第4話
甘い香りが漂うリビング。香りに誘われる虫の如くキッチンを覗くとナナが魔法を使わずにフレンチトーストを焼いていた。いそいそと近付き背中から顔を出してふんふんと匂いを嗅ぐ。うん、いい匂いだ。
「おはようございます、シャーロット」
「おはよう、ナナ。魔法を使わないの、珍しいね」
というと目線だけこちらによこして「たまには良いでしょう」と目だけで笑った。わたしの味覚に合わせた甘い甘いフレンチトーストはナナが焼くと不思議と魔法のように美味しい。外はカリッと香ばしく中はジュワッと甘いミルクの味が口いっぱいに広がる。わたしは魔法を使っても使わなくても料理下手なので、いつもは修行と称して魔法を使っているが、今朝はナナにならって魔法を使わないでみようと思う。棚からコーヒー豆の入った瓶を取り出したはいいが、開かない。いつもナナが管理しているのでナナの力でしか開かなくなっている。うぐぐ、とぷるぷる震えながら瓶の蓋と格闘していると、横から長い腕が伸びてきて、カコッといい音を立てて蓋を開けた。何も言わずに取って返すあたり、流石、モテる……。
「そんなに見つめられたら穴が空いてしまいますよ」
珍しく少し照れているのかもしれない。フライパンの何も無いところをフライ返しでひっかいている。
「お昼はカフェでも行きましょうか」
焼きたてカリカリのフレンチトーストをお皿にうつしながらナナは言った。
「行く!シフォンケーキのお店がいい!」
「はいはい」
今日はお休みの日だ。仕事も、魔法も。
なんだかんだナナとこうして出かけるのも久々な気がする。最近は色んなことがあったせいで、自分のなかの魔力が不安定というか、揺らいでいる気がする。だからナナはお出かけに誘ってくれたのかもしれない。どこまでも気の利く養父に感謝せねばならないな。
朝市ほどではないが賑わう街並みに焼き栗のほっくりとした匂いが漂う。焼き栗屋さんでもあるのだろうか。あれもいいなこれもいいなとショーウィンドウを見ながらたどり着いたカフェは、元々は紅茶専門店であるため、紅茶の種類が豊富だ。ナナは豊富ななかの紅茶を選ぶが、わたしはいつも迷ってしまい、毎月ピックアップされる紅茶から選ぶ。お店に入ると、ピークを過ぎたのか、店員さんが片付けに追われていた。ふとナナを見るとほんの少しだけ眉根を寄せていた。なんだなんだと視線の先を追うと、テーブルに置きっぱなしの新聞の見出し。ああ、まだやっているのかとため息が出る。
『即刻魔法使いは追い出すべきか』
こんなの魔女狩りのようなものだ。今まで魔法使いに助けられていながら、恩に報わない、だから人間は嫌いだ。わたしはナナさえいればいい。片付けていた店員さんがこちらを振り返り、一瞬体を凍りつかせた。このローブのせいだ。前にいたお客さんが魔法使いの話でもしていたのか、空気が変わった。こんなこと、よくある事だが。
「シャーロット、店を変えましょうか。いいですか?」
ナナはご機嫌が斜めになってしまったようだ。
ナナは長く生きていたせいか、魔法使いとしてのプライドが高い。矜恃というか、なんというかそういうのもしっかりしている。いつも穏やかでマイペースなナナを怒らせるなんて、只事じゃない。それだけ、この世は揺れている。やはり発端はあの広場の件だろうか。わたしは新聞は読まないから知らないことが多くて、新郎新婦のどちらが魔法使いだったのかすら知らない。ただ、あの場所にいて感じた違和感。あの張り巡らされたテープのようなものは何かが欠如していた気がする。何かが足りない。欠損した呪い。そこに何かが加わって、呪いは発動した。何かが何かがと考えるだけで頭がパンクしそうだ。たどり着いた珈琲店でパフェを頼んで待っている間もうんうん考え込んでいると、ぷに、と頬に軽い衝撃が走った。
「可愛いお顔が台無しですよ」
くすくす笑うナナを見た瞬間、カチリと「何かが」はまった。魔力だ。呪いが発動したのも、時空が歪んだのも、きっかけは新たな魔力だ。ユニコーンが人型になったのは元々の能力かもしれないが。新たな魔力、と頭に浮かぶと同時に背中をひやりとしたものが伝う。新たな魔力とは、わたしではないのかと。時空の歪みは明らかにわたしが大聖堂の扉を開いたせい、もしくはあの広場へ足を踏み入れたからだ。そして、広場での出来事。たくさんの人間の首が飛んだ呪い。そのスイッチをわたしが押してしまっていたのなら。
「シャーロット」
はた、と思考が止まった。柔らかで落ち着いた声がわたしを宥める。
「私は何があってもあなたの味方ですからね」
キツネのように優しく微笑むナナの呪い。その言葉は呪いだ。ちょうどパフェが来たこともあり、細長いスプーンを手に取り、目の前に座る穏やかな瞳に言う。
「わたし、悪い子になっちゃった」
それにナナはにこりと笑う。何も恐れないといったように。
「私の武勇伝、お聞きになります?」
少し茶目っ気にウインクする姿に、涙が出そうになった。
「警備をしていた頃は治安が悪かったこともあり、まさにちぎっては投げちぎっては投げでしたよ」
ふぅ、と懐かしむナナだが、「ちぎっては投げ」とは。あまり深追いしない方がいいということだろうか。ナナなりの慰めに、少しほっとした。罪は消えないけれど、生きていけない訳では無い。そう、ナナが教えてくれた。
「あなたが悪い人で良かった」
にっこり。それだけが答えだった。
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