第2話 300円の盗っ人



「昼食前に菓子をむさぼるとは…いい度胸だな、ナナヱ」


ドスの効いた声音で、ヒサ先生はナナヱに説教した。

綿あめを満喫して食べ歩いていたナナヱ達は、見つかってはいけないヒサ先生に運悪く見つかってしまったのだった。院長先生の補佐であるヒサ先生は、孤児院の子ども達から恐れられるほど厳格であり、子どもの暴走には暴力をもって制する鬼の精神だった。


「ごめんなさい、ヒサ先生…」


「なぁんのためにあんたに小遣い渡して、街に来てると思うんだい」


「社会勉強のためです…」


「まったく…貯めた小遣い全部はたいて菓子食うバカがいるとは…」


「全部はたいてないですもん。300円は残しましたもん」


「はたいたに等しい!」


ゴンッとナナヱの頭に鉄拳制裁をくわえるヒサ先生。ナナヱはぐぅと悶えた。


「3ヶ月、小遣いはナシ」


「そんなご無体な!」とナナヱは泣きついたがヒサ先生は眉を吊り上げ2度目の鉄拳制裁を加える。

痛がるナナヱにヒサ先生は財布を没収しようと手を出す。


「ほれ、財布を返しな。あんたにはもう持たせておけないから」


「鬼…」


「あ?」


「何でもないです」


慌ててナナヱは言う通りにしようとポケットに手を突っ込むが、残金300円の財布が、ない。


「ふえ???????」


これにはナナヱも驚き困惑した。ポケットの中をひっくり返しても、赤い袖の中も袂にも、財布が見当たらず、焦るナナヱ。


「どうしたんだい?」


「いえ、なんでも…ない…いや、ある、ます…あり???ない????」


「なんだい、もたもたして。さっさと出しな」


「それが…」ナナヱは血の気を引きながら、報告する。「お財布が…ない…です」


「あ?」とヒサ先生の声が1オクターブ低くなる。元々つり目で三白眼の彼女の目が、より鋭く、鬼の形相になる。


「虚偽の申告は、晩飯抜きに値する」


ヒサ先生は、嘘が嫌いであった。院長先生の後ろに隠れていた子ども達が一気に恐怖で縮こまる。


「待って!確かに300円あったの!嘘じゃないよ!」


「なら、どこに消えたってんだい?スられたってのかい?」


スられた。盗られた。奪われた。


「それだ!!」とナナヱは手を打った。


「きっと私から盗った泥棒がいたんですよ!」


「あぁ?こんなガキから300円ぽっちを盗むケチ臭いバカがいるもんかね」


「ところがケチ臭いバカがいたんですよ!」


「こら、2人とも。口が悪い」院長先生はピシッと言う。


ナナヱは肩をすくませるが、負けずに言い返した。


「その泥棒、私が捕まえて、身の潔白を証明しますから!待っててください!」


ナナヱは駆け出した。その速さにヒサ先生の制止が届かないほどに。


「まったく早とちりを…たかだか300円のために…」


ヒサ先生は眉間に指を押し付けた。


「あらまぁ。迷子にならなきゃいいけど」


院長先生はのんきに頬に手を当てた。



大通りの街の角には城郭のようなパラペットの白い精肉店。赤レンガ造りの喫茶店。琥珀色のステンドグラスの珈琲豆専門店。家と家の間に挟まったに細い古書堂。ランタン型の塔を頂く証券会社。帝冠様式並ぶ通りの隅や裏に古ぼけた木造、バラックの小屋。ナナヱは大通りから裏路地へ入り込み、坂や手すりの錆びた階段を降り、昇り、用水路を飛び越え、家と家の間をすり抜けるように走った。

綿あめを子ども達にふるまった記憶を探りながら、そういえばと思い出す。集合場所に帰る途中に誰か子どもとぶつかった。孤児院の子にぶつかったのだろうととっさに謝ったが、みんなきょとんとしていた。その直後にヒサ先生に見つかったためにすっかり忘れてしまっていたが、あの時ぶつかった子どもが、財布を盗んだのだ。


「絶対、取り返すんだから…!」


ヒサ先生からの信頼を取り戻すためにも、ナナヱは出会う人にこの辺で小さな泥棒は居ないかと声をかけた。すると意外にも、情報は手に入った。


八百屋のおかみ「小さな泥棒?ああ、いるよ。スリの常習犯さね」


理髪屋の親父「どこにいるかは知らんな。宿無しだからのう、ああいうのは」


買い物帰りの子ども「あいつ、ぼくみたいな子どもからも盗ってっちゃうんだ。だから財布はポケットじゃなくて、荷物の奥底か、首からかけて服にしまっておくんだよ」


井戸端会議の主婦達「ああ、あのター坊ね。ちびの盗っ人の」


「知ってるんですか?」


有力情報にナナヱは目を輝かせた。


「どん底辻っていう大通りからむっつ向こうの辻がスラムでね、そこを根城にしてるみたいなんだよ。無法者の巣窟だからね、その辻が。お嬢ちゃん、いくらスられたか知らないが、諦めた方がいいよ。人さらいだって当たり前にいるからね。ター坊はそいつらとつるんで、囮をしてるそうだから」


「囮?」


「人さらいのために、子どもを狙ってわざと小銭を盗んで、自分を追ってきた子どもを人さらいの元に引き寄せてるそうなんだよ」


「人さらいにあった子ども達がどうなるか知ってるかい?」


「ぜんまいを奪われて」


「二次ねじで巻かれて」


「他国に売られるんだって」


「噂だけどね」


どきんっとナナヱの胸が不安で高なった。

主婦達の噂は、真実を帯びて聞こえた。


主婦達と別れて、ナナヱは大通りからむっつ向こうのどん底辻を目指して歩いていたが足取りは重い。人さらいは、ター坊という小さな盗っ人に奪われた小銭を追ってきた子どもを狙っている。まさに今、自分がそうではないか。囮を追ってきた生き餌だ。

ぜんまいを奪われて二次ねじを巻かれて売り飛ばされる…

胸に広がる不安にナナヱは自分のぜんまいを握りしめた。想うのは、みんなお揃いのぜんまいを持つ、孤児院の子ども達。家族がいないだけではない孤独を抱える子ども達だ。あのお揃いの銀のぜんまいは、彼らが持って生まれたぜんまいではない。自分のぜんまいを持つナナヱや街の人を見る度、自分達は彼らと違う、と否応なく自覚するのだ。小さな体で現実を突きつけられ、深い孤独を知るのだ。

そんな子ども達に、自分は酷な事をしているとナナヱは胸が締め付けられる。みんなと笑う日々の中で。

だから、自分はみんなの孤独に寄り添いたい。

他にはない、大切な家族だから。

ナナヱは帰らなきゃ、と足を止めた。


「そうだ。たかだか300円、くれてやってもいいじゃないの」


自分を奮起するようにナナヱは言い聞かせた。


「どこかのおチビ盗っ人ター坊!あげるわ、300円!大事に使ってね!」


ふんすっと鼻を鳴らし、踵を返したナナヱ。

だが、そこには見覚えのない裏路地。

大通りから、自分はどこをどう来たっけ?


「ふえ???????もしかして…私…迷子になっちゃっ…た????」

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