第7話 夕闇の虹


「このバカ!!」


三羽烏の顔に強烈な拳が飛ぶ。ヒサ先生の鉄拳制裁で細身の三羽烏は吹っ飛ぶ。がたんがらんと音を立てて三羽烏は倒れた。


「本当に考えなしの早とちりだね!いっちょ前に大人になったつもりかい!?」


ヒサ先生は今度はタズトを捕らえた三羽烏のひとりに鮮やかな飛び蹴りをくらわせた。中年女性とは思えない身のこなしだった。

ナナヱは開いた口が塞がらなかった。


「ヒサ先生…強い」


解放されたタズトの腕を引っ張りあげるヒサ先生に、タズトは目を白黒させながら尋ねた。


「ゴリラ?」


「黙れ小僧」


今のうちに逃げな、とナナヱとタズトの背中を押す。


「ヒサ先生!私、でも…」


「せめてぜんまいを渡してからとか抜かすんじゃないだろうね」


「はい…でなきゃ追ってきます」


「渡すのは絶対にダメだ。」


「でも」


「うるさいね…他に心配することがあるだろうが!文句たれてないで、駅へ走れ!」


「先生!」


渋るナナヱに、ヒサ先生はゴンッとゲンコツをかました。


「しつこいねまったく!良いかい、これはあんたの早とちりの結果なんだよ。いくらでも引き返す時はあったはずだ。他の子まで巻き込んだのもあんただ。責任はあんたにある。いいかい、駅に着いたらいの一番に出る汽車に乗りな。みんなの事を思うならもう孤児院に帰ってくるんじゃないよ。遠くへ行きな。きっとどこかにあんたの母さんもいるだろうから」


「お母さんが!?」


思わぬ所で出た母の名に、ナナヱは聞き返す。ヒサ先生は言ってしまったからにはなかった事にはできない言葉を吐露した事を気まずいながらも続けた。


「…赤ん坊だったあんたを、私に託したのはあんたの母さんだよ。同じ髪色で、今も生きて…」


後ろでぎししし、がたん、と、三羽烏が立ち上がった。


「行け!」


ヒサ先生は叫び、ナナヱの背中を突き飛ばす。タズトもナナヱの手を掴み、走り出した。風を切ってふたりは走った。あっという間に三羽烏の声は聞こえなくなったが、振り返る事はしなかった。ただ頭の中でぐるぐるとヒサ先生の言葉が繰り返した。


あんたの母さん…

赤ん坊だったあんたを私に託したのは…

あんたの母さん…

同じ髪色…

今も…


お母さんが、生きてる!?


緑の屋根に白タイルの駅舎が見えてきたと同時に、汽笛がボゥーっと鳴った。今まさに出ようとする蒸気機関車があった。

タズトは切符売り場を無視し、人を押しのけ、有人改札へ向かった。がむしゃらに駆ける子どもを駅員は見逃さず、改札前で止めようと立ち塞がったが、身軽なタズトはジャンプで飛び超え、駅員がタズトに気を取られた隙にナナヱは駅員の股下を滑り込んで改札を突破した。駅員の制止も怒号も蒸気にかき消され汽車が動き出す。亀の歩みから兎の速さへ、さらに加速する。

駆けるタズトが最後尾の車掌車に豹のような跳躍で飛び乗ると手を差し出す。

ナナヱはその手を掴もうとするが、指先ばかり触れ合い、引き離される。息ができないほど胸が痛く苦しいけれどまだ走り続けるナナヱにタズトは叫んだ。


「飛べ!!」


駅のホームが終わりを迎えた瞬間、ナナヱは飛んだ。一瞬だったが、ふわりと永遠に飛んだ気がした。伸ばした手をタズトは今度こそ掴み、引き寄せて、ふたりはドタドタと車掌車に倒れ込んだ。

ぜーはーぜーはーとナナヱはひどく乱れた息をついた。ようやく自分が呼吸をしていると気づいたナナヱの胸の下でタズトが下敷きになっていたため、飛び退く。タズトもタズトでこれ以上ないほど顔を真っ赤にして、汗をかき、息切れしており、何か言おうにも言えなかった。

石炭のにおいと耳元で切る風を感じてようやくふたりは落ち着きを取り戻した。

ようやく振り返ったナナヱの目には、すでにアイノイの街が遠く、山が小さくなりゆく様が映った。山際には夕日が落ち、空は赤から夜の青へ紫へ闇へと変わっていく。夜のはじまりを、消えかけの7色の虹が彩っていた。初めて見る夕闇の虹に、ナナヱの心はまったく弾まなかった。突然、命の源のぜんまいを狙われ、自分の死を望み虹の向こうへと誘う三羽烏に追われ、家だった孤児院を、家族だった子ども達と先生達と別れる事になった。さらに母の生存…ナナヱは託されたのではなく孤児院にぜんまいと着の身着のまま置き去りされたと聞いていた。ヒサ先生はなぜ母の事を隠していたのだろうか…そして、自分自身のこと…

ナナヱは左手の中のぜんまいをきつく握った。


「おい…」とタズトがようやく口をきいた。「これからどうするんだ?」


消えていく夜の虹が、絶望と可能性を示しているようだった。奇跡のようでもあるその不思議さに後ろ髪を引かれながら、ナナヱは前を向く。


「私、お母さんを探しにいく…!」

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