第9話

 ————ただ、生きていてくれれば……それだけでよかったのに。


「どういうことだっっっ!!!!!!!!!」

「落ち着け栄真!」

 帰宅するなり怒鳴られ、恵にはわけがわからない。

 仕事用鞄と夕飯用の買い物袋を放り投げて、暴れかねん勢いの栄真の肩を支えて、なるだけ穏やかな声で訊ねた。

「いったいどうしたんだ?」

 興奮状態だった栄真も、恵の声で少し落ち着きを取り戻し始めた。そしてぽつりぽつりと、たどたどしい説明がかすかな声だが聴き取れた。

「黄蓮の……ジジィから、きいた……」

「……!」

 黄蓮局長は気の短いタイプだ。

 いずれは局長が栄真に直接『契約』をさせるだろうと、予測は立てていたのだが……。

 どうも対応が後手後手に回ってしまったようだ、と恵は心中で猛省せざるを得ない。

「コユリは……あいつは……っ」

 違う、と否定して欲しそうにせがむ栄真には、もう真実を伝えなくてはならないときがきた。

 恵はなるべく穏やかな口調で、事の顛末を語り出す。

機械人形ドルチェ部品パーツが不足しているのは、お前も知ってるな?」

 言葉の代わりに頷く返事がきたことを確認し、恵は話を続けた。

「第四世代……いわゆる《ショコラトル・シリーズ》はその部品不足を補うために、これまで廃棄された機械人形ドルチェの部品を再利用した初めてのシリーズだ」

《レザーフェイス》事件の結果として、東京都をはじめとした首都圏は様々なものを縮小させざるを得なくなった。

 公共交通機関やインターネット回線、様々な工業製品が首都圏から消えかけている。

 そのなかでも神奈川エリアは鉄鋼業を盛り上げ、機械人形ドルチェの部品も神奈川エリア製がほとんどを占めていた。

 だが、その生産に追いつかないほど機械人形ドルチェの需要が増え、コユリたちのような戦闘用ですら製作が危ぶまれる状況となっている。

 ゆえに最新の第四世代ショコラトル・シリーズ規格では、廃棄処分となった前世代の部品を再利用することになった。

 基盤や回路自体はまったく違う規格だが、前世代の部品に合わせて、設計図から新規で作り直されている。

「ショコラの核以外のパーツは、すべてコユリのパーツでできている。脳も……」

 ここから先は彼に言いづらい。

 しかしもう、隠し立てをしてはいけない。恵も栄真と向き合わなければならないのだ————あの日のように。

 ぐっと唇に力を込め、自分の感情はなるべく圧し殺す。

 こちらが冷静にならなければいけない。彼にとっては酷な話なのだから。

「試作機であるショコラに限っては、コユリのものが再利用されている」

 ということはこの《ショコラトル・シリーズ》という壮大な夢物語は、コユリが死ぬ前から……少なくとも一年以上前から計画されていたという真実が、この場で暗に示されている。

 もしかしたらコユリは、そのために————?

 栄真の疑念をなるべく晴らすため、恵は話を続けた。

「理由はいろいろあるが、第一に心停止したばかりのヒトの脳より、機械の身体と馴染んだ脳の方が処理能力が断然に違うという検証結果に由来している」

 臓器移植と同じ原理、と考えれば合点がいくだろう。

 機械人形ドルチェに積まれた脳が自分自身の身体の一部と認識できなければ、拒否反応を起こす。それは新しい部品を使って製作された製品もあることだ。

 ならば過去に機械人形ドルチェとして機能していた脳を積めば、拒否反応の確率は低くなるだろう————という仮説を元に生まれたのが、第四世代だ。

「ショコラにはある程度の説明はしてあるが、お前とコユリとのことは伏せてある」

 このシリーズに併せて新しく生み出された技術こそが、 “脳のアンインストール”。

 ショコラがコユリの脳を持ちながらも彼女のことを知らないのは、『アンインストールされたコユリの脳』だからだ。

 つまり————『木下コユリ』という存在は、この世から完全に消去されてしまったのだ。

「すまない」

 恵は栄真に頭を深く、深く下げた。

「この規格を通したのは、完全にオレの責任だ。お前が喜ぶと……勘違いしていた」

 コユリは死んでしまったが、コユリの一部が活きているとわかれば励みになるのでは————そんな思い違いをしていたなんて、吐き気がする。

「だが」と言い訳を許されるはずもなく。

「こんなのっ、〈レザークラフト〉やつらと一緒じゃないか!!」

 栄真にされるがままに、恵は身体を思い切り壁に叩きつけられ、揺さぶられる。

 こんなことでしか、彼の怒りを受け止めることができない自分が不甲斐ない————血が出るまで唇を噛み締め、栄真の悲痛な叫びを聴き続ける。

「コユリは物じゃない!」

 壁を殴り続ける栄真の拳から血が溢れてきた。片一方の手は恵の胸倉を掴んでいる。その手は力を込めすぎて、肌の色すら変化していた。

「『コユリ』は……ショコラじゃない……っ!!」

 ————この子が一番、正しいじゃないか。

 いったいオレはなんのために、機械人形ドルチェなどという悲しい存在を造ったのか。

〈レザークラフト〉との戦争を終わらせるために犠牲を生むなど、馬鹿げている。それこそ正教会に与したいほどに、自分の仕事が嫌になる。

「……そうだな、すまない」

 久しぶりに泣きじゃくる栄真の背中をさすった。

 あの日から比べると随分と大きくなったはずなのに……いまはなんだか、小さく感じる。

「栄真————」

 あの日に出会った小さな少年は、また傷ついたのだ。

「もう、戦えなんて言わないよ」

 なんでもよかったんだ。

 君が歩き出してくれるなら、それがたとえ『過去』でもよかったんだ。

 募る想いはあれど、雨のようにいつか晴れると信じてみたい。

 雨はどんどん、どんどんと降り注いで、墓都市全体を湿らせていく。傘はなくともいつか晴れるはずだと、みな信じて歩くのだ。


 あの日に誓った約束は、果たせるものだったのだろうか。否————


 ————『オレは今日から、君の味方になるよ。たとえ世界が全部敵に回ったとしても、オレは君の味方でいる。それだけは、頭の片隅で覚えていてくれ』


 約束は、形にすらならなかったのかもしれない。



 

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