第5話 役職と熟練度




 その日の放課後、いつものように机に突っ伏して居眠りしている長光圭志の傍に、一人のブカブカな白衣を羽織った幼女がやって来た。


 この早理教室の学生たちよりも遥かに小柄な幼児体型の少女は、早理優羽はやりゆう


 何を隠そう、早理教室で学生たちに一般教養の授業をしている教授その人なのである。


 彼女の役職はLys55の『教師』であり、齢九才にして教授の任を請け負う秀才。幼くも、教育への熱意や分かりやすい講義から、学生たちの人気はとても高く、彼女の担当する早理教室は毎日のように満席となっている程だ。


「……忠告した筈ですよー、長光圭志さん?次、授業中に居眠りしているのを見つけたら、覚悟をしておくようにとー」


 今、早理の小さな手には、彼女の身体よりも遥かに大きな黒板が握られていた。


 彼女は、一度だけニッコリと満面の笑みを浮かべると……それを何の躊躇もなく、居眠りする圭志の頭めがけて、思い切り叩き落としたのである。


「どぶぇッ!!?」

「きゃぁぁっ!?長光くんっ!?」


 凄まじい音を立てて黒板と机に挟まれた圭志は、妙な悲鳴を漏らして沈黙。


 一方の早理は、呆れたように溜め息を吐きながら、パンパンと手に付いたチョークの粉を払い落としていた。


「ふーっ、まったく。先生はガッカリですよー、長光圭志さん。あれだけ反省した風な態度を見せておきながら、授業の最初から最後まで居眠りをかますだなんてー……もう、私、怒りで脳みそが沸騰しちゃいそうでしたからねー?」

「………………ぐぅ」


 この状況下で寝るのか、ってツッコミを入れたくなる位に潔く寝ている。それを目の当たりにした早理は、目元をヒクヒクと痙攣させてから、いよいよ本腰を入れて動きだした。


「ほーー、それは煽りですねー?煽りなんですねー?なるほどー、黒板だけでは物足りないとー。はいはい、そうですか、分かりましたー……確か外の物置にスレッジハンマーがー……」


 ヤバい、殺人事件が起こる。


 そう直感した私は、大慌てて早理教授へと制止の声を上げた。


「教授ーーっ!!早まらないで下さいっ!!それ武器ですからっ!!人を確実に殺せる武器で教育は辞めてあげて下さいっ!!」

「はっ!確かに……私としたことが、少々熱くなり過ぎてしまったようですねー」

「そ、そうだ!早理教授、確かこの後に定例会議があるって言ってませんでしたか?急いで向かわれた方がいいと思います!長光くんには、私からキツく言っておきますから!」

「あー、そう言われてみればそうでしたねー。仕方がありません。ここはリューリさんに任せますー。でーすーがー、彼には後程私の研究室に来るように伝えておいて下さいー。良いですねー?」

「は、はいっ!承りましたっ!」


 ビシィッと一糸乱れぬ敬礼をして、去り際もブツブツと文句を口にする早理教授を見送ると、ようやく一安心。黒板をどかして、長光くんに傷がないことを確認すると、額の汗を拭いながら彼に問い掛ける。


 それにしても……案外頑丈な身体をしているなぁ、この人……。 


「……ふーっ、まったくもう……長光くん、ちょっと寝過ぎだよ。そんなに眠たかったの?また夜更かし?」

「…………しちゃったね、夜更かし……あと五時間ぐらい、寝させて下さい……」

「昼夜逆転どころか生活リズムが完全に狂っちゃってるよ、長光くん……?」


 見たところ不健康という訳でも無さそうだし、ただ眠いだけのようだが……人間って、普通こんなに眠れるものなのだろうか。


 そんなことを考えながら、ボンヤリと彼の寝顔を眺めていると、一人の女子学生が手を振りながら親しげに声を掛けてきた。


「リューリ!今日、一緒に帰らない?大通りに新しい露店が出来たんだって!」


 この小洒落た雰囲気のフレンドリーな少女は、朝比奈マリア。

 シオの幼なじみだったらしく、『皇選』に立候補した私のことを何かと気にかけてくれる、私たちの数少ない理解者だ。


「あっ、マリア。ごめん、今日はどうしても外せない用事があって、早く帰らないといけないから……」

「そっかー……それは残念」


 マリアが残念そうに肩を落としたところで……教室の外側の廊下が、何やら騒がしくなってきた。


 どうやら、人だかりが出来ているようだ。


 その中心には、白い獣耳とフサフサで大きな尻尾を生やした高身長の女獣人が揉みくしゃにされている。女獣人は軽くあしらっているが、男女関係なく、握手や対話を求められている姿を見る限り、相当の人気者であることがよく分かる。


「あの人って、確か……」

「『皇選』の立候補者の一人、『獣人』のヨシコ=ライトセットだね。多分、あの人こそが、リューリにとっては最大の壁になるんじゃないかな?」

「……ヨシコ=ライトセット……世界最高峰の熟練度を持つ、『ザ・ワン』の一人……」


 熟練度は、主に四つの段階で区切られている。


 下位から、オーディナリ、デクスト、マスター、そして、ザ・ワン、だ。


 大半の人は、生涯を通してデクストで留まることが殆どなのだが……中には達人(マスター)の域まで到達する者も、僅かながらにもいる。その中でも、更に上位の領域に至った者が『ザ・ワン』と呼ばれ、全世界でもほんの数人しか居ないと言われているのだ。


 あの白髪の狐人、ヨシコ=ライトセットはその内の一人。例え、どんな勝負事においても、熟練度に関しては彼女の右に出る者は誰も居ないだろう。


「そういうリューリは、最近の調子はどう?実戦演習に向けた特訓は上手くいってる?」

「……それが……あまり、身が入らなくて……」


 苦笑いを浮かべてそう答えると、マリアは私の肩に手を置いて、心配そうに微笑みかけてくれた。


「何か力になれることがあったら、いつでも言ってよ?シオの親友として、出来る限りのことは幾らでも協力する。それに、きっと……シオも、ずっと応援していると思うからさ」

「……うん、ありがとう」





─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─◆─





 日の沈み始めた時刻。


 大通りから外れた路地裏にて……見るも無惨な光景が広がっていた。数十人にも渡る男女が、裸体の状態で、まるで死体のように乱雑に転がっていたのだ。


 ただ、彼らは死んでいる訳ではない。


 『Lys1』……即ち、何らかの手段でLysが抜き取られてしまい昏睡状態になっている、といったところだろう。


「『レイヤーズ狩り』……どんどん、被害が増えていくッスね……」

「えぇ。それにこの調子だと、事件を引き起こしている犯人……『悪性持ち』は、既に相当成長している筈よ」


 『悪性役職』。


 他者を傷付け、他者を貶めることで、飛躍的に熟練度が向上していく役職。人々から忌み嫌われ、皇国からも危険人物認定を受けて厳罰、監禁の対象に当たる。例の『死神』を筆頭に近年は急増加しており、皇室の悩みの種となっている。


 一度『悪性』が覚醒すれば、二度とそれを消し去ることは出来ないと言われており、人々は他人を不用意に傷付けることを強く恐れている。それは、『悪性』持ちの人間に対しても同等だ。例え相手が『悪性』持ちであろうとも、不用意に傷付ければ、自身が『悪性』に覚醒する恐れがある……だから、誰もかれもが『悪性』持ちとなった人間を強く避ける。


 『悪性』に抗った結果、自分まで『悪性』になってしまう可能性が限りなく高いから。まるで、感染率の高い病原菌のように。


「ひぃぃ……このままじゃ、夜も怖くて迂闊に出歩けないッスよぉ……」

「護る側の人間が情けない……どちらにせよ、危険であることに変わりはないわ。本部にも通達して、早急に対策を練るわよ。『悪性持ち』は、根絶しなければならない……例え、そこにどんな理由があろうとも」

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