第30話
暗くなった視界。
そんな中、ティナの手が、俺の顔に触れた。
輪郭に沿う様に、両手を使って。
視界が塞がった事で、触覚が鋭くなったようだ。
その手が、くすぐったく感じる。
「くすぐったいぞ?」
「カイル、喋らないで」
「ん?そうか、わかった」
何やら真面目な声色で言われ、大人しく従う。
いつまでこうしていれば、いいのだろうか。
そんな事を考えていた。
そして不意に、チュッと唇に柔らかい物を感じた。
今まで感じたことのないくらい、柔らかかったのを覚えている。
ティナの顔が、自身の顔近くにある存在感と共に。
たった一秒程の出来事。
まさかと思い、すぐさま目を開ける。
「良いって言うまで、目を開けないでってーー。言ったじゃない」
自らの唇を手で覆い、恥ずかしそうに顔を傾け、赤らめるティナの姿が、俺の目に映った。
何が起きたのか。
いや、頭では理解している。
しかし、信じられない。
俺は自身の唇を触った。
指の感触は、さっきの感触と違い、硬く感じる。
指じゃない。
じゃあ、さっきのアレは。
さっきの感触は!
喜びと嬉しさ。
そして驚き。
色々な感情が混じり、頭が爆発すると思うほど思考が巡る。
大丈夫なのだろうかと懸念する気持ちが強かったが、それよりも嬉しい気持ちが勝った。
「今の!?」
「お母さんがーー、していいって」
ニーナさんが?
「さっきお母さんがね?『お父さんは説得しておくから、決めてきなさい!』って、言ってくれたから」
「そうか」
なんだよ!決めてきなさいって!
何のゴーサインを出してるんだ!
まったく。
最高の指示だ。
ニーナさんに感謝しつつも、俺はガイナスさんが身を乗り出していた窓を見た。
そこには二人揃って、こちらを見ている夫婦の姿があった。
一人は微笑み、一人は泣いているのか怒っているのか、よく分からない様子だった。
あぁ、バッチリ見られていたんだな。
もはやそれは仕方の無い事。
ゴーサインを出したのだから、結末を見守るのは当然だろう。
俺は諦めの気持ちで我が家を見た。
何故かって?
それは確認する為に決まっているだろう。
こんなにも冷静なんだ。
母が見ているのは確実だが、一応な。
うちの両親の寝室にある窓。
そこには当たり前のように父と母がいた。
父はグーサイン。
母は音が出ない拍手を、俺に向けて贈っている。
つまり。
俺とティナの初キスは、両家の両親に見守られて達成された事になる。
これが世間一般では普通なのだろうか。
そんな訳ない。
こんな辱めは、誰も経験するはずも無い。
どう考えても、な。
冷静な思考が怖い。
『慈愛』が解けたら、どうなるのだろう。
そんな恐怖心すら、抱いても立ち消える。
俺はただ、進むしかない。
「婚約の誓い、みたいだな」
「え?そう、かな」
「あぁ」
とても幸せな気分だ。
だが、突然だったから、何というか。
心構えをしていなかったせいか、キスをした実感が薄いように感じる。
たしかに唇を重ねたのだが、少しだけ、納得していない自分がいた。
「ティナ。もう一度、していいか?」
本心ダダ漏れの俺は、キリッとした顔で願い出た。
積極的というか、何というか。
怖いもの知らずとは、こんな感じなのだろうか。
ティナは恥ずかしがる。
「は、恥かしいよぉ。でも、カイルがしたいなら」
モジモジしなからも、俺の要求に応えようとしてくれた。
そんな姿が愛らしく感じる。
彼女の両肩に手を添え、顔を近づけていく。
そっと瞳を閉じるティナに合わせて、俺も瞳を閉じる。
あの感触を、今度こそはしっかりと堪能しよう。
これぞ、キス。
これがキスなのだと、納得出来る物が欲しかった。
しかし、渾身の咆哮が俺の動きを止める。
「二回目は許さんぞぉぉ!!」
耳を突いたのは、ガイナスの咆哮だった。
「貴方、邪魔しちゃダメよ〜?」
「ダメだ!我慢ならん!」
ガイナスが窓から飛び出し、勢い良く向かってくる。
『あと少し、あと少しなんだ。もう吐息が掛かる距離まで来ているんだぞ?行ってしまえ!カイル!』
俺の小型悪魔が囁く。
コイツの言う通り、あと少し顔を突き出せば、ティナの唇に届く。
あの感触を、もう一度確かめる事が出来る。
しかし。
『ダメだよ!義父になる人を怒らしても、良い事ないよ?ここは大人しく引き下がるんだ!カイル!」
俺の小型天使が諭す。
コイツの言う事も間違いではない。
ティナと結婚した後、義父との関係性を考えれば、引き下がるのもアリだ。
長年付き合っていく事になるのだから、良好な関係を気付く為にも、今は無理を押し通すべきではないかもしれない。
だが。
『これを逃したら、次のチャンスは二ヶ月後だぞ?それまで不完全なキスの感触を抱えて、悶々とした日々を送るのか?お前に耐えれるのか?今しかないんだぞ!』
小型悪魔よ。
お前の言う通りだ。
俺は今、確かめたいのだ!
あの感触が、本当にティナの唇だったのかをな!
でもな。
『やめておけ!いくらお前が、体を鍛えて戦闘に自信があったとしても、あの人は凄腕の元冒険者なんだぞ?きっとボコボコにされてしまう!』
小型天使の言う通りなんだよな。
戦う姿は見た事ないが、あの筋肉隆々な体を見たら『凄腕』を否定する理由がないんだよな。
それに将来の義父に、怪我をさせるわけにはいかないし。
大人しくしとくか。
でも、もしかしたら。
『大事な娘の婚約者に、そんな酷い事するわけないだろ!いいか?お前は許嫁から婚約者に昇格したんだ!ある程度の事は、許されるんだぜ?』
そうなのか?小型悪魔よ。
そう言われれば、そうかもしれない。
だって、結婚を約束したんだぞ?
言わば、もう夫婦みたいなもんだ。
そうだ、そうに違いない。
俺は、ティナの婚約者なのだ!
フフフッ!
もはや親御さんの了解など、得る必要はない!
そうだ!
俺は婚約者なのだ!
変な自信が湧き上がってくる。
もはや、キスして何が悪いと言う境地に達しかけていた。
だが、小型天使は諦めずに諭し続ける。
『ダメだよ!悪魔の囁きを聞いちゃダメ!』
そのせいで俺は行動不能に陥り、動けずに突っ立っていた。
『チッ!時間切れだ!根性なしの間抜けめ!もうこんなチャンスは二度と無い!お前は生涯を終えるまで、この先キス出来ないと思え!』
小型悪魔は、眼前に迫るガイナスを見て、罵るようにそう言い、消えていった。
そうだ。
俺は根性なしだ。
そうか。
もう、二度とキスは出来ないのか。
一生で一回きりのキスが、不完全燃焼とはな。
フッ。
根性なしの俺には、それがお似合いか。
達観したように、そう思った。
しかし、悲しい。
これから続く人生の中で、俺の思い出にはキスが更新されないのだ。
生涯を終えるまで、俺には不確かなキスの感触だけ。
だが、全て俺が悪い。
受け入れるしかない。
受け入れるしかーー。
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