第4話 僕の本当に好きなもの

 翌日の土曜日。


 僕は駅前の時計台の下に立っていた。約束の15時には少し時間がある。

 いつも東雲さんとは大学のカフェで待ち合わせをしているというのに、今日の待ち合わせはどうしてこうもそわそわするのだろう。


「早いですね」

「おわっ!」


 不意な想い人の登場に僕は驚いて少し飛び跳ねた。


「ふふっ、驚きすぎじゃないですか?」


 楽しそうに、ストライプのワンピースを纏った東雲さんは笑う。その笑顔にいつものように癒されて、僕はようやく現実味を感じた。


「すいません、びっくりしちゃって。って、東雲さんも早いですね」

「私、待ち合わせには早めに到着しちゃうタイプなんです。楽しみなことには足取りが軽くなってしまって」


 東雲さんは言いながらステップを踏むように、右、左と地面を跳ねた。


「じゃあ少し早いけど行きましょうか。行きたかったお店があるんです」


 彼女の行きたかったお店。

 そこに一緒に入る相手に選ばれたというだけで、今日まで生きてきて本当に良かったと思った。



 東雲さんご希望のパンケーキ店は、歩いて5分程の所にあった。

 そこで出てきたパンケーキは、よくこれで形を保てているな、というほど柔らかく、とろけるような甘さが幸せを表現していた。


「う~ん、美味しいですね~美味ですね~。いや、美しいという表現では足りません。うるわしいです。麗味れいみです!」


 東雲さんはよくわからないことを言っていたが、僕は特に何も言わず、綻ばせる彼女を眺めることに専念したのだった。


「今こそあのセリフを使うとき……?」

「?」

「シェフを、シェフを呼んでください!」

「いやそれは待って!」



***



「お腹が幸せいっぱいですね。散歩でもしましょう」


 彼女の提案で、パンケーキを食べ終えた僕たちは川沿いの歩道を歩いていた。

 透明な水は静かに流れ、空気は少しひんやりとし始めていた。


「もうすぐ日が暮れますね」

「……そうですね」


 彼女はオレンジの空を見上げながら言った。


 ――ああ、終わる。


 本当に楽しかった、今日が終わる。


「……東雲さん」


 僕は立ち止まり、彼女も止まる。


 終わる、前に。

 どうにか今の気持ちを彼女に伝えたくて。


 そして伝える方法は、これしか知らなくて。


「僕は〝時間〟が好きです。いつまでも終わらないでいてほしいと思っても終わってしまい、また何事もなく始まっていくこの時間が」


 夕日に彩られた彼女は、静かにそれを聞いて。

 微笑みながら応えた。


「私は〝熱〟が好きです。時に熱く、時に温かく優しく包んでくれる……熱が」

「……っ!」


 思わず、僕は彼女を抱き締めた。


「僕は〝僕〟が好きです! 恥ずかしくても怖くても逃げなかった! 最後までみっともなく足掻いたあの時の僕を誇りに思う!」


「私は〝私〟が好きです! 間違ってなかった! この人ならって思った! そう信じてきた今までの私を褒めてあげたい!」


「僕は〝あなた〟が――――」


 言おうとした言葉は最後まで続かなかった。

 柔らかい彼女の唇が、僕の口を塞いでいた。


 次のセリフは、僕の番なのに。


「…………ぷはっ」


 唇を離して、ふふっと彼女は悪そうに笑った。



「私は〝ずる〟が好きです」

 


 ――ああ。


 僕は、この人のことをまだ全然知らなかったんだな。



「好きですよ、西日さん」



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