第7話

 初めて栄真と出会ったときのことは、恵もよく覚えている。残暑が厳しい京都の実家、ヒグラシが鳴き始めたくらいの頃だった。

 恵はまだ二十代もようやっと半ばに入り、仕事でも着実に上へ邁進していた。そんな頃に突如として、叔母からのお呼び出しを食らったのだ。

 椿家は旧家というプライドが高く、恵はそれが苦手なために、成人してからは寄り付かなくなっていた。

 叔母もまた、そんな椿家に染まりきった人間だ。

 実母を早くに亡くしてから世話になってきたが、どうしても好きになれない。

 だからこれが、社会人になって初めての帰省になる。

 ————その久しぶりの帰省で、まさか子供ガキを押し付けられるとはな……。

 従弟にあたる子だというその少年は、妙にやつれていて、瞳も濁っていてなにもかもを拒絶していた。栄養失調も起こしているらしく、手足はまるで枝のよう。

 きっと何事もなければ、明るく笑うやんちゃで元気な子だったろう……そんな印象だ。

 まいった、と頭をボリボリ掻き始めたら、叔母に臀を引っぱたかれた。

『「はじめまして、栄真くん」』

 仕方なしに定型文的な引き攣った笑顔で挨拶をし、握手をしようと右手を差し出した。しかし少年はなにも反応しない。

 無視をしている、というよりは。

 ————『感情が死んでる』……ってか?

 ここに来るまでになにがあったのかは、叔母から大雑把に聴かされている。しかしこんな風になってしまうほどの、壮絶なものとは恵の予想外だった。

 だからこそ。

 ————こんなの、オレにどうしろっていうんだよ……。

 子供の扱いは苦手だし、気遣いなんかしたことないし、誰かの世話をしたことなんかもない。

 でもやれと、叔母が鋭く目で訴えている。なにがなんでもやれと。

 溜め息ひとつ、呑み込んで。

『「今日からオレのことは、親父とでも兄とでも、近所のお兄さんでもいい。好きに思ってくれ」』

 関係性はハッキリさせない方がいいだろう、これが恵にてきる最低限の気遣いだ。

『「だけど、ひとつだけ約束しようか」』————

 彼が人としてあるべくための、最低限の約束を。


 ————「彼、ワタシを人形とか言わないのね」

 栄真がいなくなった研究室ラボで、ショコラが呟いた。彼が残していった砂糖なしカフェオレをひと口拝借し、「ニガー」と不快そうに歯ぎしりする。

「まるで、ひとりの人間みたいに扱う」

 ガムシロップを三個ほど入れて掻き混ぜて、残りを頂戴した。

 栄真は一度として、ショコラを【機械】としてではなく、『人間』として話していた。彼女には、それが不思議でならない。

 だが。

「アイツはそういうヤツなんだ」

 恵は含み笑いを浮かべながらブラックコーヒーをひと口啜り、胸ポケットから愛用の煙草を取り出す。安っぽい百円ライターで火を点けて、願いとともに吐き出した。

「だから……少しずつでいい、仲良くしてやってくれ」

 いまの栄真に必要なものを、保護者として最低限、与えてやらねばならない。

 彼は人間関係に関して、あまりにも未熟な子供だ。なにせ恵以外でまともな関わりをした人物といえば、コユリ以外にいない。

 しかし、そのコユリはもういない。

 だったら代わりをあてがって、成長を促さねばならない。

「……気に入らない」

 ショコラは甘味を足したカフェオレを飲み干し、唇を尖らせた。

 恵の思惑のことを指しているのか、もしくは————。

「彼とワタシは合わないわ」

「味の好みもね」と冗談めかして付け足すが、どうも恵の思惑通りには動く気ないぞという意思表示のようにも聴こえる。

 しかし恵も、伊達に彼らと接してきたわけではない。

「お前たちは初対面のはずだが、その割にずいぶんと話し込んだみたいだな?」

「っ!! べつにそんなんじゃっ……」

 ショコラは顔を真っ赤に染めて、言葉では必死に否定する。

 ショコラという少女は、言葉とは裏腹にわかりやすい性格をしている。それを知っているのは設計士だからではなく、恵なりに彼女と真摯に接してきたゆえ。

 だからこその。

「その花……ハルジオンか。好きなのか?」

 ————確か……コユリも好きだったな。

 ハルジオンの甘い香りを漂わせて、栄真はまるでその匂いに吸い寄せられようにコユリを追っていた。いまも————。

「べつに。ただの拾い物よ」

 そうつっけんどんに言いつつも、ショコラはハルジオンの花を机の上へ丁寧に活けてから、椿研究室ラボを後にした。

 誰もいなくなった室内は、ハルジオンの甘い香りに満たされている。

 栄真の背中を思い返し。

 ショコラとコユリの姿を重ね。

「……難儀なものだな、ひとを育てるのは」

 などと独りごちていると携帯端末が震えた。相手は誰か予測がついてるだけに、対応するのが面倒臭くて仕方ない。

 画面を見やれば、やはりの名前が表示されていた。

「……はい、椿」

 ————けっ、どーせご用件は知ってますよーだ。

 と、昔の栄真だったら面と向かって言ってただろうなぁ、と笑いを堪えながら応対する。

『「契約が完了していないようだが、どうなっている?」』

 黄蓮おうれん局長は苛立った声で恵を詰問する。

 自分の予定通りに事が進んでないことが、許せないのだろう。

「時間がかかります。とくに彼らの関係については、じっくりかける必要があります」

 栄真はコユリを利用してショコラを製作したことが許せない。

 ショコラは栄真の気に食わない。

 人間関係は慎重に、じっくりゆっくり育まなくては。

 恵は至極当たり前の、真っ当な意見を伝えているはずだ。しかし。

『「なにを馬鹿な……まるで人間同士のていではないか。とにかくいますぐ」』

「アー電波ガ途切レチャッター」

 面倒臭さが増したので、いつもの手でぶった切ることを選択した。

 その後、何度か着信があったものの、無視に無視を重ねたらピタリと止まった。ふぅ、とひと息ついて、すっかり短くなった煙草の火を灰皿に捻りこんで消し止める。

「ショコラ・ショコラトル……か」

 第四世代……。

 悲劇を、もう四代も続けているのかと思うと、寒気とともに自身への殺意が湧いてくる。

 実際、脱走する機会は何度かあった。

 しかし栄真を盾に取られてしまえば、それも無効に終わる。

 重複するが、第四世代ショコラトル・シリーズは前世代の部品パーツを再利用している。

 そしてショコラの再利用部品パーツは————。

「栄真の殻を、うまく破ってくれるといいんだが」

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