第4話 バアレスク・ラウンジにて

暗がりの向こうで誰かが話し合っている。

ひとりは、低いが物腰柔らかな声。


「やっぱりあんた悪い子ねェ。こんな女の子を囮にするなんて…クズねェ」


「うるせえ黙れ。たかだか300円スられたくらいでくいつくコイツがマヌケなんだ」


もうひとりは聞き覚えのある声。冷たくて優しさの欠片のない声。


「ま、でも連れてきたことには及第点あげるわ。あのまま捨ておいてたら、二度とこの店の敷居を跨がせなかったからね」


「そうすりゃ良かった」


バコン、と殴る音に、「いってえ!」と呻く冷たい声の主。

ナナヱは思わず「ふえ???????」っと起き上がる。


「あ、起きた。ずいぶんねじの巻きが長いのね」


そこは、酒の匂い漂うバーだった。カウンターの前には三本耳の白い細身のバニーガールと、頭を抱える小さな盗っ人。バニーガールの手には凹んだトレー。


「おはよう、そしてようこそ『バアレスク・ラウンジ』へ。甘やか桃髪のお嬢さん。あたしは店主のチェリーバニーよ」


バニーガールは細い腰をくねらせながらナナヱに寄った。左目の、白目にあたる強膜が黒く、瞳がピンクのハートだった。右目は生き物と同じ形の目。まつ毛も左右の色が違って、右が深い黒、左が艶やかな紅だった。白いおかっぱ髪も、裾にピンクの水玉模様が入っている。この世界ではかなり派手な出で立ちだが、個性だろう。何より気になるのは、女性的な物腰でありながら男性の体で男性の声だった。


「オカマウサギ」と少年が的確に言う。


「ター坊の話は無視していいわ」とチェリーバニー。


「ター坊言うな」


ナナヱはもうわけがわからず目をぱちくりさせた。どうやらター坊より親切なチェリーバニーはナナヱの様子を察して、頭を優しく撫でた。


「ごめんなさいねぇ、混乱するわよね。あたしから説明すると、ター坊が気絶したあなたをここに運んできたのよ。あなた、三羽烏に襲われてたそうじゃないの」


「ふえ…?」


ナナヱは間抜けた声が出てしまった。ちびの盗っ人ター坊?確か気絶する前に彼は「たかだか300円で」と言った。


「ケチ臭いバカの300円泥棒!!!!」


ナナヱはこれほどにない暴言が先に出て叫んでしまった。ヒサ先生の言葉を借用してしまったために、ター坊は飲んでいた水を噴き出した。


「なん…だとお前…」


口元を拭きながらぎろりと嵐の瞳で睨むター坊。


「あなたね!ここらで盗っ人をしてるのは!あんなこともうしちゃいけません!」


「うるせえな…人をいの一番にケチだのバカだのいう奴に言われたかねえよ」


「あなたみたいな小さな子が罪を重ねちゃダメって言ってるの!」


「小さかねえ!オレは14歳だ」


「あっごめんなさい」素直に謝るナナヱ。「でも何歳であろうと人からものを盗んじゃダメじゃないの!この世は共生!持ちつ持たれつ!盗んでいいのは先人の知恵!」


「あっはっはっはっ!あんた、おもしろいわねぇ!」


大笑いするチェリーバニーと正直なナナヱにター坊は大きな舌打ちをついた。



ひとまず、チェリーバニーがホットミルクをナナヱにふるまった。ふんわりと甘いミルクで、冷えた体が温まっていく。


「おいしい…チェリーバニーさんはホットミルクを上手に温める天才ね」


「やーん、それくらい誰だってできるのにぃ…褒め上手ねェ。チェリーちゃんって呼んでェ。あ、これサービスねェ」


デレデレになりながらも、チェリーバニーはホットミルクに蜂蜜を追加した。


「ほんと、何事もなくて良かったわァ。三羽烏に捕まった子どもは、ねじを盗られてさらわれちゃうから…」


「やっぱり、人さらいの噂は本当だったの…?」


「噂じゃないわァ。ここ3ヶ月で5件よォ。人さらいの神出鬼没の三羽烏。どん底辻付近で生まれながらのぜんまいを持つ子ども狩りを始めてねェ。ここの辻の子って元より親無し宿無しだから、人さらいにあっても身元がわからないから警察も役に立たなくてねェ。ター坊の弟もやられたのよ。まだ10歳にもならない子だったのに」


「え…っ」


ナナヱはター坊を見た。彼はチェリーバニーに余計な事を言うなと言いたげに強くコップを置いた。

主婦達はちびの盗っ人ター坊自らが囮になって、彼を追ってきた子どもを人さらいに差し出すと言っていた。だが、それは嘘だった。


「じゃあター坊は…私を囮にして三羽烏をおびき出すために、盗みを働いたって事?」


「ご名答」


「弟さんは…」


「…ええ、ヒー坊…ヒイロよ。やんちゃで可愛い子で、ター坊の家族だったわ」


チェリーバニーは悲しげに三本耳をうなだれた。

ター坊は他者を顧みず盗み、巻き込んででも、大切な弟のためにあのいるだけで危険でおぞましい三羽烏をおびき寄せ挑んだのだ。


大切な家族のために…


家族。ナナヱにとっては、孤児院のみんなと先生達こそが家族だ。


ナナヱはター坊の傍に寄ると背筋を伸ばし頭を下げた。


「酷いこと言って本当にごめんなさい。確かに高いお釣りだったね」


突然の謝罪に、ター坊は見向きもしなかったため、チェリーバニーが彼の丸椅子を回した。


「ほら!女の子を危険に晒して謝らせといて、無視だなんてさせないわよ!」


「うるせえ…」不機嫌にター坊は返す。


「いいの、チェリーちゃん。私がしたかった事だから」


椅子をギュルんと回されてター坊はようやくナナヱを見る。

ナナヱのその目は空のように明るく海のように深く青く、ター坊を見つめる。見返りも何も求めない真っ直ぐな瞳だった。


「私、コーコ孤児院のナナヱっていうの。助けてくれてありがとう、ター坊」


にこっと微笑むナナヱ。数時間前まで三羽烏に襲われて恐怖で絶叫していた、普通に弱い女の子とは思えないほどに清々しく、淀みなく、眩しい笑顔だった。


「…ター坊って呼ぶな」


「じゃあ名前教えてよ」


「何で言わなきゃなんねーんだ…」


「言わないならずっとター坊って呼ぶよ?いいの、それで」


目が好奇心でキラキラし出したナナヱ。恩人の名前を知りたい彼女に、鬱陶しげに髪をかきあげるター坊…ではなく。


「…タズト」

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