可を求めてから、リューリは少し緊張しているかのようにぎこちない様子で腰を下ろす。


「……朝の日差しとそよ風、気持ちいい……」

「ここに居たら、いつでも寝れる気がしてな」

「ふふ、確かにそうだね。ところで長光くん。その……身体の調子は……?」

「……体感的に、あと三日間くらいだ。その後は……どうなるかは、分からない」

「そう、なんだ……私が言えた義理じゃないけれど、あまり無理はしないでね?」

「肝に命じておく。というか……リューリ、面構えが変わったか?」


 死神が覗き込むリューリの表情には、昨日までの弱々しい様子とは大きく異なり……迷いを感じさせない凛々しいまで顔つき、淀みの欠片もない透き通るような瞳と、一人の女性としての気高さのようなモノが宿っていたのだ。


 すると、彼女は遠い地平線を仰ぎ見ながら、自分に言い聞かせるように語り始める。


「……思ったんだ。多分、今のままじゃ、実力面でも、精神面でも、私はあのグウェナエル=ジードには勝てないって」

「……!」

「彼のやり方がどれだけ卑劣なモノだったとしても、私は、自分自身の力でそれを打ち破ることが出来なかった……それは、ひとえに私の弱さのせい。曖昧な強気と、根拠のない覚悟……それだけしか持っていなかった私の未熟さが故に、私はずっと彼の策略に翻弄されるしかなかったんだ」

「……」


 リューリの語りを、死神は膝の上で眠るヨシコのさわり心地の良い頭を撫でながら、何も言わずに耳を傾ける。


 やがて、彼女の視線は死神へと向けられると、その瞳には清々しいまでの決意が宿っていった。


「だから……強くなりたい。どれだけ卑劣な策略だろうと、どれだけ強大な力だろうと、どれだけ不可能な難題だろうと……真正面から立ち向かえる位に、強くなりたい────グウェナエル=ジードも、ヨシコ=ライトセットも、そして……死神のことも、越えられるくらいに」

「……!ほー、それは大きく出たな。この死神を越える?初めてだ、俺の目の前でそんな啖呵を切ったヤツは」

「……本気、ですから」


 ようやく帰ってきた、というべきだろうか……まさに、何事にもひたむきで一生懸命なリューリらしい言葉に、死神は小さく口角を上げて、満足げに笑みを浮かべる。


 そこから先は、まるで自然に口にした言葉であるかのように、死神は顔の前に指を一本立ててから、こんなことを言い始めた。


「なら、それを成し遂げる為に俺から一つ提案がある。リューリなら、もしかすると……実現することが出来るかも知れない」





─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─





 俺が提案したのは、一つの『戦術』。


 ただ、それはあくまでも子供染みた妄想のように、想像上の幼稚な産物であり、実現する保証は何一つも無かった。それにも関わらず、リューリのたってのお願いと、ヨシコとハタの助力も後押しして、本格的にリューリの鍛練が始まることに。


 第三次実践演習まで、残り四日。


 通常、こんな短い期間で、理論の欠片もないまったく新しい戦術を産み出すのは、不可能も同然の、無謀な挑戦に等しかった。


 しかし。


 これまで、彼女が地道に積み重ねてきた努力と、三日三晩、死神、ヨシコ、ハタの下で、休む間も無く続けられた地獄も同然な鍛練の末に……。



 ────リューリは、『それ』を完成させてしまったのだ。



「……うそ……こんなことが、有り得るんですの……?」

「けーしぃ。オマエこれよぉ、ひょっとすると────とんでもねぇ怪物を産み出しちまったんじゃねぇのか?」

「……これでもまだ、全ての条件が揃った訳じゃない。ただ、一つだけ言えることは────今度の第三次実践演習がどうなるのか、いよいよ分からなくなってきたってことだ」


 紛れもない実力を持つ者たちが、顔を揃えて見つめる先には……これまでとは、別格の風格を漂わせるリューリの後ろ姿。


 かくいう俺も、外見は冷静を装ってはいたが……不意に、彼女が肩越しに向けてきた鋭い瞳と目があった瞬間、ゾクゾクゾクッと身体の奥底から、歓喜にも似た興奮が沸き上がってきた。


(間違いない。リューリが培ってきた努力や経験は、全てこの時の為に────ここに辿り着く為のモノだったんだ……!)


 リューリが『亡霊』として召喚された時から……シオドーラとの離別……皇選への立候補……死神との出会い……グウェナエルとの戦い……そして、戦う覚悟を決めた、今この時まで……。


 それらの一見バラバラに見えるピースが、どんな因果か────今、一つの美しい絵画として、芸術的に結合してしまったのだから。


「…………まだ、まだ…………これなら、もっといける気がする……」

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