第5話

『必要なもの:ドラゴンの涙』

 荒野を一人、かさつく空気をまとい、わたしは立ちすくんでいた。

 発端はある日、ナナが怪我をして帰ってきた。怪我といっても腕の神経を傷めたらしく、目に見えないぶん余計につらそうだった。しばらく家で出来る限りの仕事をすることになったが、如何せん腕が使えないナナは魔法を使うのもつらいらしく、どういう仕組みかわからないが、指を振るだけでも傷みが走るらしい。魔法使い専門のお医者さん曰く、治すには、今ある薬草だけでは足りないとのこと。やや難病なのだろうか。そこで力強く名乗り出たのがわたしである。お医者さんもナナも目をまん丸にして、ナナは怒りと心配が混じったような複雑な顔をしていた。だって、必要なものが何か知らなかったのだ。まさか荒野まで行くことになるとは思いもしなかったのだ。

 ナナに心配されながら、回収キット等が入った頑丈なリュックを背負って家を出ると、なんだか勇者になった気分だ。勇者シャーロット、ドラゴンの涙を手に入れるため、旅に出る。旅じゃないけどね。魔法使いであるお医者さんにはあれこれ危険な場所や休憩地点、勿論ドラゴンの巣を書いたメモを渡され、意気揚々と受け取ったわたしに、お医者さんもナナも呆れたようにため息をついた。出発当日まで心配ごとをちくちく言っていたナナも、もう諦めたらしい。

 ドラゴンを見るのははじめてだ。生き物は大好きなので知識としては知っているが、まさかこんな形で出会えるだなんて。学校は普通の人間の学校だったので、ドラゴンの生態なんて図鑑でしか知らない。ドラゴンの涙がどんな風に作用するのかもしれない。でも、ナナのために頑張りたい。そう、誓った私の前には切り立った崖。さて、どうしようか。

 

 ぜえ、はあ、と己の息遣いが大きく聞こえる。魔法を使いすぎて魔力が少なくなってきた証だ。切り立った崖を階段のようにして頂まで登ってきた。相当な高さだ。それでもドラゴンの巣までは遠い。ここから草木も枯れた平坦な荒野をひたすら歩いていく。よく見ると緩やかな上り坂になっている道は地味につらい。ナナのためならエンヤコラと息を切らせ肺を鳴らしながら歩いていくと、日が暮れてきた。日が暮れる前に寝床を用意しなければ、と思うが体中が痛くて一旦休もうと、道の隅に転がった。そこから、記憶が無い。

 

「ん……まぶし……くない?」

 いつもはナナが容赦なくカーテンを開けるため眩しい朝のはずが、今日はやや日陰がかぶっていて眩しくない。目をこすって、じ、と見つめると、そこにはいつぞや図鑑で見たドラゴンもこちらをじ、と見つめていたのだ。時が止まる。

「……おわああっ!?」

 悲鳴にもならない情けない叫び声にドラゴンも驚いたのか、一歩下がって、しょんぼりとしたように頭を垂れた。知っているドラゴンと違う……。

「あの……あなたが陽射しから守ってくれたのですか?」

 一定の距離を保って声をかけると、ドラゴンは頷いた。ふと冷静になって、しめたものだと思った。ドラゴンがここまで意思疎通が出来るとは知らなかった。もっと凶暴で話の通じない生き物だと思っていた。でも、生き物なんだ。紛れもなく。

 しかし、涙なんてどうやって手に入れればいいのだろうか。泣かせる?どうやって?

 あたふたとしていると置いてけぼりのドラゴンがわたしの肩に立派な爪の大きな手を置いた。

「ヒエッ食べないでくださいいいいい」

『食べないよ』

「へっ?」

 脳内に声が聞こえたまろやかで優しい声だ。質問を、してみる。

「あなたが、喋ったの?」

『うん』

 見た目にそぐわず優しい声だ。縦だけでもわたしの三倍以上はあるだろう。それでも無邪気なドラゴンは『何か探し物?』と首を傾げた。未だ少しだけドキドキしながら「ドラゴンの、涙を」と口に出した途端、ドラゴンは鋭い目に涙を浮かべた。あ!涙だ!くれ!それをくれ!

『ドラゴンの涙は譲れないんだ』

 ずどーん、と大きな石が落ちてきた気分だ。

『役に立てなくてごめんね』

「い!いいえ!でも、あの、どうして譲れないんですか?」

 ナナのために頑張る。わたしは、頑張れる子。そう力を込めた次の瞬間、空が赤く染った。勿論、夕焼けではない。炎だ。火炎放射器レベルの。

『ひとまずこの岩の隙間に隠れて』

 今度は反対側から炎が飛んできた。暑い。非常に暑い。まるで戦じゃないか。

『まるで戦みたいだよね。でも本当に戦なんだよ』

 心がひりひりする。ナナは幾度も戦争を体験しているのであろう。でも、わたしは戦など知らない。戦といって思い浮かぶのは近所の野良猫の喧嘩くらいだ。

『ドラゴンは目が乾くと失明してしまう。だから、簡単に涙は渡せないんだ。ごめんね』

 至極申し訳なさそうに、ドラゴンは頭を垂れた。

「いいえ、大変な時に話してくれてありがとうございます」

『……でも君、まだ諦めてない顔だね』

「はい。大切な人のために頑張りたいんです」

『……それなら』

 と、ドラゴンは考え込むように首を傾げた。何か、策でもあるんだろうか。

『それじゃあ、行ってくるね』

「は、はい」

 ドラゴンの寝床という場所へ向かっていった背中にはいくつもの傷がある。若そうなドラゴンだ。毎日が戦いなんだろう。戻って来る間に、消毒系の応急処置の道具をセットしておいた。帰ってきたドラゴンは酷く消耗していて目は乾き気味だったので、準備していた応急処置セットから消毒液を取り出し背中にぶちまけた。

『いっ!?いっった!?』

 人間用の物でも効くようで、しゅうしゅうと物々しい音を立てて傷は小さくなり始めた。成功だ。

『魔法使いなら魔法でぱぱっと済ませられないの!?』

「手の方が丁寧に出来るんですよ(たぶん)」

 ひいひい言いながらも逃げずに処置を受けるあたり、真面目なんだろう。数十分による処置を終えて両者共々疲れ果てたところで、また頭の上を炎が飛び交った。思わずヒエッと言うとドラゴンは「僕が守るからね」と言い傷だらけの背中で炎の元へ飛んで行った。それから数日、持ってきた食べ物が尽きるまでドラゴンを待った。しかし、訪れることは無かった。行き交う炎が減ったのは幸いで、仕方ない、下山しようとリュックを背負った時、少し離れた丘からキラリと光るものが見えた。なんとなくだが、そこに向かって走り出した。

 一面平坦な荒野にぽつりと佇むような小さな丘に、ドラゴンはいた。生きているのか、生きていないのか、わからない。ただ黄金色の瞳が閉じられた目尻には水滴が溜まっているのに気付いた。横になっているだけかもしれないのに、なんだか泣けてきて、涙がぼろぼろと大粒の雨のように瞳から零れ出した。よく見なくても増えた傷。やっと塞がったような大きな傷もある。弱そうに見えて強く優しいドラゴン。その涙を救えはしない。

『……持って行ってよ』

「え?」

 想像にもしない声が聞こえて涙が止まった。ドラゴンは目を瞑ったままだ。

『きっと僕は君のために生まれたんだ。僕の最後を大切な人に使ってよ、勇者様』

 一度は止まった涙が再び溢れ出す。しゃくり出してしまい、うまく伝えられただろうか。ありがとう。ありがとう。と。

 下山する頃にはドラゴンの声も絶え、キットに入れてからは振り返りもせずまた崖を下り家路へついた。

「おかえりなさい……シャーロット?」

 流石ナナ。目ざとい。リビングにはお医者さんもいて、

「持って帰りました。これで治るんですよね」

 早口で力強く言うわたしに、お医者さんはわたしの頭を撫でながら「先生に任せなさい」と言い、ナナは「よく頑張りましたね」と言うものだから、また涙が出てきてしまい、二人をあたふたと困らせてしまった。

「本当によく頑張りましたね。ありがとう、シャーロット」

 ドラゴンの涙の回収方法は聞かれなかった。優しくて暖かなドラゴン。絵本で見たものとは全然違かった。わたしのために最後に残った視力をくれた。どれだけ力をつければ、恩と温もりを返せるのだろう。長年お世話になっているお医者さんにも、ナナにも、これからどれだけのことを伝えきれるだろう。伝えられたらいい。思っているよりずっと思っていること、いつか、伝わったらいい。

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