第6話

「good night,little boy.」


 赤い花弁が、開ききる音がする。

 さながら二十世紀の洋画のような、流麗な英語の文句挨拶

 パン、と一聴する頼りなげな発射音に、栄真は瞼をきつく閉じた。最期を覚悟した、というよりこれは諦念と表現すべきだろう。

 心臓に小さな小さな銃弾が穿たれ、穴が開き、血を吹き出して倒れる。流れる血の温かさを感じ、痛みを感じ、そして最期に思い出すのは————。

 コユリがこちらを見ている気がする。しかも呼んでいる気がする。ここは噂に聞く彼岸なのだろうか?

 俺の命はここで終わるのだと、そういう運命だったんだと、これがコユリを死なせた罰だと。

 あぁでも最後にひとつだけ……後悔があるとするならば。

 椿にひと言だけ、お礼を言いたかったかもなぁ。

 不器用にもここまで育ててくれて、ありがとうって。お前がいなかったら、きっととっくの昔にのたれ死んでいたはずだ。

 親戚といってもほとんど赤の他人なのに、どうしてここまで一緒にいてくれたのか。わからないけれど彼に救われたことは、紛れもない事実。

 そんな育ての親にすらお別れも言えないのか、と我が身の最大かもしれない不幸を嘆く。

 と間抜けなことを考え込むのはやめて、なにかがおかしいと感じ始めた。

 いつまでも心臓に銃弾が突入してくるような感覚や痛みはない。

 それどころか頬に風が痛いくらい当たっていて、足が地についていないように感じられる。誰かの小脇に抱えられているような感触。小脇、というか……相手が小さすぎて栄真自身がはみ出してる気もする。

 ハルジオンの花の香りがする。

 瞑った瞼を透かして、夕焼けすら見える気がする。

 恐る恐る瞼を開けてみた。きっと心臓に穴は開いてない、ここは彼岸ではない。そう確信して。

 すると、眼前には驚くほど広い空が広がっていた。

 いつの間にか雨が止んでいて、橙色と交じった青空がまぶしく輝いている。眼下には、墓都市の美しいような残念なような全景が。整然とした屋根と、そこに暮らす人々。

 すぐ脇には……

「なっ……お前……っ!?」

「黙って。舌噛むわよ」

 驚愕の栄真に対して、少女はあくまで冷たい。

 栄真を軽々と抱えて跳んでいるのは、先ほどの少女だった。

 少女は手近な屋根の上に降り立ち、小脇に抱いていた栄真を下ろす。地上にいるはずの赤薔薇の涙スウィートローズ・ラクリマの様子を慎重に伺ったあと、小声で怒鳴った。

「なにをぼーっとしているの!? あなた死ぬ気!?」

「い……いや、べつにそんなつもりは……」

 ものすごい剣幕の少女に情けなく背を丸めつつ、改めて少女を見て栄真は納得した。なるほど、大の男を少女が抱えて跳べるわけだ。

 少女の耳は先ほど会ったときと打って変わって、人間の耳らしからぬヘッドフォンのような形状をなしている。大きな瞳にはいま、演算機能が働いている証の幾何学模様が浮いてせわしなく動いている。つるんとした頬にも指にも、いくつもの光の筋が走っている。

 ————機械人形ドルチェだったのか……!

 人間が扱うことが前提である兵器のドルチェには、自ら戦うことはできないが、戦闘補助モードという機能が搭載されている。

 ドルチェの身体運動能力を引き上げて、敵兵のサーチなどの諜報活動を一手に担う、主に大戦に利用できる機能だ。

 おそらく今の彼女は、その戦闘補助モードなのだろう。

「栄真クン、隠れ鬼かい? どこに逃げたのかな?ど・こ・に・いるのかな~? フフフ、楽しいね」

 などと、赤薔薇の涙スウィートローズ・ラクリマは愉快な気持ちを隠そうともせず、辺りをキョロキョロと捜している。楽しそうにオリジナルの鼻歌をハミングさせて、明らかに余裕があると見せているようだ。

「見つかるのも時間の問題ね」

 赤薔薇の涙スウィートローズ・ラクリマの姿を横目に、少女は小さく舌打ちとともに毒づいた。

 かと思いきや丸いヘッドフォン型の耳を軽く手で押さえて、通信を始める。

「位置情報はさっきナビに転送したわ。早く来て、ツバキ」

「お前、椿を知ってるのか……!?」

 少女は明らかに「なにを言っているの、このヒトは?」と言いたげな、呆れと苛立ちがない交ぜの馬鹿にしたような表情を栄真に向ける。煩わしそうに乱暴な声で答えた。

「ツバキは政府公認技術局の第一課長でしょ。ワタシのことを知らないはずがない」

「いや、それは知ってるけど……」

 ————ってそうじゃなくて!

 とツッコミを入れたいところだが、それどころではない。

 恵がああ見えて要職に就いているという事実ではなく、この少女が機械人形ドルチェであり、かつ椿と知り合いである現実に驚いたのだ。

 コユリに瓜二つの少女の正体が、機械人形。彼女に固執している栄真が動揺するのも無理はない。なにせ木下コユリという固有名の機械人形ドルチェは、栄真の目の前でのだから。

 感情や状況をうまく説明したいが、どうやらそのタイミングはなさそうだ。

「うーん……騒がしくなってきたし、いまはこれで失礼するよ。また会おう、栄真クン」

 遠くの音に耳をすませて、赤薔薇の涙スウィートローズ・ラクリマはデリンジャーを手の内でくるくる回し、ふところにしまう。代わりに煙幕らしきボールを手に取り、地面に忍者よろしく投げつけた。

 辺りに煙がもうもうと立ち込めて、風でかき消されたと思ったらもう、白き怪人の姿はなかった。代わりに————。

 イタリア語でキザったらしく『また会おう、栄真クン』と書かれたカードと一緒に、薔薇の花が一輪、煉瓦の道に落ちていた。

「おーい栄真、ショコラ!」

 栄真たちがいる建物のすぐ下に見覚えのある黒のオンボロ軽ワゴン車が止まった。運転席から恵が出てきて周囲に呼びかけ、栄真ともうひとりを捜しているようだ。

「ショコラ……?」

「ワタシの名前よ」

 彼女はそっけなく答えて、三階建ての高さを感じさせない一足飛びで恵のそばに降り立った。

 恵と少女がなにやら会話をしているその上で、栄真は少女に続いて屋根から颯爽と降りようとする。————が。

 降りられない。

 現役の墓守ショコラティエだった一年前ならいざ知らず、ここ最近の運動不足な怠けた体では到底不可能な技だと痛感した。

「あー……ショコラ。悪いが彼を……」

 もたついている栄真を見つけて、全てを察した恵が文字通りの助け舟を出そうとする。

 だが少女はむすっとしたまま、憮然として動こうとしない。むしろ綺麗な顔をより不愉快そうに歪める。

「……どんくさ」


 少女が嘆息混じりで聞こえよがしにつぶやく。ようやく外の非常階段を見つけて全速力で降りてきた栄真が、息も絶え絶えに反論した。

「おいっ……聴こえ……、てるぞ……クソガキ!」

 ぜいぜいと息を荒らげてヒィヒィと肩を上下させている情けない栄真を一瞥し、少女はぼそぼそと吐き捨てた。

「…………年齢とし、同じくらいでしょ」

「俺はハタチだ大人なめんなっ!」

 栄真の大人げない反撃に、少女はさらに顔をしかめて睨み合う。今度こそ本格的に栄真と対立する姿勢を見せたような、強気の視線を向けてゴングが鳴った。

「ガキはどっちよ若年寄。さっきまで〈レザークラフト〉相手にあんなにビビってたくせに」

「んだとっ!?」

 バチバチとふたりの熱い視線が交錯している間に、恵が慌てて割って入った。

「まぁまぁ、落ち着けよふたりとも。ていうか栄真お前、まだギリチョン十九だろ。誕生日は明日じゃないか」

「椿は黙ってろハゲ!!!!」

 栄真の、恵に対するいわれもない罵倒に。

 ピシッ……

 と、空気が割れる音が響いた。

 恵の後頭部に実は十円ハゲがあることは、一緒に住んでいる栄真しか知らない————と恵は思い込んでいる————トップシークレットだ。

 もちろん恵自身、とても気にしているので『ハゲ』は彼の地雷ワードに認定されている。彼の男性らしからぬ整った長髪は、そのハゲ隠しのためだ。

 恵は知らないが栄真のことも知っている親しい同僚たちには周知の事実で、しかし優しさゆえに誰も口にしない。

 そこまで追い詰められるほどのストレスの原因は、主に栄真にある。

 栄真がちゃんと食事をとってくれたら。栄真がパチスロ通いをやめてくれたら。

 栄真が金銭管理をちゃんとしてくれたら。栄真が少しでも家事手伝いをしてくれたら。栄真が働いてくれたら。子供らしからぬハードな仕事のせいで行き損ねた高校に通ってくれたら。

『クサイ』と言ってはしきりに柿渋エキス入り石鹸を勧めてきたり、徹夜明けで仕事場から帰った人間にファブリーズを液体のままぶっかけたり、洗濯物をつまんで分けて洗濯なんてしなくていい。とにかく働いてくれたら。

 まるで父親のような悲しみ、嘆き、悩み。周囲が憐れむのも理解できよう。

 恵のなかで心の破砕音が鳴り響き、それが日頃の栄真に対する不満と怒りに変化する時間は、そう短くなかった。

 がっしと栄真の頭を鷲掴み、

「お前さんが一ヶ月も前から楽しみにしてはった、明日のイタトマのゴロゴロいちごケーキとマンガ肉はナシやで?」

「…………スマン」

 まるで大罪人が連行されるように、栄真は恵の車に吸い込まれていって、その後に続いて少女も乗り込んだ。


「ショコラ・ショコラトル」

 椿研究室ラボに着いてひと心地してすぐ、恵が口にしたのは少女の名だった。

 話題の中心になっている少女————ショコラは、缶のオレンジジュースを飲んで、なぜだか不満で頬をパンパンに膨らましている。

「最新鋭のドルチェ第四世代ショコラトル・シリーズの試作にして第一号機。そして……」

 しかしそんなショコラの心情などお構いなしで、板挟みで胃がキリキリしてきた恵は紹介を続けた。

「栄真、お前の新しい相棒パートナーだ」

『新しい相棒パートナー』ということは、つまり上層部————主に黄蓮おうれん局長————はなにがなんでも栄真を現役復帰させたいのだろう。

 それが明け透けだからこそ、栄真もショコラ同様に頬を膨らませる。

「そう嫌がるな。社会に求められるというのは、幸せなことでもある」

 いくら宥められても、栄真は砂糖なしカフェオレをショコラに拳で止められるまでうるさく啜り続けた。

「ジジィに求められてもな……。で」

 カフェオレの入った専用マグカップを樫材の立派なローテーブルに置き、ショコラを顎で差し示す。

「この子を寄越したホントの理由は?」

 栄真の鋭い瞳が恵に向けられた。

 黄蓮局長という人物からして、栄真の現役復帰だけが目的とは思えない。他になにか、裏があるのだと踏む以外になにがあろうか。

「えっ……あ、いや……」

 栄真に気圧され、恵も思わず言葉を迷わせてしまった。それがまた、彼の疑念を強くさせる。

 深い溜め息とともに、拒絶の言葉。

「とにかく、俺はもう戦わない。彼女にも悪いが帰ってもらって、新しいまともなパートナーを見繕ってやれ」

 まだ中身の残っているマグカップを置き去りにして、栄真は立ち上がる。

 ソファに脱ぎ捨ててあったパーカーを着込んで、玄関へと向かっていった。

「どこに行くんだ栄真!? まだアイツは捕まっていないんだぞ!」

「隣のコンビニ!」

 もちろん、嘘だとわかっている。

 赤薔薇の涙スウィートローズ・ラクリマは現在、正教会と協力体制で捜索中だ。

 噂によると、あのルカ・アスカリ中級司祭も駆り出されているという。彼の活躍ぶりを知っている者なら、正教会の本気さが窺える情報だった。

 墓守ショコラティエ側としても、なんとしても奴を捕らえたいところ。

 そしてなにより、相手が栄真を狙っているというのなら————。

「栄真っっ!!」

 いまの栄真は、恵には止められないのかもしれない。

 ショコラ・ショコラトル————木下コユリ。

 彼には余計な混乱を与えるだけだったのかもしれない。

 肌寒い夜空の下で、栄真は呟いた。

「…………俺は……もう……」

 この先の言葉を口にしたら……どんなに楽なのだろうか。

 ————生きている資格なんかない。

 コユリを死なせた罰を受けずに生きている、そんな自分には……。

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