第27話

 唇が重なる。

 そう思ったが、一つの咳払いが俺を止めた。


 二人が作る、ドキドキの雰囲気に響く異音。


 そう感じたのはティナも一緒で、音の発信源へ視線を向ける。


 そこに居たのは、隣の窓から身を乗り出した、筋肉隆々の男。

 ティナの父親、ガイナスさんだった。


 彼は、俺の目を威圧的に睨みつけている。

 その眼光は鋭く、まるで獲物を狩る前のハンターの様だ。

 今でこそ、畑で働き、収穫物を街に売りにいく事を生業としているが、前職は有名な冒険者だったらしい。

 その経験が活きているのか、凄みのある睨みの圧力に、俺はたじろいだ。


 「お父さん?」


 ティナの呼びかけに、彼の重い口が開く。


 「カイルよ。お前をティナの許嫁と認めている。そして、信じている。しかしそれは、まだ許す事は出来んな!」


 憤怒の権化。

 そう表現するのが、一番妥当なオーラ。

 俺の脳内は酷い状態に陥る。


 『そうか、嫌な予感はコレだったのか。ここはティナの家。当然、両親が居る。様子を見ていてもおかしくない、か。フッ。キスは早計だったな』


 防衛大臣は冷静に状況を分析し、自らの失態を悔いた。


 『防衛よ!そんな事を分析している場合じゃない!この状況を切り抜ける策を、早急に整えるのだ!』

 『どうするんだ!?ガイナスさんは怒っているぞ!』

 『当然だろう!嫁入り前なんだぞ!』

 『緊急事態!緊急事態!各議員は即座に集まれ!』


 あと少し。

 ほんの数センチ。

 固唾を飲み、キスという目標の達成を見守っていた脳内議員達は、ひっくり返るように大騒ぎだ。

 そして、今後の行動を決める為に、知恵を絞ろうとする時間も少ない。

 そこで防衛大臣は、皆を諫め、一つの指令を下す。


 『落ち着くんだ。我々がやる事は一つ。即座に謝罪だ!』

 『謝罪か!よし、各部署に伝えよ!我々は謝罪を選択する!繰り返す!我々は謝罪する!』

 『オウ!』


 伝令が体の隅々まで行き渡る。

 

 緊迫の雰囲気に、俺の体は固くなっていたが、指令を受けて動き出す。

 ティナの両肩に添えていた手を剥がし、即座に離れる。

 そして勢いよく頭を下げ、大きな声で言った。


 「すみませんでしたぁぁ!つい出来心でーー」

 「出来心、だとぉ!?」


 しまったぁぁぁ!

 言葉の選択肢、間違えた!


 ガイナスの怒気が、一際大きくなるのを感じた。

 なんとか収めなければ。

 どうすれば良いか考えているのに、ガイナスの怒りに油を注ぐ発言をするティナ。


 「キスくらい、いいじゃない!私、カイルの事、好きだもん!」


 いやぁ、珍しい。

 ティナがハキハキと声を荒げるのは、いつ以来だろう。

 でも、今は違うんじゃないかな?


 俺の予想は当たる。


 「嫁入り前なんだから、ダメだ!許さん!」


 ガイナスさんの矛先が、自身の娘に移る。


 俺は思った。

 ティナにはいつも、甘々の対応をするのに。

 こんなガイナスさんも珍しい、と。


 滅多に見れない親子喧嘩。


 『よく分からんが、ここは大人しくしとくべきじゃないか?』

 『そ、そうだな。ティナには悪いが、少し様子を見よう』


 脳内議員達は『見』を緊急発動。


 これ以上ややこしくしない為にも、俺は二人のやり取りを見守る事にした。


 しかし、そんなやり取りも、あっという間に収束に向かう事になる。

 ティナが言い放った言葉が、父親を羞恥の渦へ巻き込んだからだ。


 「ズルイよ!お父さんだって、お母さんと、いつもチュッチュッしてるじゃない!」

 「んなっ!?」


 ガイナスが羞恥でたじろぐ。

 『お前、そんな事をここで発表するなよ』と、言わんばかりに。

 だが、ティナの口撃は止まらない。


 「私に気を使ってか知らないけど、私に見えないようにキスしてるの、知ってるんだから!」

 「ティ、ティナ」


 それ以上は言わないでくれと、懇願するような仕草。

 口を塞ごうにも、届かない距離で、どうしようも無い。

 だからこそ、ティナも止まらない。


 「どうせ、一緒にお風呂に入っている時も、チュッチュッしてるんでしょ!?」

 「バッ!?お前!」


 顔が林檎のように紅くなっていくガイナス。


 それはそうだろう。

 家族だけの場なら、笑い話で済むだろう。

 しかし今は、まだ身内ではない俺がいる。

 そんな人間に、夫婦の秘事をバラされたら、普通ではいられない。

 俺も、ああなる自信がある。


 そうか、一緒にお風呂入っているのか。

 仲の良い夫婦だな。

 俺もティナと結婚したら、一緒にお風呂へ入りたいな。


 そんな事を思っていると、ティナの部屋に来訪者が現れた。

 入るなり、すぐ様ティナに近寄り、手を取る。


 「ティナちゃん?ちょっと、こっち来なさい」

 「お母さん?どこ行くの?」

 「いいから、ちょっと来なさい?」


 有無を言わさず連れて行く母親ニーナ。


 間延びした声じゃない。

 あんな真剣な話し方出来るんだな。


 「お母さん?どうしたの?お母さん?」


 戸惑うティナの問いに答えないニーナ。

 彼女は娘を引っ張り、二人は部屋を後にした。


 理由は何となく分かる。

 おそらくは、これ以上ティナを放置しておくと、また違う暴露をされてしまうから、防ぎに来たのだろう。

 いくら将来の身内になる人物だとしても、知られたくない事は知られたくない。

 目の前の、ガイナスさんのようにな。


 ガイナスには、もう威圧する余裕は無く、暴露された恥ずかしさで、俺から視線を外していた。


 二人の間に、無言の間が流れる。


 ぐっ。

 気まずい。

 何とかしたいが、俺から動けない。

 俺は怒られている立場だ。

 それに相手は義父となる存在。

 ティナの暴露を、気軽にフォローするわけには。


 しかし、ガイナスも動かない。

 妻と一緒に、お風呂へ入っている事をバラされ、羞恥の極みにいたからだ。

 無言の間は、いまだに続く。


 どうしたらいいんだ!

 俺から話をするべきなのか?

 なんて?


 『一緒にお風呂入るなんて、仲が良いんですね?二人に倣って、俺もティナと、一緒に入る様にします』


 いやいや!怒られるだろう!

 自ら地雷を踏んでどうする!


 あぁ、でも。


 一緒に入るのは、本当にアリかもしれない。


 ティナとの入浴シーンを想像する。


 『カイル〜?背中洗ってくれる〜?』

 『あぁ!任せろ!』

 『ありがとぉ』


 白い背中。

 濡れた後髪。

 ハッキリ見えるボディライン。


 くぅぅぅ!

 良い!

 最高だ!

 絶対に取り入れよう!

 背中はピカピカに磨いてやるからな!って、違う違う!!

 そんな事を想像している場合ではないだろう!


 お風呂のワードは、今は危険だ。

 真剣に考えろ。


 『仲が良いんですね』か?


 いや!これも今は触れるべきじゃない!

 即、お風呂に直結してしまうじゃないか!


 話題を変えるか?


 明日の天気とか、予定とか。

 不自然か?

 不自然だよな。

 というか、何故、俺がここまで悩まなくてはいけないんだぁぁぁ!

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