第5話 偽物のぜんまい

ナナヱはタズトと共にバアレスク・ラウンジを後にした。にわか雨は止み、空には虹がかかっていた。


「きれい…」


積み重なったバラック小屋の隙間から空を見上げてナナヱは思わず感嘆をこぼした。

無法地帯のどん底辻から見る虹は人々に等しく奇跡を与えた。小屋から何人かが空を見上げている。


「早くしろよ」


タズトはうっとうしげに催促した。

ナナヱが大通りに出るまでの道案内をタズトはチェリーバニーに押し付けられたのだ。

バラック小屋の立ち並ぶどん底辻を歩きながらナナヱは気づいた。


「錆びたにおいがしない…けぶってない…」


三羽烏が現れる前、どん底辻をのぞいた時に感じたにおいと空気。どん底辻は他より陰りの中にあるだけで、あの嫌な予感がする錆びた金属のにおいと淀んだ空気はない。

ナナヱのつぶやきにタズトは答えた。


「三羽烏が出る時、そのにおいと空気に満ちる。体が錆びて腐るにおいを出して空気を淀ませてしまう。二次ねじを持つ者の末期だ。死にかけていたんだ、あいつら」


二次ねじの末期。

ナナヱはぞくりとした。


「…あの人達、あんなになってまで生まれながらのぜんまいが欲しかったのね。でも、誰かのぜんまいがを奪っても…」


「そうだ、結局偽物のぜんまいでしかない」


唯一無二の生命のねじ、生まれながらのぜんまいは、ひとりにひとつしかない。仮に誰かのぜんまいを奪って作り替えても、それも偽のぜんまい、二次ねじと同価値だ。そして錆びれば、ねじを巻くことが困難になれば寿命。体も錆びる。心も錆びる。


「私、天寿をまっとうしたら眠るように死ぬときいたよ…でも二次ねじは…あんな最期になってしまうのね……」


孤児院の子ども達の事を思いながらナナヱは手を握り締めた。タズトはそれがどうしたと振り返る。


「ここにいる大半が二次ねじだ。オレもウサギも。ねじを常に付けていないと体が保てないヤツも、すでに体が錆びているガキもいる。二次ねじは人が作った偽物であるが為にねじの巻きが短ければ寿命も短い。生まれながらのぜんまいを奪いたいほど、叶わないほど欲しがる連中はあいつらだけじゃねえ。孤児院の人間ならそれくらい知っとけよ」


タズトの目は、嵐のように荒れていた。どん底辻に住み、嫌われ忌まれ蔑まれながら生き、生まれながらのぜんまいを持つ者全ての憤りに荒れていた。ナナヱは思わず自分のぜんまいを握る。


「ごめんなさい…」


本来なら、生まれながらのぜんまいを持つナナヱは二次ねじを持つ孤児院の子ども達からその目で罵られ貶され現実を突きつけられてもおかしくないのだ。

生まれながらのぜんまいを失い、捨てられた子ども達。ある子は家族に壊され、ある子はぜんまいと自分を別々に捨てられ…この世から捨てられたも同然だった。捨てられるということは、ゴミであった。

生まれながらのぜんまいを捨て二次ねじを持つ者にならない限り、その孤独を、世間から受ける痛みを分かち合うことはできなかった。


「わかったらそのぜんまいを服に隠せ。今度はネジ穴も壊されかねないぞ」


タズトは忠告するとまた歩き出す。


「それは…できないよ」


ナナヱはそう返した。タズトは不機嫌に睨む。


「何でだよ。盗ってほしいのか?」


「…お母さんとお父さんに見つけてもらうためなの」


ナナヱの答えにお前はバカかとタズトは指でこめかみをとんとんと突く。


「自分を捨てた親に見つけて欲しいから、二次ねじ者の前でも隠さず見せびらかして、パパ、ママ、私はここよって晒してんのか。頭お花畑か?」


「何とでも言いなさい。本当の事だから」


ナナヱは簡潔に返すだけでそれ以上は言わなかった。


「キモい。生きてるかどうかもわからねえのに」


タズトの口の悪さに、ナナヱはむっとした。


「女の子にキモいとか言っちゃえるあたりまだまだ子どもね」


「あ?」


「これでも私、孤児院の最年長よ。悪態陰口何のそのよ」


「何だよそれ、うぜえ。次襲われても助けねぇからな」


「どうぞご自由に!でも道案内だけはきっちり頼んだからね!盗んだ300円分」


「あれはチャラにしただろ!助けてやったんだから」


「そもそも助けてって頼んでないもん!」


「屁理屈こねやがって…!」


「わざわざ300円盗む人に言われたくない!」


「んだとこのガキ…」


「自分だって子どもじゃないの!ター坊!」


「うるせぇ…!!」


口喧嘩をしながら2人はどん底辻を後にした。

そのうるささときたら、バラックを突き抜け、ラウンジのチェリーバニーに届いていた。


「あのふたり、なかよしねぇ」

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