第3話 三羽烏


うそうそうそうそ、と混乱するナナヱは靴音を鳴らして右往左往した。見渡せば自分が向かおうとしていた路地の向こうからは微かに金属の錆びたにおい。空気が妙に灰色にけぶるように見える。雲だろうか。体が止まれと赤信号を出す。危険を感じていた。

帰ろうと思った時に足が動いていた。


「お帰りかい?お嬢ちゃん」


突然、ねっとりした声がナナヱを呼ぶ。

バサバサとカラスの羽音のようにマントを鳴らしてナナヱの前に現れたのは、異様な風体、闇色の男達。全身黒に纏った3人はみな、顔をすっぽり覆う白黒の仮面を付けていた。


「お帰りの道はこちらじゃないよ」


「我らが送ってあげよう。君の帰るべき家へ」


「三羽烏におまかせを。無事、虹の向こうへ連れて行って差し上げよう」


けけけけ、けたけた、けらけらら、と男達は心のひと欠けらも無い声で笑った。ナナヱの頭は、体は、危険、危険と叫んでいる。主婦達が話していた人さらいの噂が過ぎる。

思わず、ぜんまいを握りしめる。

ナナヱの様子に、カラス男の1人がぴょんぴょん跳ねる。


「ああ、生まれながらのぜんまいだ。正しくみんな持ってる、ひとりひとつ、世界で唯一のぜんまい」


「美しいなぁ。こいつは錆びてない。二次ねじの鈍い銀は飽きた」


「たまらないなぁ。ほしいなぁ」


「そうだなぁ。君を家に送り届けるから、そのぜんまいをおくれな」


「そうだそうだ。おくれなおくれな」


三羽烏は長い足を投げ出して跳ねた。光るものに集るカラスのように。

ナナヱはすっかり怖気付いて、体が動かなくなっていた。三羽烏はマントをバサバサさせて、通り抜ける隙間のないよう囲いながらナナヱににじり寄る。


「な、なに……あなた達…ぜんまいが欲しいの…?」


ナナヱはようやく声を出したが震え切っていた。三羽烏の1人が後ろからナナヱの首を撫でて羽交い締めにする。


「そう。俺たちに生まれながらのぜんまいはない」


ナナヱの首に絡む黒い右の手の甲には、鈍い銀のぜんまいが刺さっていた。ネジ穴もぜんまいも錆びている。ギチ、ガタッと鈍い音を立てて回る。


「だから欲しい。本物のぜんまいを。生まれながらのぜんまいを」


さらにもう1人が左の手の甲の錆びたぜんまいを見せつけながら、ナナヱの頬を撫でる。


「ぴかぴかの、美しい、生まれながらのぜんまいを持って帰れば、それを俺たちのネジ穴に合わせて作り替えてくれる」


最後の1人は鎖骨の真ん中にぜんまいが嵌っていた。

その黒い手がナナヱの胸を撫でて金色のぜんまいに伸びる。


ナナヱはもう声が出なかった。カラスの黒に覆われた視界で仮面が、口を歪ませて笑う。

彼らの手に温もりはない。触れたところから凍りつくようだった。首が、頬が、心臓が冷えていく。

いやだ、いやだと心は叫ぶ。

ナナヱの手の上から、ぜんまいをもぎ取ろうと黒い手がつかんだ。

その力は、ナナヱの手ごと引きちぎるほど強く…


「おくれな、おくれな、君の命の源を」


ナナヱの恐怖が、決壊する。


「いやあぁああっっっ!!!!!!!!」


ナナヱはついに絶叫した。

だがカラス男達は動じず、ナナヱのぜんまいを手ごともぎ取ろうとした。


「怖くない痛くない」


「ぜんまいをくれたらすぐに、虹の向こうの家に送ってあげる」


「君の帰るべき家は、虹の向こうだよ」


けけけけ、けたけた、けらけらら。


三羽烏は楽しく笑う。


けけけけ、けたけた、けらけらら。

けけけけ、けたけた、けらけらら。



「うるせえ」


三羽烏の笑い声を、違う誰かの声が足蹴した。彼らの頭を、踏みつけて。

ふぎゃ、と間抜けな声を出した三羽烏が見渡すと、褐色肌の小さな少年が、すとんと降りて現れた。


「お、おま、お前…」


「邪魔、す、るな」


「この子、ハ、おれ、タチの、も、ノ」


三羽烏の声が、体が、ガクガクと震え、バタバタと倒れた。ギチギチ、ギリリリリ、ゴトンと軋む身体の音。

ナナヱは三羽烏のネジ穴を見た。嵌っていたはずの鈍い銀のぜんまいがない。


「オレのシマを荒らすとこうなるんだ」


少年の指には、いつの間に盗ったのか、彼らの銀のぜんまいがみっつぶら下がっている。

ゴトン、ガタン、ギゴンと、三羽烏は動かなくなり、倒れ伏した。ネジ穴がぼろぼろと崩れていく。


「チッ…クソッタレが」


忌々しげに髪をかきあげる少年は、抜いたみっつのぜんまいを投げ捨て、踏みつける。

ナナヱはへたりこみ、唖然として眺めていた。

褐色肌、目じりをレモン色に縁どって際立つ嵐色の瞳、深い紫の髪を右側だけ長くなびかせて、少年はナナヱを見下ろした。見るからにナナヱより小柄な彼の顔には子どもらしい幼さ、無邪気さがひとかけらも宿っていないかった。けれども、冷ややかさの奥で、何かを探している目だった。


「命を助けてやったんだ。300円にしちゃ、高いお釣りがついたろ?」


噂のちびの盗っ人ター坊だ、とナナヱは確信したが、神経がもう限界だった。

世界が90度回って、ナナヱは意識を失うと同時に、雨が降ってきた。


ガタタン…ゴトトン…


横たわった地面の底からゆっくり近づく汽車の音が体に響いた。

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