第29話 せめて雨に溶けるように
ヨシコ=ライトセットが、天を貫く勢いで右足を振り上げると、ギロリッと真下を睨み下ろしてから……その脚を、一気に振り下ろす。
「────『
凄まじいまでの魔力が込められた渾身の踵落としは、眼前の空間をグニャリと歪ませながら降下。
真下に立つマシャルは、自身の腕に装着された盾を前に構えて、それを防ぐが……。
「くッ、ぅ……ッ!!」
規格外な魔力の強さによって足元の地面に無数の亀裂が走り、マシャル自身も顔を大きく歪ませて、呻き声を漏らす。
しかしながら……受け切った。
それにより、大きく後ろに跳んで距離を取ったヨシコは、さして驚いた顔も見せず、横目で周囲に転がる精鋭たちとやらを見渡しながら溜め息を吐く。
「いつまで、守りに徹しているつもりですの?もう、あなた以外に立っている者は一人も居ないというのに。護士が、聞いて呆れますわ」
「はぁ、はぁ…………私は護士を守る為に、ここにいる訳じゃない。だけど、そうね……少しだけ────“意識を変えて”やってみようかしら」
そう言ってマシャルが顔を上げた瞬間……彼女の周囲から突風が吹き抜ける。
気配が、一変した。
それを目の当たりにしたヨシコは、大きく目を見開くと、初めて警戒をあらわにしてマシャルを睨み付けた。
「……癪に障りますわね、本気ではなかったなんて」
「今なら、その期待に添えられるわ。あなたをこの手で打ち砕き、今度こそ死神を……」
勝負は、むしろここから。
本当の意味で戦闘体勢に入ったマシャルと、警戒体勢を見せたヨシコが、お互いに地面を踏み締めて飛び出そうとした……その時だ。
「な……っ!?」
「これは……!」
まるで、心臓を直接殴り付けられたようなおぞましいまでの『圧』が、周囲に……いいや、世界へと発せられた。
瞬間、両者の身体にブワッと全身から嫌な汗が滲み、思わずといった様子で足を止める。
すると、屋敷の扉がゆっくりと開かれ、その中から……何やら、少しだけ息を切らせた様子の、死神その人が姿を現した。
「……主様」
「少し出掛けてくる。留守は任せた」
「ですが…………いえ、承知致しましたわ。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
ヨシコに見送られて死神は緩やかな足取りで歩き出し、そのままマシャルには目もくれずに脇を通り抜けていく。
その時、マシャルは何か言いたげに口を開いたが……どこか悔しそうな表情のまま視線を落とし、小さく消え入りそうな声で、こう呟くのだった。
「…………ばか……」
─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─
グウェナエルたちは、予め邪魔が入らないように、施設の従業員や療養者を一人残らず拘束していたらしい。少なくとも、誰も怪我はしていなかったようだが……私を貶める為に、ここまでのことをするなんて、その執念さには恐れ入る。
「異端ギルドの連中は、私が責任を持って執行部に連行しよう。後のことは任せておいてくれたまえ」
そう言うのは、エルトンから協力要請を受けて、駆け付けてくれたイェレ教授だった。どうやら、早理教授の見舞いをしていた時に、エルトンが酷く息を切らした様子で現れて、事の顛末を語ってくれたらしい。
「……はい、よろしくお願いします……それと……シオのことも、お願い出来ますか……?」
「それは構わんが……君はどうするつもりかね?」
「……分かりません……もう、何でもいいんです……」
施設から出ると、外は既に土砂降り。
絶え間なく激しい雨が降り注いでいたが……そんなことは気にも止めず、全身ずぶ濡れになりながら、フラフラとぬかるんだ大地を歩き始めた。行き先は……分からない。ただ、自身の本能の赴くままに、雨に打たれながら無心で進み続ける。
そうしてしばらく歩いていると、ふと、自分の身体に起きている変化に気付いた。
(…………身体……消えかけてる……)
腕、胴体、脚先まで、自分の来ている衣類ごと半透明に……いいや、消滅しかけていたのだ。身体から滴り落ちる雫よりも、ぬかるみで汚れた泥よりも、更に薄くなっていく。
だが不思議と、すんなりと受け入れていた。私は、このまま消える……だって、『亡霊』なんだから……なにも、おかしいことはない。
雨が降り注ぐ世界の中心で、人知れず消滅しかけている私は、薄らと開いた瞳を天へと向け、静かにその時を待った…………その時だ。
「────リューリさん!」
聞き覚えのある声と共に雨水を踏み鳴らす音が聞こえてくる。感情が揺れ動くこともなく、ゆっくりとそちらへ視線を向けると……傘を差して、こちらへ駆け寄ってくる長光圭志の姿があった。
「…………長光君……?」
「どうしたの、そのままじゃ風邪引いちゃうよ?早く、屋根のあるところまで避難して……」
「…………もう、いいよ……」
「……え?もういいって、何が……?」
雨を遮る傘の下、不思議そうに首を傾げる彼の顔を見上げて……私は、胸の中にあった確信を持ってして、ハッキリとこう告げた。
「────あなた、死神さんでしょ……?」
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