第31話 無の意味
『冥土の底棲』、ギルド屋敷にて。
死神から留守番を任されたヨシコ=ライトセットは、主の帰還を待ち焦がれるように、一人、玄関ホールでウロウロと動き回っていた。
しばらくすると、玄関扉が音を立てて開かれ、ヨシコは弾かれるようにそちらへ顔を向けてから、穏やかな笑みと共にその帰りを迎える。
「……!お帰りなさいませ、主様。それに……」
扉の前には死神と、もう一人。全身を飴で濡らして小刻みに震える少女……リューリの姿が、そこにはあった。
「────お邪魔、します…………くしゅっ!」
どうやら、事は上手く運んだようだ。
水の冷たさに凍えている様子のリューリは、今やちゃんと身体を保っており、亡霊として消えそうな気配は微塵にも感じられなかった。
「いらっしゃいませ、リューリ様。ご帰還をお待ちしておりましたわ」
「ヨシコ。早速で悪いが、リューリに着替えを用意してやってくれるか?少し雨に当たり過ぎた」
「えぇ、喜んで。既に準備は整っております。さぁ、リューリ様、参りましょう。そのままでは風邪を引いてしまいますわ」
「……はい。ご迷惑を、おかけします……」
「いえいえ。主様も、お早めに身体を拭いてから着替えて下さいまし。リューリ様の着替えが終わりましたら、直ぐにお手伝いに参りますわ」
「俺のことよりも、リューリを頼む。着替えぐらい自分でも出来るからな」
「そう、ですか……分かりましたわ(こぅんっ……折角、主様の勇ましいお体を拝見できるチャンスでしたのにぃ~)」
心の中では欲望がただ漏れの従者だったが、その後は素直に主の命に従って、リューリの着替えに付き添った。
衣類を全て脱いで貰い、手拭いで雨で濡れた瑞々しい身体を拭き、代わりのバスローブに着替えてもらうと、居間に案内してから予め用意しておいた特製野菜スープを振る舞う。温かいスープを口にして血色が良くなってきたリューリを見届けてから、コッソリと主の寝室に侵入。
案の定、主に見つかると、廊下で正座の刑を受けながら、脳内に記憶した主の裸体を思い返しながら一人で妄想にいそしむのだった。
「ご褒美コゥ~ン」
─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─
身支度を整えてから、廊下に正座させておいたヨシコを連れて居間に向かうと、そこには、バスローブ姿のリューリと向かい合わせに座って談話するハタの姿があった。
俺のことを見つけた彼女は、ヒラヒラと手を振りながら、何処か自慢気な表情でマウントを取ってくる。
「よぉ、けーし。どうやら、あの時やった霊力抽出が、ここにきて役に立ったようだなぁ?んん?」
「……まぁ、そうだな」
「霊力抽出……?」
少し羞恥心を覚えてリューリから目を逸らすと、それを見ていたハタが面白がった様子で、事の詳細を語り始める。
朝比奈マリアに襲撃された時、霊力の影響を強く受けていたリューリの患部に直接噛みつき、その霊力を吸い出していたこと。その際に、『死神』という役職が持つ力が彼女の身体に染み込んでおり、それが今回の一件を解決する為の鍵になっていたのだ。
「そッ、そんなことされていたんですか、私……?」
「……ごめん」
「い、いえっ、確かに恥ずかしいけれど……そのお蔭で、私は消えなかった訳なんですよね……?」
「……そもそも、『亡霊』として現実にリューリが存在しているのは、シオドーラの霊力によるモノだった。つまり、器の中から霊力が無くなれば、亡霊は消える……」
リューリが消えそうになっていたのは、リューリ自身が自らの素性を認識し、無意識のうちに、その霊力的な繋がりを絶とうとしてしまったのが原因だろう。
シオドーラの現在の状態から察するに、霊力を供給することなんて出来なかった筈だ。
「そこで、死神の力がものを言うってわけだ。『死神』とは、『死』を司る者。『死』とは、即ち『消失』そして『無』。死神の力を応用すれば────それを、逆転させることも可能になる」
「『死の逆転』……それって……私が、一度完全に霊力が無い状態────つまり、『死』に直結した状態でなければ、実現は出来なかった……?」
「理屈ではそうなりますが、その状態になるのは極めて難しいのですわ。逆転されるのは、あくまで“概念的要素”に依存されますの。肉体的な消失や、精神的な死……例えば、身体がバラバラになったり、ショック死などの意識障害が起こった場合では、『死の逆転』は起こり得ませんわ」
「そ、それじゃあ……あの時、私は……霊力が尽きた状態で、“亡霊の概念”として消失し掛けていたから……?」
「そこに、一体どんな因果か、オマエの体内に『死神』の体液……つまりは死神の力が染み込んでいたからこそ、そいつと『死の概念』が絡み合い────奇跡的に、『死の逆転』が実現した。いやはや、図らずとはいえども、あの時、コイツのことを訪ねといて良かったなぁ?死神がその手で霊力抽出をしていなかったら……今頃、オマエはこの世界から消えていたぜ?」
「……っ!!」
当人であるとはいえ、この話はもはや鳥肌ものだ。
あの時、恥ずかしさを押し殺しながらやった霊力抽出が……まさか、彼女を概念的に救出するきっかけになるだなんて、予想だにしていなかったのだから。
今のリューリは、普通の人間と遜色ない状態、と考えて問題ないだろう。
今後は、シオドーラから霊力の供給は無くとも、一個人として生存することが出来る。ハタ曰く、世界の理から外れた極めて異例な反則技、らしいのだが……それでも、不幸中の幸い、偶然の賜物だったのは間違いない。
「ふっふっふっ……何を隠そう、このわたくしが通常よりも霊力に強い抵抗力があるのは、しかるに我が親愛なる主様の体液、もとい主様の愛が、わたくしの身体に馴染んでいる証拠なんですわっ!本当ならばもっと沢山、主様の愛液をわたくしに注いで欲しいんですけれど……」
「オイ、ヤメロ」
あぁ、何か嫌な予感……また何やら悪ノリが始まったようだ。そんなヨシコの発言に、待っていました、と言わんばかりにハタが乗っかっていく。
「んふふふっ、そんなヨッシーに朗報だぜ?実はここ最近、暇潰しに媚薬成分に加えて催眠効果が含まれた『飴』を作ったんだが、使うか?」
「暇潰しになんっつー兵器を作ってんだこの人……!?」
「……ハッ!今ここでその話題を持ち出すと言うことは……も、ももももしや、それは……我が親愛なる主様にも効果がある、と……!?」
「ぅおいっ。どーいうことだ、聞き捨てならないぞソレ」
「んふふっ、察しがいいなぁ、ヨッシー。そうだ、これからはオマエの時代だ。主導権を握る時が、満を持してやって来たみたぃんキュゥッ!?」
「ハタ様ァァァァァッ!!?」
俺が即座にハタに投げ付けたのは、手元にあった万年筆だ。それは一直線にハタの額にスコーンッと突き刺さり、彼女はその場で横転した。
「あっ、悪い。ちょっと手が滑った」
「ふっ、流石はワレの死神だ……どうやらっ、簡単に、言いなりになるつもりは、ないようだ……ぜ……(ガクッ)」
「そんなっ、『飴』を託す前に死ぬのは辞めて下さいましッ!せめて託してから勝手に死んで下さいましィィィィィィッ!!」
「お前はお前で気遣っているようでなかなか鬼畜なことを言っているな……?」
「………………ふっ……ふふふっ、あははは……っ!」
「おっ?」
そこで、不意にリューリが珍しく笑い声を上げたのに反応して、彼女の方へと目を向けるが……直ぐに、異変に気付く。
「ふふっ、ふふふ……ッ……あ、れっ……わたし、なんで……ふふっ……はッ、ぐすッ……はッ、はッ……なんで……もうッ、誰かの前じゃ、泣かないってッ……決めて、たのに……ッ…………ッ……」
「リューリ……」
笑い声を漏らしながら、一粒、また一粒と、小さな涙がその瞼から溢れ落ちていたのだ。
俺は、以前にただ一度だけ、彼女が涙する姿を見てしまったからこそ、何となく分かる。それは、彼女がずっと心の中に留めてきた、いつ弾けてもおかしくない感情の塊。吐き出したかった……捨ててしまいたかった……それでも、我慢し続けるしかなくて……これまで、自分の中に抱え続けてきたのだろう。
それを、俺たちの目の前で見せたということは……ここは、弱みを見せても大丈夫な場所、気を許すことが出来る場所……そう、認識してくれたからなのかも知れない。
目の前で、何度も目元を拭いながら啜り泣くリューリを見ていると、その場で立ち上がったハタとヨシコが俺の背中を押してきた。
「何やってんだ、けーし。ここまで連れてきたのはオマエだぞ。最後まで責任取ってやれって」
「リューリ様は、これまでのしがらみから解放されたばかりで、進むべき道が分からなくなっているんですわ。だから、いつかわたくしにもやってくれたように……指し示してあげて下さいませ」
そう言い残して、早足で居間から出ていってしまった。
二人きりで残された静かな空間で、リューリの啜り泣く声だけが聞こえる。俺は意を決して立ち上がり、泣き続ける彼女の隣にゆっくりと腰を下ろした。
「ごめん、なさい……ぐすッ……わたし……ちょっと、気が、抜けちゃってッ……」
「この世界の人々は、誰もが役職を持って生まれてくるけど……リューリみたいに、最初から役職も何もない人が自分の価値を見出だすのって、本当に難しいと思う」
「……っ……」
「だけど、それって……悲しいことなのかな?最初から何もないってことは、つまり……“これからどうなるのか分からない”、ってことだ。リューリは、何も持ってない訳じゃない……未知の可能性、数多の希望……それを手に入れるだけのチャンスがある。そういうことだと思わないか?」
「……ッ!そう、だとしてもッ……わたしッ……自分の為に、あなたを犠牲になんてッ、そんなこと……ッ」
この人は……本当に優しい人だ。
そんなことはとうの昔から知っていたが、こうして自分に対してその優しさと気遣いを直に向けられると、本当に心が温かくなる。
彼女の温かさと優しさ、溢れ落ちる涙すらもいとおしく思い、その小さな頭を慰めるように撫でながら、こう続ける。
「だからこそ、お前は未来へ進め。いつ眠りにつくかも分からなかった俺の存在が、その後押しになったとしたら……そんなにも、嬉しいことはない」
「……ッ…………わたし、でも…………できる、かな……?」
「出来る。このギルドにいる面子が……『死神』、『ザ・ワン』、『冥主』が保証する。まぁ、異端ギルドのお墨付きじゃあ、説得力も無いかも知れないけれど」
「……!……そんな、こと……ないッ…………そん、な、こ、とッ……ありが、とう……本当にッ、ありがとう、ございますッ…………うッ、ぅぁぁぁ……ッ」
それからしばらくの間……リューリは泣き続け、俺もずっと彼女の傍に寄り添い続けた。
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