第8話
「《葬祭のマリア》……だネ?」
訛りのある日本語と、黒いフードの隙間から覗く三日月に歪んだ口が、不気味に浮かび上がり、羽織った黒マントが空間を重々しく支配した。
龍二よりもずっと細身で小柄なのに、威圧感はとても強い。深い沼に引きずり込まれたかのような圧迫感。
しかしそれに負けじと、龍二は瞳にあらん限りの力を込めて睨み返した。
逃げる際にマリアの手を咄嗟に掴んでいた左手に力がこもり、じっとりと汗を流している。背中にも同様の汗が伝った。
「人に尋ねる前に名乗るのが礼儀って、知らないのか?」
男の視線や殺気から、《葬祭のマリア》が目的なのは明白。殺して報奨金を手に入れようという輩だ。
マリアを殺させるわけにはいかない。
少しでも会話を引き延ばして、どうにか逃げる算段を立てようと周囲に視線を走らせた。
後方は瓦礫で埋まり、左右にはどう足掻いても登れそうにないビルが聳え立つ。前方は当然、男が塞いでいる。男の左右は空いているものの、易々と通らせてくれるのなら最初からここまで追い込まない。
「知ってるヨ。でも……」
懸命に退路の確保を模索する龍二のことを、まるで嘲笑うかのように。男は静かに嗤った。
「そいつはヒトじゃない、だロ?」
瞬間。
龍二の全身がコロナよりも熱くなり、先ほどまでの冷静さを一気に失った。
「っ訂正しろ!」
「龍二……っ!」
龍二の頬は憤怒で赤く染まり始めた。男に殴りかからんと踏み込んだ龍二の背を、マリアが必死で押さえ付ける。
細く小さな身体は、龍二の力を押さえ付けるには不十分。しかし。
「……っ」
マリアが止める理由はきっと、自分のせいで龍二を危険なことに巻き込みたくない……その一心だ。顔が見えなくてもわかる。マリアという女の子は、そういう子だ。
彼女の切なる想いに救われて、押し留まることができた。
だが男は、マリアの想いや龍二の感情を踏みにじるように嗤った。
「なにを熱くなってるのかナ? もしかして」
その先の言葉は絶対の禁句だと、男はよく理解している。理解しているからこそ、平気で口にして、その先にある想いを刺激するのだ。
舌なめずり。それから愉悦。
「その化け物に、身体で誑し込まれたのかナ?」
怒りで染まっていたはずの龍二の頬は、さらなる怒り――――殺意に似た強い感情に支配される。
男の思惑通り、龍二のなかの理性は一気に限界へ近づいた。
あれだけ慎重に距離を取ろうとしていたはずなのに、マリアの想いを汲んで思いとどまっていたのに。いまは男を殴りつけたくて仕方ない。
許せない、許せない。
マリアのことを侮辱されただけでこんなにも、他のことを考えられなくなる。傷ついたであろう彼女の心を想像すると、胸が引き千切られそうな痛みを感じた。
煮え滾る感情が渦巻いて、腹が熱い。
「っいい加減に……っ!」
叫び、怒りに任せて愛刀の柄を握ったその途端。
「龍二っ!」
マリアの腕が、龍二の胸をこれまで以上に強く引き留めた。
前のめりになっていた龍二の身体を全身で受け止めて、天使のように美しい瞳は訴えている。
――――わたしのことはなんとでも言わせて、一緒に逃げなさい!
「……っ!」
彼女の強い意志が、龍二の手を引かせた。
マリア――――まったく別の名前を持つであろうひとりの少女は生来、『生きようとする意志』の強い子だったろう。
ヒトの死を食料とし、それさえ摂ればどんな生活をしてもいきていけるアンデッドのマリア。
しかし彼女はヒトと同じ三食の食事やおやつ、風呂や睡眠といった人間にある生活リズムをとても大事にしている。
ヒトとしての尊厳を棄てたくない、という願いの現れだろうか。
彼女はこんなにも、本当はずっとずっと長く生きたい……と願う心を持っているのだ。
そんなマリアの想いを、自分の一時の感情で潰したくない。マリアと一緒に、この場を切り抜けるんだ。
龍二が理性を持ち直したようだと踏むと、男は舌打ち。余裕が薄れていったのか、先ほどよりも早口でまくし立てる。
「ワタシが求めるのは、お優しい『相談』じゃあないヨ」
龍二が注目をマリアから自分へ引き付けられた瞬間を確認し、まるで底なしの湖に引きずり込む水魔のように唇を歪めた。
「『命令』、あるいは『取引』」
両者ともに一歩も譲るつもりのない、琴の弦のように厳しく張り詰めた空気。
向き合って睨みあう龍二と男だけでなく、龍二の背後に庇われているマリアでさえ息を呑んでいた。
周囲で生活していた人々は皆、蜘蛛の子を散らすように逃げて誰の気配もない。狩人同士の揉めごとが多すぎるせいで、この程度では警察も動かない。
誰も邪魔することがなければ、味方する者もいない状況で、男は主武器らしい双剣を腰のホルスターから引き抜いた。陽光を浴びて凶悪に光る二対の剣は、獲物に飢えた獣のようにマリアを狙っている。
「その化け物を置いて逃げナ、小坊主クン。キミの命だけは保証するヨ」
男の再三の警告を素直に聞き入れれば、などと迷うまでもなく。
龍二は吠えた。
「誰がそんなの素直に応じるかよ!」
今度こそ腰だめの愛刀を引き抜き、正眼に構える。愛刀も持ち主の闘牙に呼応しているのか、鋭利な殺意を光らせていた。
「抵抗するのかナ?」
龍二の名刀よりも研ぎ澄まされた強気な瞳に、男は感嘆の笑みを漏らした。
男は右手に愛用のナイフを構え、左手には凶悪なフォルムのナックルダスターが嵌められている。元々は眩い銀色をしていたであろうそれは、これまで数えきれないほどの血を浴びたことを無言で物語り、ひどく黒ずんでいた。
「ならばこちらも力づくでいくまでヨ」
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