第55話
カップに注がれていく紅茶。
ポットに閉じ込められていた香り達が、我先にと部屋全体に広がっていく。
カップの隣には『ティランドール』のお菓子。
手土産として頂いたが、せっかくだから皆でと父が提案したので母が用意した。
芳醇な香り。
バターの香りだろうか。
クッキーは分かるが、それ以外のフワフワしていそうなお菓子は見た事がなく、名称すら分からないほど、ハイクオリティな菓子がお皿に並んでいる。
夢にまで見た『ティランドール』のお菓子が目の前にある。
いつか食べると憧れた物が、今そこにある。
しかし今は、喉を通りそうにない。
そのぐらい俺は緊張していた。
両家はテーブルを挟んで相対する形に座っていた。
動く者は紅茶を注ぎ入れている母カータだけ。
静寂の空気が部屋全体を包んでいる。
コポコポと注がれる紅茶の音が、とても鮮明に聞こえるくらいに。
普段着ではない特別感が、この場の特殊な空気を生み出したのだろうと思う。
そんな雰囲気に当てられたティナも、普段のぽや〜っとした感じではなく、口元をキュッと締め、真剣な顔つきで座している。
それが異様に映り、可笑しくて笑ってしまいそうだった。
しかし笑うわけにはいかないだろうと、俺も表情を引き締め座っていた。
全てのカップに紅茶が入れられると、カータはティーポットを片付けて、父の横にある椅子へ腰掛ける。
それを合図かのように、ガイナスは真剣な声色で話し出した。
「この度は、このような挨拶の場を設けていただき、ありがとうございます」
ガイナスとニーナは深々と頭を下げる。
その真似をする様に、少し遅れてティナもお辞儀した。
感じたことの無い緊張感。
カイルの心拍数が上がっていく。
「丁寧に、ありがとうございます」
父がお辞儀を返すのを見て、俺たち家族もお辞儀を返す。
ベイルが続け様に「本来なら男親の此方から伺うべきなのですがーー」と話している途中に、プリシラが小さい声で、コソッとカイルに話しかけた。
「お兄ちゃん、何が始まるの?」
プリシラはお辞儀を返していたものの、何故お菓子が用意され、綺麗な格好をし、ティナの家族と相対しているのか理解出来ていなかった。
「いや、えっと」
何て答えようか迷うカイル。
丁寧に教えても良いが、両親が真剣な話し合いを始めている以上、今は説明している雰囲気ではないと考える。
「後で説明するから、プリシラはお菓子でも食べてな」
「うん、わかった」
兄に言われ、お菓子を口に運ぶプリシラ。
「っ!」
食べたことの無い美味さに驚きながらも、妹は満面の笑みを見せた。
そんな明るい表情に、俺は少し緊張が緩んだ気がした。
一通りの社交辞令が終わったのだろうか。
コホンと咳払いを一つすると、ベイルがカイルとティナに話出す。
「今一度、確認する。カイル、ティナちゃん。二人は本当に、それで良いのかな?」
父ベイルと先に目が合ったティナが答える。
「うん! あ、ハイ!」
思わずいつも通りの返事をしてしまい、慌てて言い直すティナ。
失敗したのが恥ずかしいのか、少し耳を赤らめる姿が可愛かった。
いや、まぁ、正直な所、大変な事も多いだろうし、苦労は絶えないかもしれない。
もし、この立場が俺の知り合いなら、考え直せと引き止めるだろう。
平凡な幸せを得るためには、相当困難な道を歩まなければならないってな。
でもな、彼女を好きな気持ちは、今更変えようがない。
まぁきっと、幼なじみ補正もあるんだろう。
一緒に過ごした時間が長いから、愛着というか、隣に居るのが当たり前の存在だからな。
彼女以外、考えられないんだと思う。
ティナの朗らかな笑顔を見ながら、そんな事を考えていた。
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