第6話 卑怯で身勝手で無神経で
ヒサ先生は街の警察に捜索を願い出ていた。すでに院長と子ども達は先に帰らせ、自分はナナヱを探すために街に残っていた。
雨上がりの虹も消えて、夕闇が迫る。
ナナヱが迷子になり警察の世話になることは幼少期はよくあった事だがまさか14歳になっても迷子になるとは…と頭を抱え、心配を募らせた。
「大丈夫。きっと見つかりますよ」
団子っ鼻にネジ穴のついた警官はそう励ましてくれたが、あの早とちりのナナヱが面倒事を増やしていないかが心配だった。
交流で数時間待っていたヒサ先生は待てど暮らせど来ぬ人に痺れを切らして、交番を出た。
一方、ナナヱ達は大通りに向かっていた。
口喧嘩も疲れ、頭を冷やそうと黙っていたナナヱはふと、タズトの家族…弟について話しかけた。
「タズト、ヒイロってどんな子?」
「何だよ藪から棒に」
「孤児院の子達は家族だけど血は繋がってないから本当の家族ってどんなかなって…」
「別に家族じゃねえ」
「ふえ?」
「半年前、このオレから盗みを働こうとした乞食さ。シメてやったら、逆にオレから盗みを教えてくれって懐かれただけだ。アニキアニキって勝手についてくるあいつをウサギはオレの弟みたいだと言ってるだけだ」
「へぇ…大切な子なんだね」
「別に…ただのうるせぇガキだ。身の丈に合わねえもん狙うしどんくせーし」
「でも、取り返したいんだよね」
タズトは歩みを止めなかったが、黙って距離を空けた。やはりタズトはヒイロを弟と想っている。
「…ああ」
タズトは短く返して足元を見る。どことなくナナヱには、タズトははるか遠くに想いを馳せている気がした。
「ね、タズト。これからどうするの?三羽烏を探しに行くの?」
「お前には関係ねえ」
「そう…かもだけど…」
すると、君達、とふたりは警官に呼び止められた。
警察帽の下に団子っ鼻が見える。
「君、コーコ孤児院のナナヱだね?ヒサ先生が探していたよ」
警官は近づくなり膝を折って目線を合わせた。
知っている名前が出て、ナナヱは目をきらめかせた。
「ヒサ先生が!?」
「ああ、ずいぶん心配していらしたよ。さあ、帰りましょう」
その言葉にナナヱの心がザワついた。錆びたにおいが口の中に広がるような、目の前がけむるような。
「ナナヱ!!」
警官の後ろの方からヒサ先生が駆け寄ってきた。見つけるなり一直線だった。警官は立ち上がりヒサ先生の方に向く。
「まったくこの…」
言いかけてヒサ先生は止まった。
「ああ、ヒサ先生。ようやく見つけましたよ。ずいぶんお疲れのようだから、交番で休ませた方が良さそうですよ」
警官は穏やかに言うが、ヒサ先生の顔が警戒で強ばる。
「あんた…違う。私が頼んだ警官は団子っ鼻にネジ穴があった…誰だい…?」
ナナヱは初めて、あの怖いもの知らずのヒサ先生の顔が恐怖で引き攣るのを見た。それほどまでに、ヒサ先生が頼んだという警官に似ているのだろうか。
「これはしたり」警官は帽子を取る。「顔は上手くできたんですがね。顔にネジ穴のあるものは再現が厳しい」
警官の後頭部には、鈍い銀色の二次ねじが嵌っていた。
「まったく、帽子が忌々しい。ねじの邪魔です」
「まったく、同感です」
「まったく、右に同じ」
まったく同じ声、まったく同じ顔、まったく同じ姿の警官がさらにふたり、現れた。彼らもまた、後頭部に二次ねじ。
「しかし、変身するならば美男子が良かったですね」
「本当に、これは美しくないですね」
「まるで、ピエロですね」
まったく同じ動作で鼻をつつく3人。
ナナヱとタズトにはこの3人の二次ねじ、錆びたにおい、けむる空気に覚えがあった。
「三羽烏…!」
ナナヱがその名を告げるとヒサ先生は困惑して尋ねる。
「なんだい、ナナヱ…知ってるのかい?」
「知っていますとも、ヒサ先生」と三羽烏が代わりに答えた。
「ナナヱはつい先刻、我々の同胞と出会っております」
「壊れかけ、死にかけでしたがね」
「けれども、3人もいらなかったですね」
「こうして、おチビさんが連れてきてくれた」
「ではでは、帰りましょう。虹の向こうへ」
三羽烏は手をナナヱに差しのべる。
だが、三羽烏のひとりの手は背後に伸びて、何かを掴んだ。小さな子どもの手、いつの間にか彼の後ろに回り込んだタズトだった。
「おやおや、いけませんね。おチビさん」
「くっ…!」
音もなく背後に回ったタズトの手を掴んだ三羽烏はひらりと踊るようにタズトを地面にねじ伏せた。
タズトは呻き、足掻くが小さな体に大人の力では抗えなかった。
「クソッタレ…!次にチビって言ったらねじごと頭ぶっ潰してやる…」
「おやおや、威勢がいいですね」
「やあやあ、君の噂は聞いてますよ。どん底辻の小さな盗っ人」
タズトを押さえた三羽烏はゾッとするほど朗らかに微笑んだ。
「君には、礼を申し上げましょう」
「何の事だ」
「ナナヱを、我々をおびき出すために選んでくれた事を」
「偶然、とはいえナナヱを捕らえるに足る場に導いてくれました。まさか我々の狩場に連れてくるとは」
「あすこはオレのシマだ…勝手に狩場にしてんじゃねぇ…!偽物が!」
ドスをきかせた声でタズトは三羽烏を嵐の瞳で睨みつけた。が、三羽烏は微笑んだまま、タズトの襟首をぐいと引っ張りうなじを露にした。タズトのうなじには艷めくネジ穴があった。
「あまりに、お行儀が悪い子どもですね」
彼の右手の人差し指から針が伸び、タズトのネジ穴に突っ込み、キィキィと引っ掻いた。その音は小さいが、身体中を黒板で爪を立てて引っかくような不快感が巡りタズトは動けなくなった。
「あ…っ…や、やめ…」タズトは喘いだ。
「どうかな、中を掻き回される気分は」
怒りで荒れていたタズトの瞳孔が小さくなる。ぜんまいが命の源なら、ネジ穴は命の器。その急所を攻められ恐怖が彼を支配していく。ネジ穴がぜんまいを嵌められないほど傷つけられればどうなるかナナヱも知っていた。血の気が引いていく。
「やめて!!」ナナヱは叫んだ。「私のぜんまいがいるならあげるから!タズトを放して!」
悲痛なナナヱの声に三羽烏は耳を傾けた。ナナヱは首の紐を引きちぎり、自らのぜんまいを差し出す。
「お願い…お願いします……」
ナナヱの言葉にタズトは息を乱して食いついた。
「お前っ…何バカを…!」
「そうだよね…バカだよね」ナナヱは声を震わせながら答える。
「私…孤児院のみんなに寄り添いながらずっと知らないフリしてきた。家族がいない辛さを分かち合えても、偽物のねじの寂しさも何もわかってない…それでも笑って元気でいてほしいからなんて年上ぶってさ…こんな私をお母さん達に見つけてもらおうなんて虫が良すぎる。卑怯で身勝手で無神経過ぎて嫌になるよ」
「だから」ナナヱは心を決めてタズトを真っ直ぐ見つめた。「私のぜんまいでタズトが助かるなら、おやすい御用だよ」
ナナヱは微笑んでいた。優しく穏やかに。
タズトは戸惑った。その迷いのなさに。
「バカ、お前…それは…親に見つけてもらうためのぜんまいだろう」
「私のぜんまいよ。私が決める」
一切のためらいなく、ナナヱはぜんまいをかざす。
きらきらとぜんまいの宝石が輝く。夜の桜吹雪のきらめきのように。
三羽烏のふたりは嬉しげに両手を広げた。タズトは叫んでいたが取り押さえられて身動きが取れない。
「やめろ!ナナヱ!!」
「ではでは、虹の向こうへ帰りましょう」
「大丈夫、ぜんまいをくれる子には優しくします」
「さあさあ、ぜんまいを我々に。身体を虹の向こうに」
いつしか、人はこの世で命が役目を終える時に虹の橋を渡るという言葉を用いた。
虹の向こうは、死の世界。
夕日を丸め込むように暮れる空に虹がかかる。
三羽烏はナナヱを虹の向こうへ連れていく死神だ。
ぜんまいを渡したら、彼らはナナヱの残りの巻きを終わらせるのだろう。
ナナヱは目を閉じ、死神に身を委ねた。
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