第3話
まだ恵も一介の研究者であり、栄真自身も現役の
————『「椿っっっ……! コユリを……コユリを治してくれっっ!!!!」』
泣きじゃくって恵の当時の
滅茶苦茶に破壊された回路を見れば、例え素人でもわかるほど……彼女————コユリは改修不可だった。
いくら無理だと首を横に振っても、彼は諦めようとしなかった。
このままでは廃棄処分になるということを、栄真も知っているのだろう。しかし避けては通れぬ道があるということを知らない子供でもない。
栄真はどうしてか、この〈コユリ〉という
彼女と関わるようになってからの彼は珍妙にも、
恵自身も、
結局————コユリは廃棄処分となり、同時に栄真は
あの頃に比べたら、栄真は立ち直ってくれた方なのかもしれない。
決して真っ直ぐ歩いているわけではないが、少しだけ起き上がってくれたと、一番そばで見ていた保護者としては信じたいところである。
余計な出費ばかりしているフシが気になるが、まず本人のかつての稼ぎが莫大すぎるので、もうしばらく見守るのも務めなのかも……と思い直したいところだ。
だからこそ上の連中も、お気楽に復職命令とともにくだらない企画に、ちょっとしたお祭り気分で参加させようとしたのだろう。
それでもかつての彼を知る恵からしたら、彼はいまだに病んでる、落ち込んでいると判断せざるを得ない。
生意気さは変わらないが、本来はもっと明るくてやんちゃで、とても元気な少年らしい子だった。
少なくとも恵と出会ってから去年までのおよそ九年間の中で、太陽のような輝く笑顔を見せてくれるときが夢ではなく確かにあった。
くしゃり、と恵の口中で煙草が潰れた。
連中の思惑通りに躍らされてたまるか。
————いつかまた……あの無邪気な笑顔が見たい。元の栄真に戻って欲しい。オレはただそれだけだ。
ブブブブ、とジーンズのポケットに入れていた携帯端末が震えた。液晶画面に記載された相手の名を見て、恵は思い切り顔をしかめる。
このまま無視できたらいいのに……と思いつつ、嫌々ながら通話ボタンをタップして、端末を耳に当てた。
「……はい、椿」
『「彼に例のことは伝えたかね?」』
ひどくザラついたノイズが混じる、粘っこい老害の声が鼓膜を打つ不快に恵は堪えた。
近年の電力不足により、インターネット回線や電話回線の供給は最盛期の二〇一〇年代と比較して、ひどく不安定だ。
電話が繋がらないことなどザラであるはずなのに、こうもタイミングが悪く感度が良好だと、なにかに呪われている気さえしてしまう。
こちら側の端末の連絡帳に登録しているから誰だか知っているが、それでもまず名乗るのが礼儀だろう。
と文句を言いたいところを、ぐっと我慢する。
社会人において上下関係はとても大事なことだ。例え尊敬しがたい人物であったとしても、だ。
「……わかっています。でも、もう少し時間をいただけませんか? 彼はまだ————」
『「君の大きな働きにより、《ショコラトル・シリーズ》はもう起動している。あとは契約だけだ」』
遮られた言葉を飲み込んで、この老害を思い切り殴りつける想像を膨らませた。
こんなことなら、完全徹夜で超オーバーワークの起動準備なんかさぼればよかった。
そもそもあんな不吉な《ショコラトル・シリーズ》なんて代物の製作なんか、端から協力しなければよかった。京都にある自分の実家に栄真を連れて帰った方が、まだマシな展開だったかもしれない。
もう何年も帰っていないので、祖母が溜め込んだ文句を狂った短機関銃のごとく吐き出しそうな気がしておっかないのだが。
そう思ってはみるが、どっちの選択にしろ自分の胃が死ぬことは明白なので気が重い、というのは絶対に変わらない現実問題。
老害はさらに恵の胃が壊れそうな情報を、つらつらのうのうと吐き散らす。
『「それから、奴がこの街に来ているという情報をキャッチした。これは確かだ。彼……花竹栄真にとっても必要な情報ではないかね?彼が入れ込んでいる初期シリーズの
————っこの……っ! 言わせておけば……!!
死者に対してこの侮辱とは……。
彼にとって彼女たちは所詮、作り物……自分たちの作品ということか。そういった点で自分も似通ったところがあることに、嫌気が差して仕方ない。
この男はいったいどこまで、性根が腐っているのだろうか。
怒りで歯を食いしばり、恵はシートベルトも忘れて車のエンジンをかけて急発進させた。携帯端末を左手に、目で栄真の背中を捜しながら狭い路地を臆せずぐんぐん走る。
「お言葉ですが
栄真にそんな、未来のない闇の道を進ませることはしない。許さない。
彼には光のしたで、穏やかに楽しく生きてもらいたい。
————もうあんな……苦しい想いはさせない。そう決めたんだ。
それが自分にできる、唯一にして最大の「保護者としての義務」であると、恵は一年かけて結論付けた。
これ以上は時間の無駄。
なにか言っている黄蓮の声も無視してぶつっと携帯端末の電源を落とし、思い切りアクセルを踏み込む。
二〇一〇年式の骨董品エンジンは、しかしながら頼もしい音を町に響かせる。
間に合え、間に合ってくれ。
そう祈りながら、恵はよどみなく車のハンドルを切る。
恵の乱暴な運転に通行人は顔をしかめて文句を叫ぶが、構う暇はない。狭い小道もレーサーのごとく右へ左へ。
先ほどまで眩しかった斜陽が紫の雲に埋まり、光が遮られる。
夜の闇がすぐそこだと、雄弁に物語っている。
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