第28話 悪夢の時間


「わた、しが……『亡霊』……!?」

「貴様が『ワスレス』なのは、ある意味で当然のことだったのだろう。貴様は、元々この世界の人間ではないのだから。故に、この世界では、何一つとして存在意義を持つことが出来ない、いずれは消え行くだけの存在なのだ」

「う……そ…………そんなのッ、うそだ……ッ……だって、今、わたしは……ここで、ちゃんと生きて……ッ」

「人よりも霊術に掛かり易いだけでなく……通常と比べて“怪我の回復速度が速いこと”や、“記憶障害が起こること”もまた、『亡霊』の特徴と言われている。覚えが、あるのではないのか?」

「……ッ……そんな……そん、な、の……ッ……うそ……う、そ…………い、や……ッ」


 この世界の人間ではない……存在意義を持つことが出来ない……そんな言葉が、何度も何度も私の胸を突き刺してくる。


 自分が亡霊だとしたら……いずれ消えてしまう存在ならば────これまで、私が必死になってやってきたことって…………一体、何だったというのだろうか……?


「そこで、もう一つの問題が浮上する。そもそも、“彼女が召喚したかったのは貴様だった”のだろうか?」

「…………は?」

「尋ねてみるとしようじゃないか────さぁ、シオドーラ=マキオン」


 グウェナエルに無理矢理立たされてから突き飛ばされると、私は勢い余って転倒し、彼は真っ直ぐにシオへと視線を送る。


 そこで、シオの直ぐ近くに立っていたオロフが、彼女の頬を鷲掴みにして、無理矢理私の方へとその朧気な視線を向けさせていた。


 すると、私と目が合った彼女は、ポツリポツリと、今にも消え入りそうな声で……こう言い始めるのだ。


「……………………きみじゃ、ない…………わたし、が……よびたかった、のは…………きみなんかじゃ、ない……」

「……シ……オ…………?」

「…………どう、して……じゃま、するの…………きみ、なんか……オマエ、なんか……いなければ…………ぜんぶ……ウマクいっていたかも、しれないのに……」

「…………ぃ……ゃ…………や、め……て…………おね、がい……そんな、こと……言わない、で…………シ、オ…………シ……オ……ッ…………ゃ、だ…………やだ、よ……ッ」


 聞きたくない……これ以上、彼女の声で、そんなこと聞きたくない、と……私は両耳を塞いで、その場にうずくまる。


 それは、まるで私の全てを全否定するような言葉だった。


 私が、誰よりも信頼し、誰よりも慕っている人が……私のことを恨み、呪うように、死神のように恐ろしい声色で……聞いたこともない罵声を浴びせてきたのだ。


「…………キエロ…………今スグニ、ワタシの前カラ、キエロ……キエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロ────コノ『亡霊』フゼイガァァァッ!!」

「……………………ご……め…………ん…………ごめん……なさ、い…………ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………ッ……」


 全身が竦み上がり、うずくまったまま震えが止まらない。あまりの衝撃と恐怖と絶望が頭をグチャグチャにかき混ぜて、何も考えられない。


 ただ、謝り続けた。


 シオの強烈なまでの怒りと恨みに当てられ……気付けば、悪いのは自分だと思い込んでしまったから。もう、これ以上……彼女の口から、こんなにも恐ろしい言葉を聞きたくなかったから。


 しかし。それを傍目に見ていたグウェナエルから、更なる冷酷な追い討ちを掛けられる。


「……充分だろう。護士とギルドの連中に合図を出せ────皆殺しにしろ、とな」


 あまりにも残忍な命令に、私は大きく目を見開き、グウェナエルの脚に掴みかかって懇願するように必死に声を上げた。


「ッ!?ちょッ、とッ、待ってッ!!約束が違うッ!!私が従えばッ手を出さないって……ッ!!」

「はて?約束なんぞした覚えはないが?」

「ッ!!ひ、どい……ッ!!こん、なの……ッ!!」

「いい加減に分かっただろう?『亡霊』の貴様には、最初から何も無い。何も成せず、何も守れず、ただ虚無へと消えるだけの、何の価値も、何の存在意義も無い、虚しい存在だ。精々その無力さを噛み締めながら、潔く冥土へと還るのだな」

「ぐッ、くッ……ぅッ、ぅ、ぅぅ……ッ……」

 

 駄目、だ……この男は、説得なんて通用する人間ではない。このままでは……誰もかれもが、抹殺されてしまう……私が、少しでもこの男を信じてしまったばかりに……。


 全身の力が抜けていって床に崩れ落ちると、グウェナエルは一息つくように服の汚れを払い落としていた。


「グウェナエルよォ、こいつらどォすんだァ?」

「それでも上質な女には違いない。貴様らの好きにしろ。ただ、最後にシオドーラの始末をつけるのは忘れるな。そうすれば、こちらもひとりでに消える」


 病室の仲間たちにそれだけ告げたグウェナエルは、私とシオのことを一瞥してから、その場で反転。勝ち誇った背中姿を見せながら……まるで悪夢の始まりを思わせるような扉の開閉する音を大きく響かせて、病室から立ち去っていくのだった。


「お前、どっちからヤる?」

「こっちのシオドーラってやつがいいなぁ。この小柄で引き締まった身体とか最高だろ」

「馬っ鹿お前!この亡霊の体つきの良さを見てみろって!こんな理想的な身体をしている奴ぁ、滅多に見られねぇぞ!」


 四方八方から、まるで品定めをしてくるような男たちのイヤらしい目付きを浴びせられ、全身の悪寒が止まらない。


 それよりも……グウェナエルから突き付けられた事実が、あまりにも痛くて、苦しくて……私は、マトモに状況を判断する余力すら残っていなかった。


「オイオイ、てめェらァ。どうせどっちも後は消えるだけなんだぜェ?俺らの気の済むまでよォ────両方ともヤっちまえばいい話だろォがよォッ!」

「ヒャッホォォッ!!」


 消える……?


 あぁ、そうか……私に残っている結末は、このまま消えるだけ……シオからは見放されて、この世界で戦う理由すら無くなって……私は、ただ意味もなく漂っているだけの存在……。


 そんな私が、今更どうして抗う必要があるのか……意味なんて、何一つ残っていない……もう、このまま……潔く消えてしまえば、それでいいではないか……。


 それ、なのに……。


「…………ッ……ぐッ、ッッああァァァァァァッッ!!」


 気付けば、顔を上げて……シオに群がっている獣たちへと、雄叫びを上げて突進していた。


 気力を放出することすら忘れ、己の身だけを投じた惰弱な不意討ちではあったが……まさか反撃してくるとは思わなかったのだろう、男たちはその勢いに負けて次々と押し倒されていった。


「どわっ!?」

「シオにッ、手ッ出すなッ、ァ、ァァァッッ!!」

「こ、こいつ……ッ!!」


 その隙に私はシオの身体を引きずって、男たちの集団から逃れようとする……が、所詮は多勢に無勢。


「何処へ逃げようってんだァ?」

「うぁっ!?」


 私は大人数の男たちの波に飲み込まれ、簡単に四肢を押さえ付けられると……私の身体に馬乗りになってきたオロフに、顔面を鷲掴みにされ、服を破り捨てられてしまう。


 恥ずかしがっている間もなく、オロフはニヤリと不気味な笑みを浮かべながら、私の心を容赦なく抉るような言葉を投げ掛けてきた。


「てめェはほんとに馬鹿だなァ?大した力も無ェくせによォ、そうやって馬鹿正直に他者を信じてよォ、結果裏切られてよォ、色んな奴を巻き込んで不幸にしていく……まるで疫病神じゃねェかよォ!ヒヒッ!クヒヒヒッ!!」

「……ッ!!ちッ、がう……ッ…………ちッ……がッ…………ぅ……ッ」

「大好きだぜェ?てめェやシオドーラみてェに勘違いした強さを持った、勇ましく気高い馬鹿はよォ?そういう奴ほどよォ────メチャクチャにしてやる時の快感が格段に違うからなァァァァァッ!!」

「ひッ、ぐ……ッ」


 刃物のように鋭利な言葉と共に、彼は固く握り締められた拳を振り被る。


 一方の私は、抵抗どころか、反論する気力すら沸かず、ただ、唖然とそれが振り下ろされるを眺めていた。


 ────その時だ。 


「………………ァ…………?」


 突然の出来事だった。


 辺りにゴゥッと強い突風が吹き抜けたと思ったら……目の前のオロフが白目を剥き、周りの男たちと同じ様に、次々と倒れていった。


 彼に覆い被さられる形で床に倒れていた私は、何処か馴染みのある気配を感じて、『彼』の名前を漏らす。


「…………死神、さん……?」


 その瞬間、ファゼレスト全域で……数多くの者たちが、特に霊術の心得がある者が一斉に気を失い、一時的に都市の機能が全停止するという異常事態が起こった。


 何が起こったのか、それを把握していた者は誰一人としていなかったが……後に、実際に気を失った者たちは、口を揃えてこう語っていた。



 ────大きな鎌を持った死神のような者に、首を切り裂かれたのかと思った、と。

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