第8話

起床のアラームとともに瞼を開けると、いつもと同じように朝日が窓から差し込んでいた。

栄真はアラーム音を大音量で響かせる携帯端末を操作して音を止め、ベッドに投げてから顔を洗いに洗面所へ向かった。

鏡の中の自分と向き合うと、なんとも言えない悲しさが込み上げる。

「…………」

幸は薄そうだし、瞳はだらしなく垂れ下がって濁っているし、頬は痩せこけて逃亡犯の顔みたいだし、非イケメンだし。

「散々だな」と自己評価を口にする直前。

「ツバキはお人好しね」

背後から聴こえてきた少女の言葉に、栄真は疑問を投げかけるかのように振り向いた。

少女————ショコラ・ショコラトルは昨日と同じ赤と茶色を基調としたミニドレスを身にまとい、ミルクティー色の髪を赤いリボンで兎のように高い位置でふたつに括っている。

長い睫毛に縁取られた勝ち気そうなワインレッドの瞳は、どうしてかコユリとは似ても似つかない。

顔の造形も髪の色も同じなのに、不思議な話だ。

ぼんやりと昨日の出来事を思い返していると、

「あなたのこと……ワタシのことさえも、自分のみたいに大事に想っている」

と、先ほどの答えらしきものを不服そうに吐き出した。

「なにが言いたいんだ?」と言い返すその前に。

ショコラはスタスタとダイニングキッチンへ進み、テーブルの上を指し示した。

そこにはカリカリに焼かれたベーコンと目玉焼き、生野菜のサラダ、均等に切られたバケット、手作りのコーンポタージュが入った小鍋、栄真専用のマグカップ、お箸類まで綺麗にセットされていた。

もちろんすべて恵が用意したものだ。

ちなみに昼食は冷蔵庫に入っていて、レンジでチンすればすぐ食べられる。

仕事だろうが夜勤明けだろうが、恵は毎日欠かすことなく栄真の食事を栄養バランス抜群で用意してくれていた。

「甘えすぎじゃない?」

ご丁寧に置かれたクリームバターを塗ってバケットをひと切れ口にしながら、ショコラは栄真を詰る。

「ツバキはあなたの父親でも兄でもないんでしょ? それどころか、ほとんど赤の他人だっていうじゃない」

「大の大人が聴いて呆れる」と溜め息を吐いて、今度はコーンポタージュを啜った。栄真の怒りなど無視して。

「っお前に……っ」

 ————なにがわかるんだ。

コユリを喪った悲しみを、実の両親に見捨てられた不幸を、お前が理解したとでもいうのか。

 ————『「もうっ、栄真くんはホントに甘えんぼさんだよねっ! そんなとこもいいんだけど!」』

こんなときコユリだったら、きっとそう言うだろうと考えてしまった。目の前の少女と、コユリを比較して。

「……最低だ、俺は」

どんなに似ていても、コユリとショコラは違うひと。比べる方が間違っているし、失礼な話だ。

栄真の呟きの意図を把握しきれてないショコラは、怪訝な顔で栄真を眺めるだけ。

しばらくふたりきりの空間が続いたと思いきや。

「まだこの穴ぐらにいたのか」

「ジジィ……っ」

玄関が施錠されていなかったのだろうか。黄蓮おうれん局長が現れ、アパートの狭さと古さに辟易とした顔を浮かべては文句を言っている。

「まったく……椿君の過保護も痛々しいものだ」

テーブルの上に並んでいる恵お手製朝食を妙な顔で睨みつけて、そんな文句を垂らしていた。

大方、口にしたのは建前で、「食い物すら粗末だ」くらいのことでも、心中で更に失礼な文句を言っていたのだろう。

「ところで花竹君」

靴下にへばりついた埃をわざとらしく気にしながら、黄蓮局長は相変わらずの傲慢さで栄真へ訊ねる。

「契約がまだのようだが、いったいなにをしていたのだね?」

————『契約』?

機械人形ドルチェを初使用する際に行う調整を『契約』と呼ぶのは黄蓮局長や恵のような研究者だけでなく、広く一般で使われる用語だ。

契約をして使用者と機械人形ドルチェのデータが局内のコンピュータに記録されれば、戦闘データを取ることができる。

黄蓮局長は栄真に、新しい機械人形ドルチェと契約させて復帰を要求しているのだ。

————椿アイツの言った通りだ。

黄蓮局長はまだグチグチと恵に対する文句を永遠のように垂れながら、

「せっかくわざわざ苦労してこの人形を用意したのに、これではまったく無駄骨ではないか」

と漏らした。

「どういう意味だ?」

栄真の瞳に鋭さが現れ、黄蓮局長の胸倉を思い切り握りしめた。

『この人形』は十中八九ショコラのこと。では————『わざわざ苦労して用意した』とは。

「なんだね、君はそれすら知らされていないのか」

黄蓮局長は栄真の気迫に少し怯えながらも、相変わらずのねっとりと粘度の高い嫌味を続ける。

「まったく、椿君にもいよいよ呆れてしまう。これだから若造はっ————!?」

胸倉を掴まれたまま勢いよく壁に殴りつけられた黄蓮局長は、顔面蒼白だった。

栄真は黄蓮局長の首を絞め上げ、怒りのままに叫ぶ。

「なんでもいいからさっさと言えっっ!! どういうことだ!?」


恵は椿研究室ラボでいつも通り仕事をこなし、自分で代用コーヒーを淹れてブレイクタイム中だった。

代用コーヒーの黒っぽい水面を見つめながら昨日のことを反芻し、

「いつまでも、子供じゃないんだよな……」

呟く。

栄真を思って内緒にしていたつもりだった。

彼が知ったらショックを受けるだろうと、彼のこころを守るつもりでいた。

しかしそれはもはや、『彼のため』ではなく【自分のため】なのかもしれない。そう考え直す。

 ————帰ったら……。

帰ったら真実を伝えよう。

決心してもうひと仕事を終え、安普請の我が家に帰宅した。

「ただいま栄真。手を洗ってから飯の支度を……って、どうした?」

夜を迎えて暗くなった室内なのに、明かりは付いていない。しかし栄真はダイニングテーブルに座っていた。

用意してから出たはずの朝食には、ほとんど手をつけられていない。

「…………いう、ことだ……」

「栄真?」

恵が駆け寄った瞬間、栄真は思い切り立ち上がった。ダイニングテーブルとセットの椅子が勢いに負けて倒れ、大きな音を響かせる。

「どういうことだっっっ!!!!!!!!!」

栄真の咆哮が、真っ暗なダイニングに反響した。

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