第20話 なあ悠太

「このトンネル抜けたらもう海見えるぞ」

「海だって。なあ悠太」

「あきゃきゃっ!」


 海を見たことがあるか無いかと訊かれたら。

 無いと答えると思う。

 ぱっと視界が開けて。

 太陽の光できらきらしてる青い海なんか。

 見たこと無い。


「わ……」

「どうだシゲ。久和瀬の海だ。父さんはここで育ったんだぜ」


 父さんは得意気だった。単純に、久々に家族で旅行のような感じなんだ。

 僕だってテンション上がるもの。


——


 家から、車で2時間くらいだ。お墓参りをしたらちょうどお昼。今は10時52分。


「へえ、海が見えるね」

「良いだろ」


 丘の上に、墓地があった。父さんの案内に付いていく。その頂上で、止まって。


「……これだ」

「!」


 ひとつのお墓の前に来た。


『秋山家之墓』


「あきやま……?」

「私の旧姓よ」

「!」


 ぽつりと出た質問に、母さんが答えた。


「ここにはな、シゲ」


 父さんがゆっくり説明する。母さんは悠太を乗せたベビーカーを僕に預けて、お墓の前でしゃがみ込んだ。

 目を閉じて。両手を合わせた。


「お前の本当の母親が眠ってる」

「!!」


 ねえさん、と。母さんから小さく聴こえた。

 予想は。


「………………どういう」


 してたけど。

 でもそれは、母さんが母さんじゃない、ってところまでだ。

 『死んでるし母さんのお姉さん?』だなんて。


「こと…………?」


 意味が分からない。


「秋山明里(あかり)。それがお前を産んだ女性の名前だ」

「……!!」

「父さんはこの人と、結婚してない。……その前に。お前を産んですぐ、交通事故で亡くなった」

「そんな……!」


 墓石の横に。確かに、明里と書いてある。享年二十、と。


「だから私は、血縁的には『叔母』なのよ。本当は」

「………………」


 もしかしたら、母さんと血が繋がってないんじゃないかって、思ってたけど。

 僕の実母ではなかったけど。でも全く血が繋がってない訳でもなかった。


「……父さんは、なんで母さんと結婚したの?」


 それがまず、気になった。自分の子を産んだ女性が亡くなったからといって。その妹と結婚するだろうか。普通。


「お父さんじゃないわ。私が懇願したの」

「!」

「…………」


 母さんは、しゃがんで、顔を手で覆ったまま。応えた。


「私の半身とも思えた双子の姉の、大切な息子を放っておけなかった。……私も、勝重さんが好きだった。…………『代わりをさせてください』と、泣き付いたのは私」

「…………」


 父さんは何も言わない。本当なのか。


「だけど。なのに」


 母さんは、立ち上がって。

 僕に。それと父さんに。


「!」

「私は貴方に対して、上手く『母親』ができなかった。貴方に対して、上手く『妻』ができなかった。悠太を産んだ時にそれが分かったのに、直ちに謝ろうとしなかった。改善しようとしなかった」


 深く深く頭を下げた。


「ごめんなさい」

「……!」


 突然のことで。情報が多すぎて。僕は口をパクパクしたまま固まった。どう返事をすれば良いのか。全く分からない。


「…………シゲ」

「!」


 父さんもしばらく黙っていたけど、沈黙を破った。


「母さんのこと、嫌いか?」

「!」


 今。

 それを訊かれて。

 首を縦になんか振れないじゃないか。


「嫌いじゃないよ。どうして冷たいんだろうって思ったことはあるけど。嫌いだと思ったことは無いよ」

「……そうだな。……母さん」

「はい」


 呼ばれて、母さんも頭を上げる。申し訳ない表情だ。見ていられないほど。


「シゲは優しいな」

「……はい。貴方に似て」

「俺は家に居なかった。シゲを優しく育てたのは母さんだ」

「……っ」


 泣きそうになった。


「どうだ? シゲ」

「………………」


 崩れる母さん。僕は、ひとつ息を吐いて、周りを見回した。

 風が吹いた。潮風だ。浜の方から。

 山は緑が生い茂っていて、そっちの方でも楽しそうだ。海水浴も良いけど、ハイキングも空気が綺麗で良さそう。

 良い環境で。ふたりは育ったんだなあ。


「父さんは、母さんのこと、愛してる?」

「勿論だ」

「!」


 うっ、と。また母さんが。

 訊いた僕も恥ずかしかったのに。父さんは恥ずかしげもなく、即答した。

 なのに離婚なんて、おかしいじゃないか。


「僕はもう、16だから。僕のことはそんなに考えなくて良いよ」

「ん?」


 家庭内に『不和』は。

 本当にあったんだろうか。なあ悠太。車でははしゃいでたのに、こっちへ着くと大人しくなったな。今日のこと、忘れちゃうんだろうな。


「離婚は絶対、して欲しくないってこと」

「!」


 ふたりとも。僕の目を同時に見た。父さんは驚いて。母さんは泣きながら。


「父さんだって、仕事が忙しいかもしれないけど。『良い父親』かと言うと分からない。僕だって、母さんにとって『良い息子』じゃなかったと思う。なんか、母さんだけ悲しそうにするのは違う。母さんばかり泣くのは、違うと思う」

「…………そうだな。俺は仕事を言い訳に、子育てを母さんに丸投げした。専業主婦だからって、甘えすぎたんだろう。母さんがどんな気持ちで居たかを、考えてなかった」


 父さんは、そう頷いて。

 母さんの正面に立って、頭を下げた。


「16年間、済まなかった。子を産んでもない君に、『母親』を押し付けてしまった」

「…………!! 勝重、さん……っ!」


 なあ悠太。

 お前が大きくなったら。なんて説明しよう。どう教えてあげようか。

 僕らの【両親】のこと。

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