第7話

「しかし……いったいどこに行ったんだ?このクソ女」

『闇市』のどこを回っても目的の少女が見当たらず、ガリガリと頭を引っ掻き回すことで焦る気持ちを押し止めるのも、これで何回目だろうか。

 ルカの目を盗んで原付バイクを無免許で乗り回し、『闇市』にもそこそこ詳しくなった秋にとって、ここは庭のようなものだ。

 だからこそ女の子がひとりで気安く出歩いていいような場所じゃないこと、女性がいても不思議じゃないごく少数の店があることを知っている。

 それら心当たりをすべて回ってみたものの、写真の少女は見つからなかった。

 有り体に言えば綺麗で目立つ容姿だから、誰か見かけて覚えているかもしれないと、『闇市』で店を開いている連中にも尋ねてみた。幾人か見覚えがあると答えたから、この辺にいるのはきっと間違いない。

 しかし中央区の洒落た店にいてもおかしくない洗練された容姿だし、元々が富裕層の出である彼女が、とっくに『闇市』を出てしまった……ということだってあり得る。中央区なんて行かれたら、貧乏くさい顔と自覚する秋が行くのは僅かばかり憚られる。

 相棒になるはずの少女と連絡手段がないいまは、猶予時間があまりない。焦るのは無理もないだろう。

 そのとき。

「おー、すげー!」と大きな歓声が上がった。

 何事かと声が上がった方向を見やると、どうやらそこはゲームセンターのようだ。

 VR技術全盛期の二〇一八年製ハイスペックな筐体から、マニアックな一九七一年製の『コンピュータースペース』など、多彩な品揃えで大人気の店だ。ゲーム実況プレイ動画を投稿したり視聴するほどのゲーム好きな神奈川エリアの若者なら、全員が行ったことがあると答えるはず。

 そんなゲーマーのしのぎ合いせめぎ合いの中にあって、目が肥えているはずの彼らが注目するということは、よほどの腕をもった者なのだろう。

 秋はあまりゲームを自分でプレイしたことがないし、実況プレイ動画というものも自発的に視聴したことはない。かろうじてゲームセンターの名を耳にしたことがあるというだけで、そういった世界に興味があるわけでも、足を踏み入れたいと思ったこともなかった。

「そんなにすごいモンなのかね、ゲーム実況者?ってのは」

 バカバカしい、とばかりに鼻を鳴らし、秋はゲームセンターを通り過ぎようとしている。

 ゲームや動画といった娯楽品の全盛期に青春時代がぶつかった世代は、日本経済と技術自体が傾いた現代でも夢中らしい。ルカなんて休みの日は年甲斐もなく動画チェックをするし、貧乏なのに大枚をはたいてレトロゲームを購入した際には、相棒のシスターカナコにさんざん叱られていた。

 ゲームという娯楽に馴染みが薄い世代に入った秋にとって、特に強い思い入れなどはない。秋の場合はむしろ、ルカの偏った私生活を目の当たりにしているものだから、「くだらない」と馬鹿にしている節がある。

 しかし観客の男たちが騒いでいる理由がわかった途端、秋も取って返したようにすぐさま群衆に混じりだす。

 観客たちが騒いでいた理由のひとつは、いまゲームをプレイしている人物が界隈では有名な実況者だったからだ。

 本当に人間かと疑うほどありえない反射速度と、的確な操作。どのジャンルのゲームにおいても、最高の記録を残す伝説のゲーム実況者。

 彼女の腕にかかれば、どんな名作ゲームもたちまち『クソゲー』に変わる。

 そこまでだったら、秋は毛ほども興味を持たなかった。

 ————だってゲームなんてなにが面白いのかわかんないし、別にすごく上手だからって羨ましいとか思わないもん。

 しかしもうひとつ、彼らが注目する理由。そして不覚にも秋が興味の対象とした、その理由。

 それはその伝説のゲーム実況者が、とんでもなく美人の女の子だったからだ。

 彼女がいまプレイしているゲームは、バブル崩壊後の一九九○年代に爆発的ヒットを博した『ダンス・ダンス・レボリューション』。通称『ダンレボ』。主に脚を使ったリズムゲーム筐体だ。

 音楽と画面に映る矢印に合わせ、脚元のパネルを踏む。一見すれば単純で簡単そうに見えるが、反射神経とリズム感、現実で体を動かすことに慣れていないと難しい。

 引きこもって手元のコントローラーを操作するのとは、わけが違う。

 観客たちの会話を小耳に挟んでゲームに疎い秋にもわかったことは、彼女がプレイしている曲はその手のゲーマーの間でも難しい曲で、さらに難易度設定は最高クラス。そこいらのゲーマーではまずクリアが難しい。

 人垣の隙間から見えた彼女の舞いは、ゲームをプレイ中という現実すら忘れさせられる光景だった。

 蜂蜜色の長い髪が軽快なステップに合わせて揺らめき、落ち込んだように景気悪く暗い照明のなかにあっても美しく輝く。着ている服はモノクロのロングスカートなのに、大胆なスリットが入っているせいか、妙な艶かしさすら漂っていた。

 動くたびにたわわに実った白い双丘がふるりと揺れ、男どもが喉を鳴らす。

 中にはあからさまに鼻の下を伸ばしている不届きな野郎もいるが、当の彼女はゲームに夢中で気づいていないようだ。

 筐体の画面を覗けば様々な方を向いた矢印が、もはや判別もつかないほど並んでいる。しかしその凄まじい矢印のラッシュを一つも逃すことなくステップを踏み、それでいて楽しむ余裕すら感じられた。

 踊る彼女の美しい顔は、とても瑞々しくて楽しそうに微笑んでいる。それでいて真剣そのものの気迫があり、たかがゲームだという偏見すら消えてしまいそうだ。

 曲の終わりに彼女はパフォーマンスがかった仕草で「フィニーッシュ!」と、これまた可憐な声音で似合わないガッツポーズ。観客の盛り上がりは最高潮。

 ところで彼女、どこかで見たことあるなと秋は首をひねった。

 たっぷり十秒間、考えているあいだに彼女は観客の何人かと軽く挨拶を交わしてから、撮影用の携帯端末と三脚をてきぱきと片付け始めている。

「………あーっ!!!!」

 思い出した!と秋は薄く驚いた彼女を、失礼な行為ではあるが人差し指でさす。

 当然、周囲の視線は声を上げた秋に集中。

「お前がシスタートウコ⁉︎」

 どうりで見たことがある顔のはずだ、今日のうちに何度も写真を見て捜していた人物なのだから。持たされた資料写真のいかにも陰気そうな表情とは、雰囲気すらまったく違うものだから、なかなか結びつかなかったようだ。

 服装もよくよく見てみれば、ものすごくエロく改造したシスター服だった。

 胸元には年代物のコンボスキニオンが光っているが、シスター服のビビットに富んだ改造ぶりで霞んで見える。

「……そういうあなたは、もしや私の新しいパートナー、ですか?」

 指でさされたのが不服だったのか、初対面で「お前」呼ばわりが癇に障ったのか。

『伝説のゲームプレイ実況者』ことシスター青柳桐子は、その柳眉を歪めてぶすくれたように唸る。

「まぁ、一応……」

 美少女を前にした気恥ずかしさと、ペアで悪魔祓いをすることを認めたくない気持ちが綯い交ぜになり、秋の答えが濁った。

 その濁りが彼女に不信感を与えたのだろう。

 先ほど笑顔で軽快なダンスをしていた少女とは思えぬほど、纏う空気が梅雨空のごとく重くたれ込めている。丁寧に磨いた宝石のように輝いて見えたはずの灰瞳も、いまは見る影もなく濁って澱んでいた。

「黒澤秋、階級は下級輔祭だ」

 気を取り直して名乗りと同時に、数時間前に与えられたばかりの真新しい紀章をしっかりと提示する。

 真ん中に十字架と林檎が美しく彫り込まれた銀細工に、階級を表す白いサテンのリボン。正真正銘、正教会が発行しているものだ。

 秋の顔と名前くらいは、おそらく事前に通知されていたはずだ。

 だからこそ彼女は「私のパートナーか」という問いから始めてくれたわけだし、お世辞にも治安がいいとはいえないこの『闇市』のなかで、会ったばかりの男に声をかけられても平然としているのだろう。肝が据わっているとも取れるが。

 桐子は秋の顔とまっさらに輝く紀章を交互に見やって、それから不機嫌マックスといった風にぷいと顔を逸らした。

「フン」

 せっかく秋は感じよく接しようと努めているのに、挨拶も返さず、それどころかあからさまな『誰がお前なんかと組むかバーカ』といった態度。「会話のキャッチボール」とはいかに。

 秋もさすがにカチンと頭にきて、我慢していたつもりの文句を漏らす。

 しかしそこからが議論の平行線の、その長き序章だった。

「あのなぁ。こっちはお前が音信不通だっていうから、さんざん探し回ったんだぞ」

「知りません、頼んでません」

「俺だってやりたくなかったよ!」

 相変わらずツンケンした受け答え、機材の片付けを再開させ、どうやら既に次のゲームに目星をつけている模様だ。あっという間に移動し、再び三脚を立てて携帯端末も起動させる。

 次のゲームは昔懐かしい2Dの対戦型格闘モノの金字塔、『ストリートファイター』。人気の高い二作目よりもシリーズ第一作目をチョイスするあたり、彼女の趣味の渋さを物語っている。

「それでしたら、私のことは是非とも放っておいてください。いまめちゃくちゃ忙しいんです」

 そう言いながら桐子は、プラスチック製のバケツにたっぷりと入っているゲーセン内専用貨幣を、真っ赤なゲーム筐体に二枚投入。ゲームが開始する前に、携帯端末の向こうにいる視聴者に向かって明るく可愛らしく挨拶。

 その表情はやはり生き生きとしていて、どこにでもいる普通の少女そのものだ。しかし秋が引っ付いて離れないからか、先ほどよりなんとなく不機嫌を引き摺っている。

「そーゆーわけにもいかないの!だからここまで来たんだっての。ルカ、じゃねぇ、アスカリ中級司祭の命令だよ」

 教会所属の修道士のなかにはルカと昔馴染みがいて、秋のことも弟みたいに可愛がってくれる、いわゆる顔馴染みがちらほらといる。

 だが『修道士になった以上、きちんと公私の区別はつけること』がルカに付けられた条件であり、それはルカに対しても例外はない。

 いつもみたいに『ルカ』ではいけない。『アスカリ中級司祭』なんて。

 言い慣れないし、なんだかこそばゆい。

 内心で照れている秋を他所に、桐子は画面左にいる対戦相手の筋肉ダルマをぶちのめしながら、秋に対しても容赦なく言葉で打ちのめす。

「有り体にいえば『失せろ』です」

「ンの野郎!ちょっと可愛くておっぱいでけーからって!」

 苛立ちで思わず滑ったセクハラ発言に、桐子は顔色ひとつ変えず、目線がほんの少しだけ秋に向かった。敵の筋肉ダルマにどでかく見事な昇竜拳を放ちながら、しかし声音には冷たく鋭い棘を持たせて。

「有り体にいえば『このド変態死ねクズ』」

「いまのは俺が悪かったけど!ちょっとだけ!」

 この通り、お許しを!と必死に平謝りしつつ、自分の情けなさとうっかりには際限がないなと絶望感すら覚える。

「ちなみにそのエロ親父発言、全世界的に配信されてますよ」

 と止めを刺されれば、もはやトリプル土下座をお見せするしか道はない。

 そういえば桐子が現在進行形で実況プレイをしていて、三脚には動画撮影モードを起動させている携帯端末が設置されていたのを、今更ながら思い出して冷や汗が背を伝う。

 端末の画面を覗き込めば、流れるコメント欄には

『エロ親父wwwwww』

『誰だこの男。。。まさかトーコさんの彼氏?キモダサ』

『氏ね』

 などなど、秋に対する辛辣な大批判が殺到している。コメントが多すぎて、文字も画面もまったく区別がつかないほどだ。

 ————このままだと動画の視聴者に、歩いてるときに背後から刺殺されそうだ……。

 いまだ止まぬ熱い批判コメントの嵐を見て、秋の背筋に自然と悪寒が走る。

 とりあえず動画撮影が終わるまでは大人しく黙っていよう……と、めちゃくちゃ撮影範囲にいたところを、静かにフェードアウト。

 秋の携帯端末では機能制限がなされていて確認できないが、おそらくコメント欄の大炎上は多少なりとも鎮火されただろう。

「フィニーッシュ!みんなおつあり!次は五分後にスタート予定です。お楽しみにー!」

 まるでアイドル歌手みたいな可愛らしい身振り手振り、そして声のトーン。

 たまにネット上と現実でテンションが違う人がいると、その世代のルカから聞いたことがあるが、実際に目の当たりにするのは秋も初めてだ。ここまで違うと、なんだかどちらが本性なのかわからない。

 ————いや。

 どちらも本性なのか、それともネットの中が『なりたい自分』なのか。

 あの輝いていて可愛らしい笑顔の奥は、この写真の瞳みたいな厚く冷たい氷で覆われているのだろうか。

 ほんとうの君は、いったいどんなひとなのだろう。

「……あのさ」

「おーいおいおいおいおい。見ろよ」

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