抗ウイルスフローリング

「ここのマンションの床、ベロベロ舐めても大丈夫なんだぜ」

 拓海は僕にそう自慢してきた。そう、ここはとあるマンションにある拓海が住んでいる部屋。僕、秀太はそこに遊びに行ったのである。


「何でそこまで言えるの?」

「抗ウイルスフローリングだよ」

「え? 何フローリングだって?」

 僕は聞きなれない言葉に戸惑っていた。


「ほら、今ちまたで話題の抗ウイルスフローリング。ここにウイルスが落ちても、床の特殊な素材が殺してくれるんだって。だから健康的にも超安全なところに、僕は住んでいるってワケ」


「そうなんだ」

 僕は拓海に羨望のまなざしを向けていた。そして、ある衝動に駆られた。


「じゃあ、ここに食べ物を落としても、また拾って食べても安全ってこと?」

 僕は食いつくように拓海に問いかけた。

「そうだろうな。少なくとも抗ウイルス作用だから、汚いものがたまっている時間は少ないってことだし」

 拓海はちょっと戸惑いながら答えてくれた。


「そうか、じゃあひとつ実験していい?」

 僕は胸を躍らせながら頼んだ。

「い、いいけど? 何するの?」

「ああ、あそこのキッチンのレンジの上にあるお菓子、ひとつだけ食べてもいいかな?」

「別にいいよ」

「ありがとう」


 拓海からの許可を得ると、僕はキッチンに向かい、クッキーの箱に目をつけた。パッケージに書かれた「アテナ」という商品名を確かめると、箱から一袋を取り出す。そこには2枚のクッキーが重なっていた。

 僕は拓海の部屋に戻ると、袋を開け、一枚を彼に渡す。


「食べる?」

「ああ、ありがとう。本当はここ、僕の家なんだけどね」

 拓海はとまどいながらクッキーを口にした。


 僕はというと残りの一枚を袋から取り出し、床に置いた。

「ちょっと何やってるの?」

 拓海の問いかけにも答えず、僕はクッキーを目の前に四つん這いになり、そのまま犬のような体制でしゃぶりつく。


 この時両手は使わない。犬のように床をついて、自身の体を支えているからだ。口だけでクッキーを砕き、濃厚な味わいを堪能する。

「ああ、美味しいなあ。抗ウイルスのきれいな床だったら、こんな風にクッキーも食べられるんだよね?」


「そ、そうなのかな? その食べている姿はあんまり見栄えはしないけど」

 拓海は若干引いた様子だった。僕は一仕事終えたあと、普通の人間らしくあぐらをかき、拾ったクッキーを普通にかじった。


「うん、単純にこのクッキーやっぱり美味しいわ」


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 その日の夜中。

 自分の部屋で目が覚めると、お腹に猛烈な痛みを感じた。まるで毒を全身に帯びたドラゴンが、僕の体内で暴れているようだった。

「痛い、痛い、うううううっ……」


 それだけではない、全身が熱に包まれているようで、だるい。しかし、ここで動かなければベッドでとんでもないことをするおそれがある。最悪の事態としてそれは避けなければならなかった。


 だから僕はトイレに入った。

 案の定、下痢だ。

 しかも体内からイヤなものがひととおり出たように感じても、お腹の激痛はおさまらない。しかも頭が痛い。ドライバー3本ぐらいで脳をえぐられているようだった。壮絶な不快感は、僕に吐き気を促した。


 そして僕の口元は、スロットの大当たりの状態になった。


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「食中毒ですね」

 病院のベッドの上で僕は、医師にそう診断された。

「この子は大丈夫なんですか?」

 母親が心配そうに医師に尋ねる。


「まあ、しばらく『アテナ』からは離れた方がよいね」

 医師は白衣のポケットからスマートフォンを取り出し、僕に見せた。そこにはこんなニュースの見出しが書かれていた。

「アルペン製菓『アテナ』で食中毒、商品30万個を自主回収へ」


 抗ウイルスフローリングの上で食べたあのクッキー自体が、菌まみれだったわけか。

 そう知った僕は、呆然と天を仰いだ。


 もう床の上で犬食べなんてやめよう。たとえどんなにきれいな床でも、バチが当たるから。

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