第8話

 機材を片付けて次の筐体へ移動しようと動いている桐子に、声をかけたのは秋だけではなかった。

 声をかけたというよりは、絡んできた、が正解か。

 最初に甲高くて不快な声を上げた男から始まり、あとから三人の下品そうな男たちがぞろぞろと、桐子を目指して群がってきた。

 皆それぞれ、あからさまで極端なアウトローを彷彿とさせる、だらしのない服装に身を包んでいる。両耳のピアスの量もネックレスも、ブレスレットもジャラジャラとしていて威圧感を醸し出していた。

「へー、闇市にこんな可愛くてエロいおねーさんがいるとか、オレたちツイてるね」

「連れがいるみたいだけど、大したことなさそうじゃん?チビのガキじゃん?」

「うっへたまんねぇ!そのデッカイおっぱいで、オレたちにご奉仕してよ!」

 どの男も下品で不躾で、桐子を見る目は汚れている。

 穢れた肉欲にしか目が行かない、動物的な本能に身を任せて生きる最低な連中だということは、ほんの一瞬で見破ることができた。

「おい、お前ら……!って、え?」

『困ってるレディに手を差し伸べるのが、男の甲斐性ってもんだろ』というルカの教えを素直に守るべく、桐子の盾になろうと前に踏み出した秋だが。

 秋の予想の斜め上を大きく飛び越え、桐子の身が一歩一歩、前に乗り出した。

「うっひょー!さっそくおねーさんが相手してくれるってさ」

「優しいおねーさんじゃん聖母かよ」

 桐子の行動は、男たちの興奮も助長させてしまったようだ。

 ニヤニヤゲヒゲヒと、見た目通りの身の毛がよだつ笑みを漏らしながら、これからどうやって彼女を汚していこうか算段をつけていた。聴くのもおぞましい妄想を、彼らは人目もはばからず垂れ流す。

 ほかの客たちは皆、彼らがこの辺で問題ばかりを起こす連中だということを知っているようだ。

 絶対に関わりたくないとばかりに、騒動の中心を避けている。秋は誰か仲裁に入ってくれないかと見渡すが、皆が皆その視線から逃れようと必死だ。

『闇市』でこのゲームセンターのような立派な店を構えるオーナーは、こういった明らかな不法行為など慣れっこで、はっきり言うなら「客の自己責任」としている人が多い。

 かといって警察というものが完全に機能していないわけでもなく、ある程度の暴力が認められればたまに駆けつけてくれる。

 しかし警察の介入は、『闇市』のオーナーなら誰しもが嫌がるもの。

『闇市』はあくまで無法地帯であり、政府が認可していない者や物がそこらじゅうに撒き散らされている、いわば犯罪の温床だ。

『闇市』のオーナーたちが自然と形にしてきた商会は、神奈川エリアの人々からの信頼も厚い。それは彼らが非正規ながらも、きちんとルールを作って普及させ、どんな立場の客からも平等に信頼を得ているからだ。

 実は政府のお偉いさん方も『闇市』をご贔屓にしていて、だからこそこれまで一斉摘発を逃れてきたとも噂されている。

 だが一般民に法律を守らせることが、今も昔も警察の役目だ。

 非正規の店舗の塊など、認められるはずがない。

 いまでこそここまで大きく育ってしまったが、しかし警察はいつだって、『闇市』の一斉摘発のチャンスを伺っている。そしてそのチャンスの芽を潰すために、商会は目を光らせている。

 さすがにこれ以上ここで揉め事を起こすのは、『闇市』全体を敵に回す行為に等しい。

 一度でも彼らを敵に回してしまえば、少なくともこの神奈川エリアではまっとうに生きていけない。

 この場は連中をうまく撒いて、お茶を濁すのが正しい判断だ。

 その為にはまず、桐子の熱を冷まさないといけない。

 おそらくだが彼女は、この『闇市』における不文律の存在を知らない。

 知っていれば、こんな騒動を起こせばここのゲームセンターに二度と行けないと想像がつき、沈静化させる行動をとるだろう。

 少なくとも、こんなに怒りを露わにして連中を煽るなどしない。

 秋の側からは彼女の背中しか見えないが、なにか黒いものを背負っているように感じられるほど、強い怒りを帯びている。

 恐ろしいことに、バキボキと拳を見事に鳴らして、完璧な喧嘩姿勢が取られていた。

「おい、やめとけよ!お前は大人しく引っ込んで、俺に任せ」

「女は戦えないと、男の陰に隠れていろと。そんな原始時代みたいなお馬鹿な理屈をお持ちですか?」

「いや、そーゆーわけじゃないけど……」

 彼女のあまりの声の低さに、その込められた怒気のどす黒さに、秋は圧倒されて情けなくも縮こまってしまった。この場はなるべく自分に桐子の火の粉が降りかからないよう、余計なことは言わない方が賢明だと判断。

 桐子はなおもバキボキと拳を鳴らしつつ、存分にエンジンを温めたようだ。

「それでしたらあなたはどうぞ、ここでこのままゆっくりご観覧ください。ついでになりますが、仕事もしておきましょう」

「は?仕事?」

 きょとんと目を丸くさせる秋に、桐子は失望の深いため息を吐く。

 コイツはいったいなにを呆けているのか、筋金入りの馬鹿なんじゃないか。そう言いたそうな、冷ややかな視線。

 やがて彼女は『当然だろ』という文句を呑み込んで、秋の浅はかな疑問に涼やかな声量で答えた。

「悪魔祓い、です」

 ばさりと翻る大胆なスリット入りのロングスカートは、なんだか悪魔の羽根を連想させる不穏さを醸している。しかもその悪魔は、目にした者の魂を吸い込むほどに、とても美しいときた。

 実際の悪魔に羽根などないと新人修道士ながら理解しつつ、しかし空想の世界にトリップでもしたかのような、桐子の凄絶な笑みに魅入られる。

 サキュバス、という空想の魔物がいることを、秋はほんのりと思い出した。

 類似の存在としてリリスやエムプーサ、アルプなど、昔から淫魔は宗教の数だけ描かれている。淫魔とは、人間を性的に魅了する魔物だ。

 彼もしくは彼女は夢の中で人間を誘惑し、魂を吸い込んで食むとされている。

 悪魔が実在すると教えられている現代だが、淫魔を含めてそのほかの魔物はみな空想に過ぎないと否定されているのが実情。

 唯一信じられている悪魔だって、ヒトの心に巣食う実体のない生き物ないし、精神体という扱いだ。

 そう、悪魔以外の魔物なんて、この世界にはいないはず。

 しかし秋の目の前にいるこの少女は、まるでその空想から飛び出してきたかのように、現実離れした魔力とも言えるほどの不思議な魅力を持っている。

 生き生きとしていて、誘惑的で、蠱惑的。

 写真のなかのあの生気のない少女と、同一人物とはとても思えない。

 ゲームをしている時の年相応な明るさとも、また違う。

 青みがかった灰瞳はギラギラと、なにか人間離れした強い感情に満ち満ちている。

 ほんとうの彼女は、いったいどれなんだ?

「わけわかんねーこと言ってる場合かうっ⁉︎」

「あなたに用はありません」

 自然で流麗な動作で、襲いかかる男を片腕で撃破。

 仲間がやられたことで逆恨みも甚だしい報復のスイッチが入った二人目が、勇敢にも拳を振り上げて立ち向かう。

「くっそ、リッチーのカタキがっ⁉︎」

「あなたも引っ込んでてください」

 こちらは片脚の一撃で、呆気なく踏破。ここまでで息ひとつ乱れはない。

 これまで我関せずで遠巻きに見ていた客と店員らは、皆揃って蜘蛛の子を散らすように避難して、ゲームセンターのビルは混乱状態だ。

 桐子が次のターゲットを素早く見定めた瞬間、男がギクリと冷や汗を流しながら恐怖で肩を震わせた。

「なっ……なんだよこのアマっ!お、オレはイチヌケ!だから追うなよ⁉︎」

 などと格好のつかない捨て台詞を吐いて逃げ出し、あとに残された男は、計画的に壁際まで追いこまれて逃げ道はない。

「……クソ……」

 男は壁に背を預けて、苦し紛れに弱々しい声音で悪態をつく。

 桐子は再び、白く細い指をバキボキと鳴らして威圧する。

「どこに逃げても無駄ですよ、悪魔。観念してください」

「あ、悪魔……?」

 桐子の言質を、秋は疑わざるを得ない。

 そんな、馬鹿な。

 秋も端くれながら修道士として、悪魔の存在を認めざるを得ないとしている。

 しかし一般的な科学的見解、病理診断としては悪魔に取り憑かれた状態というのは『精神病を患った』状態を指す。

 修道士が悪魔を祓ったとしても、事後処理として精神病院に連絡し、患者として面倒を見てもらうのが定石。

 だが悪魔に憑かれた状態というのは、精神病理でもかなり重篤扱いとなっている。

 決して単にグレているだけの青年をとっ捕まえて、「あなたは精神病です。しかもかなり悪い状態だ」と安易に決めつける訳にはいかない。

 精神安定剤は病人に正しく処方すれば良薬になるが、健康な人に飲ませれば生まれてはいけない病気を引き起こす。

 桐子がそんな危険を冒しているとなれば、ここは秋が止めなくてはいけない。しかし。

「うはっ……うははははははははははははははっっっっっ!!!!!!!!!」

 男は唐突に激しく身を捩り、腹を抱えて大声で笑いだした。

 なにがおかしいのかわからない秋はただ呆け、その隣にいる桐子は転がる勢いで笑う男を冷ややかに見つめる。

 やがて男は、先ほどとはまるで別人のような毅然とした振る舞いで、桐子と向き合った。

「やるじゃんクソシスター!オレの正体を見破るなんてっ!いままでだーれも気づかなかったのにな!」

「どうやらあなたは、ヒトの真似事がお得意なようですね。しかし」

 するりと危うい太腿に手を伸ばし、桐子はその彫刻のように美しく細い腕に見合わない物————大ぶりのハンドガンを取り出した。

 彼女はその重みに躊躇うことなく、真っ直ぐと悪魔に銃口を向ける。

「私は『疑うこと』が得意なんです。残念でしたね」

 嘲弄する男————悪魔は、まるで人間離れした速さと重みを加えて、銃を構える桐子に臆せず飛びかかった。

 桐子もまた、男の速さに躊躇いもせず引き金を引く。4.7ミリの弾丸が鋭く発射され、男の髪や表皮をほんの少しさらった。

 秋は慣れない火薬のツンとした匂いに顔をしかめた。

 たったの一発で、店内には硝煙の匂いがもうもうと立ちこめている。

「ヘェ!甘ったるーいニオイがプンプンするけどなっ!ただのオジョーさんじゃねーってことかよ?」

「ご自身で確かめてみてはいかがです?」

 大きなゲーム筐体がゴロゴロ転がって窮屈さを感じるというのに、しかし男の素早さは鈍らない。

 桐子が複数回も撃ち放った音速の弾丸に、悪魔は物怖じせず距離を詰める。

 確かに弾丸は余すことなくすべて男に掠ってはいるものの、残念ながら致命的な傷とはならなかった。

「ハンっ!テメーみたいなクソシスター、どーだろうと関係ないね!」

 男は言いながら一発、桐子に拳をお見舞いする。速さも重さも、やはりただのチンピラの身体のはずなのに一級品だ。まるでプロのボクサー。

 さすがの桐子も、わずかに苦悶の表情を浮かべる。

 距離を詰められてしまうと、拳銃では不利になるのは至極当然。

「左様ですか。では」

 桐子はやはり躊躇いひとつ見せることなくハンドガンでの攻撃をあっさり捨て、今度は腰のポーチからナイフを取り出した。

 いわゆる果物ナイフみたいな、殺傷能力が極めて低い小振りのナイフ。しかし足技を巧みに組み合わせて、少しずつ男の体にダメージを与える。

 わずかずつではあるものの、形勢逆転は目に見えていた。悪魔のなかに焦りが浮かんでいることは、秋にも見える。

 どうにか桐子を追いやろうと足掻くほどに、攻撃は単調になって見切られ、その度に追い込まれていく。

 体力が削られた男の体は息を咳切って、再び壁際に追いやられた。

 逃げ道を塞がれた悪魔は、しかし嫌味で舌打ちする余裕すらないらしい。歯噛み、壁に触れて、無いはずの出口を求めるようにもがく。

「地獄に帰ってご自身の存在を思う存分、後悔してください」

「ヒッ……」

 情けない悲鳴を上げる男のすぐ眼前。桐子は再び、ハンドガンを構えていた。

 いますぐ引き金を引けば、男は一瞬で呆気なく絶命する。

 ギラギラと殺意を込めた灰色の瞳。

 鈍色に輝くそれは残酷な死のみを告げる死神のように、無慈悲で乱暴に、秋には見えた。

 そのはず、だった。

「やっ……やめてっ!!!」

「……!」

 頭を抱えて泣き叫ぶ男の姿を目の当たりにして、トリガーを潜る桐子の人差し指が固まった。

 心臓が高鳴り、血液が逆流する。どくんどくんと、鼓膜を破らん勢いの激しい音のなかで、しかし桐子の脳裏にとある記憶が甦る。

 ここは青柳の屋敷だ。

 主人を含めて家族は四人ぼっちなのに、部屋は無数かと思えるほどたくさんある。

 広すぎて、氷でできているみたいに冷たい。

『やめてっ……!やめてください、お兄様‼︎』

 幼い自分が、必死にそう叫んでいる。

 目の前には、自分とよく似ている青年が立っていて、絶望の海に投げ出されたような表情を浮かべていた。

 桐子の頭を優しく撫でてくれた、その手には冷たく鋭いナイフの光。多くの人と彼自身の血で汚れている。

 陽だまりのように微笑んでいたその顔は、いまではひどく痩せこけている。

 蜂蜜色の艶やかな髪も、見るも無惨な白髪に。

 彼にはもう、なにも聴こえない。なにも届かない。

 ————優しかったお兄様は、壊れてしまった……私のせいで。私の、せいで。

 彼女の幼い手には、銃が握られていた。

 人差し指は引き金に、銃弾はあと三発入っている。

 目尻にじわりと浮かぶ涙。悲愴の瞳。

 それらが色濃く浮かんだ桐子を見て、悪魔は優勢を感じて再びほくそ笑んだ。

「うは……うはははは、どうしたクソシスター!早くその引き金を引けばいいだろう?」

 今度こそ彼女を止めなくてはいけない。

 秋は半ば飛び出さん勢いで、桐子に訴えかけた。

「おいっ、やめろ!それで撃ったらソイツはっ!」

 秋の必死な叫びを、しかし悪魔が醜悪に笑う。

「うはははは、そうだよな?ただの銃とナマリダマじゃ、人間を殺すだけだもんなぁ?悪魔(おれ)たちにはキズひとつ付かない!」

「っ……!」

 悪魔の笑いに、今度こそ桐子は歯噛みした。

 桐子が戦う姿を見ながら、秋はずっと疑問を感じていた。

 いったい彼女はどうやって、悪魔祓いをするというのか。

 修道士は必ず修道女とペアで悪魔祓いを行わねばならない。いや、正確には『できない』のだ。

 修道士のみでも、修道女のみでも、悪魔祓いは絶対不可能。なぜなら。

 悪魔祓いに必要な神器ロザリオは、修道士の心臓と、修道女の唾液を神に捧げることで生まれる。

 教典序章。最初の人間アダムの次に、神は彼の肋骨からエヴァを生み出した、とされていた。女は男の一部であり、罪事の一端である。

 この地上(ノト)に住まう人間は楽園を追放された身であり、禁断の果実を食んだ罪を纏っている『罪人』だ。

『罪人』の心臓には、悪魔が棲んでいるとされている。

 その『罪人』の心臓を処女の唾液で洗い、神に捧げることで、罪は許されて《ロザリオ》を授かる。

 だから修道士には修道女がいなくてはならないし、逆もまた然り。

 それらは修道士もしくは修道女であれば、最初に知らなくてはならない教えである。

 悪魔の魂は、その神器ロザリオでなくては浄化できない。

 人間が製造した武器なんかでは、悪魔が棲みついた人間の体を不用意に傷つけるだけだ。

 その現実を、この悪魔も知っている。

 知っていて桐子を挑発しているのだと、その意地悪げな笑みが答えてくれた。

「どうした?撃ってみろよ、聖女サマ」

「っ‼︎このっ……」

 安い挑発に乗り、桐子が怒りに任せて引き金を押し込もうとする。

 もう見ていられないと、秋も飛び出そうとするが、間に合いそうにない。だが、その瞬間だった。

「主よ。我らの原罪を、どうかお許しください」

 教典第一章の第一文が、秋にも聴き覚えのある声で鋭く飛ばされた。

「ギャッッッ!!!!!!!」

 聖なる文言を耳にした悪魔が、こりゃあ堪らん!と耳を押さえて短い悲鳴をあげる。

 秋は悪魔祓いを始めた声の方を向き、安堵の声で、この世でもっとも信頼している修道士の名を呼んだ。

「ルカっ!!!!!」

「悪いな秋、遅くなっちまった。ギリセーフってことで見逃せ」

 ルカの乱れた髪と呼吸が、彼の焦りと秋のことを家族として心配していた気持ちを肌から感じさせた。しかしいつも通りの温かい声に、秋はいまにも腰が抜けそうなほど強く安心していた。

「ルカ、お喋りに興じる時間はありません」

 ルカの相棒であるシスターカナコが、いつもより厳しい声で叱咤。

 彼も相棒の声に力強く応えた。

「わかってる!ちょっぱやで片付けるから、頼んだぜ相棒!」

 悪魔に立ち向かうその背を眺めていると、あぁやっぱりかっこいい。かっこよすぎるぜ、と感嘆せずにはいられない。

 同時に、自分の情けなさと弱さも痛感し、ひどく心が苦しくなる。

 まだ新人だから、子供だから。

 そう評価せざるを得ない、期待薄で散々な結果だろう。

 ルカに救われ、憧れ、目指していた。嘘じゃない、幼い頃からの強い願いだった。

 なのにこのザマはなんだ、結局なにも出来なかったじゃないか。

 安堵で落ち込んだ膝に、落胆で拳を投げつける。

 いつのまにか隣で首を沈めている桐子を見た。

 彼女の瞳には、なにかに対する怯えが映っている。

 秋はルカに課せられた最初の任務と、そして差し出された写真データのなかにいた、淋しげな少女の瞳。今更ながら思い出した。

 ルカがわざわざ、秋自身に相棒になる桐子を捜させたのは、きっと————

「おいっ、いい加減にしろシスタートウコ!修道女ひとりでは、悪魔祓いはできない!お前ほど優秀なら、頭が痛くなるほど知ってることだろ⁉︎」

 悪魔祓いを終えたルカが、桐子を厳しく叱りつけている。

 彼女の行為はそれだけ軽はずみなことで、秋にも悪魔に憑かれた男にも、桐子自身にも危険が及んだことだと、深く理解させたかったのだろう。

 しかし気を取り戻した桐子は、相変わらずの不遜な態度でルカに物申す。

「こんな足でまといは不要です、ブラザーアスカリ。あなたの秘蔵っ子とは伺っておりますが、弱すぎます」

「『弱すぎる』……ね」

 ルカもなにか腹積もりがあるのか、言いたそうな顔で頬をぼりぼりと掻く。

 しかしやがて、なにを思ったのか鼻で笑った。

「そりゃ今日から正式拝命だからな。どんなに教え込んでも覚え悪いし、運動神経は絶望的だし、おまけに顔も悪い」

「顔は余計だっ!」

 謂れのない散々たる悪口を叩かれ、秋も黙ってられないとばかりに口を挟む。

 しかしルカが言いたいのは、そういうことではない。

「だけどコイツなら……」

 と、秋の頭をくしゃくしゃに撫で回す。

 いつもなら激しく反抗しているはずなのに、いまばかりは秋も黙って受け入れた。

「秋なら、お前さんのブ厚い氷も、呆気なく溶かしてくれるんじゃねぇかと、俺は期待してんだ」

 なにか文句をたくさん言いたそうに、口をもごもごと動かし、しかしなにかを妥協しようと努力したのか。

 桐子はこれだけ言って背を向けた。

「……ブラザー、安易な買い被りは命取りですよ?」

 桐子の言葉を、ルカはかかかと笑い飛ばす。

「買い被り、じゃあねぇ。これでも神様よりずっと信じてんだ、このアホの力をな」

 これが、ふたりの始まりだった。

 最悪の出会いだったし、何度考え直しても有り得ないと思う。腹が立つから、突っぱねてやりたい。

 でも、それでも互いに。

『あなたに出会えてよかった』と。

 そう、いまは感じている。

 この出会いが、神が与えたもうたものであるというのなら、一生を注いで汝に仕えると誓おう。

 優しさを、温かさを、強さを。

 生きるためのすべてを届けてくださった、愛しき『あなた』に。

 いつだって隣にいてくれる、『キミ』に。

 神は惑う子羊に、必ずや救いを与えてくださるのだと、いまなら強く信じられる。

「『神の御名において、汝の惑いし魂を救わん』」

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