寂しくなると猫になる妻

スラ星

寂しがり屋の妻は猫になる。

「にゃ〜ご〜」


「大丈夫だって。ここにいるから」


「にゃ〜……」



 よしよしと真っ黒な猫を膝に乗せて、手触りの良い毛並みを撫でてやれば、その姿形が大きく変わっていく。


 次の瞬間には猫ではなく、そこには全裸姿の妻がぎゅっと抱きついてきていた。



「あなた……!」


「落ち着いたか?」


「え、えぇ。毎回、ごめんなさい。こんな不思議な現象に付き合わせちゃって……」



 この不思議な現象とは何らかのきっかけがあると妻が猫になってしまうということだ。この現象が起こり始めたのは残業で帰る時間が極端に遅くなった日からだ。



「そんなことないって。元はと言えば、早く帰ってこれない俺のせいだから」


「ありがとう……。あ、そうだ。料理冷めちゃってるから温めて一緒に食べよ」


「そうだな」


「ふふっ」



 でも、そうだな。夫婦になって、恥ずかしいことは無くなったのかもしれないが全裸ではしゃぐのは止めて欲しいな。



 **** ****



 温め直しても美味しい妻の手料理を食べ終わると、俺は直ぐに浴室に入る。その後に食器洗いを終えた妻が当然の様に浴室に入ってくる。


 妻が浴槽に入って来ると俺の腕や肩を揉んでくれる。



「あぁ……気持ち良い……」


「いつもありがと、あなた……」


「……俺は良い妻を貰ったよ」

 

「いえ、あなたの頑張りに比べれば私なんて……」


「そう自分を否定するな。立派にやってくれてるよ、感謝してる」


「あなた……」


「「んっ……」」



 浴槽の中でお互いの頑張りを言い合えば、気が高まって俺は愛おしい妻とキスを交わす。


 こうしてくっ付いていられる時間は短いけれど、想いはたくさん積み重なっている。気軽に休みが取れていた時期はよく旅行していた。その時に撮った写真は寝室に飾られている。



「また明日も遅くなる予定だ」


「そ、そう……。頑張ってね?」


「ありがとう」



 そこで会話を終えると妻が悲しそうにしながら浴室を後にした。


 その後ろ姿を見て俺は心が締め付けられずにはいられなかった。



 **** ****



 妻が浴室から出た5分後に浴室を出れば、カゴの中に着替えが入れられていた。それを着て寝室に向かうと扇情的な黒の下着を身に付けた妻が正座してベッドの上で待っていた。



「綺麗だよ」



 そう言いながら俺は妻を優しく押し倒す。



「嬉しい……。でも大丈夫? 明日は遅くなるって……」


「一番大事なのは仕事じゃないからな?」


「そっか。じゃあ今日は……」


「いっぱい可愛がってあげるよ」


「はい……」



 そうして妻を相手に俺は離れていた分を取り戻すように激しく求め合った。



 **** ****



「あなた……おはよう」


「あぁ……おはよう」



 決まった時間にぎゅっと抱きついて、俺の目覚めを促してくれる妻と唇を触れ合わせると体を起こす。昨日というか今日は出すものを出したからか気分がスッキリしている。



「朝ご飯出来てるよ?」


「ありがとう」



 そうして妻は両手を俺に差し出す。



「連れてって?」


「お安い御用だ」



 妻をお姫様抱っこして、リビングに向かえば湯気が立っているご飯と味噌汁、焼き魚がお出迎えしてくれる。妻を椅子に座らせて、その美味しい朝ごはんを食べる。


 食べ終わり、身支度を整えれば出勤する時間だ。


 玄関に向かえば、カバンを持ってきた妻がまたも寂しそうな表情をしているのが目に入る。



「そんな顔するなって、綺麗な顔が台無しだよ」


「でも……んっ」



 笑顔にさせたい一心で俺は妻の口を開かせて舌を触れ合わせる。滅多にしないディープキスに妻の顔は酔いしれていく。



「行ってくる」


「はい……」



 **** ****



 夫が出て行った玄関を見つめながら、鍵が閉まる音を聞けばその場で私はへたり込んだ。ディープキスをした直後にまともに動けない私を知ってのことだ。


 夫は自分でも分かっていない本当に欲しいものを正確に引き当ててくれる。


 仕事で忙しくても本当に私を第一で考えてくれる。ネットなどで調べてみれば仕事の鬱憤を吐き出すように暴力を振るったり、暴言を浴びせるカップルがいるようである。


 だけど夫からは全くその気配はない。それどころかどんどん優しくなっている気がする。


 しかし、私にはその優しさが辛かった。



 **** ****



 夫と結婚する前の学生時代は両親が仕事に追われて、いつも家の中には私だけしかいなかった。一人っ子でもある為に兄や弟、姉や妹はいない。


 友達をよく家に招き入れていたけど、夕方時になれば『またね』と言って帰って行く。仕事で泊まり込みが多い両親だから、私はほとんどの夜を一人で寂しく過ごしていた。


 そんな日々が続く中、通学中、呆然と前を歩いていると一人の他校の男子とぶつかってしまった。



『あ、すみません……』


『大丈夫ですか?』


『大丈夫です。それでは』


『寂しそうですね』


『え……?』



 私はその思い掛けない言葉に足を止める。



『俺……いや、私も同じですから。一人でも大丈夫って思いたいですけど、やっぱり寂しくて辛いですからね。……って、何言ってんだか』


『そう……ですよね。その気持ち良く分かります。この気持ちだけはどうも慣れそうにありません』



 苦笑いを浮かべる私は半端、諦めの気持ちだった。だけど次の彼の言葉で人生が変わった。



『慣れなくても良いんじゃないかな? 辛いことは辛い。我慢なんかしなくて良い。バッティングセンターとか行って全部叩き出しちゃえば良いんです』


『叩き出す……。それはしたことがないので試してみますね』


『そうでしたか。それでは……』


『ありがとうございます……あ、名前……』



 **** ****



 その後、学校での授業を終えた放課後、私は一人、近場のバッティングセンターに行ってみた。友達が部活動で遊べないのも良いきっかけだった。初めて来たものだから辺りを見渡していれば、勧めてきた彼がバッターボックスに立っていた。


 私はその方向に近づいて行き、後ろから眺め始める。


 カキンとバットにボールが当たる音が響く。バットに当たったボールはグングンと進んで行き、ホームランと書かれた的にぶつかった。



『凄い……』


『よっしゃぁぁ。これで昼代が……」



 後ろを振り向いた彼が私を視界に入れると、途端に大人しくなった。



『凄いですね』


『いえ、そんなことはありませんよ』


『ぷふっ……』



 先程まで無邪気に喜んでいた彼が今は猫を被ったように丁寧な言葉を使う。そのギャップに笑わずにはいられなかった。



『普通にしてくれて大丈夫です。私は偉い人じゃありませんから』


『分かった……。それよりもここに来たんだから、勿論……』


『いえ、私は見ているだけで……』



 彼がジト目を向けて来る。私はその視線に耐えることができなかった。



『分かりました。打ちますから』


『そうすると良い。えっと……』


『あぁ、私は──』



 これが私と彼……最愛の夫との出会いだ。



 **** ****



 昔のことを思い浮かべながら、家事をこなしていれば昼過ぎになっていた。買い物ついでに外食をして自宅に戻ればおやつの時間だ。


 晩ご飯の準備をすると休憩がてら、寝室へ行って夫の匂いが染み付いた枕に顔を沈める。



「はわぁ……〜〜」



 この行為は最近、始めたことで夫が側にいない寂しい気持ちが雪解けのように解けていくのだ。


 落ち着く匂いだ。世界で一番好きな匂いである。どうして愛しの人の匂いがこんなにも良い匂いなのか不思議だ。



「あなた……早く帰ってきて……ぐぅ〜……」



 気持ち良すぎて寝てしまった。



 **** ****



 今日は思ったよりも早く会社を出れたし、とっておきの情報もあるから早々に帰宅すれば……寝室で猫になった妻が気持ち良さそうに眠っていた。


 台所に作りかけの料理が置いてあるということは寝室で俺の枕の匂いを嗅いで寝落ちしたのだろう。彼女は昔から俺の匂いを嗅ぐのが好きだったからな。


 このまま寝かしてやっても良いかもしれないが、晩ご飯も作っていない猫の妻には悪戯が必要だ。


 俺は枕を取り上げると、一気にお腹を擽る。



「にゃ! にゃぁぁ!」


「こらこら、俺の晩ご飯はどこにあるんだ」


「みゃ、みゃぁぁぁぁ……」



 相手が俺だと分かると体から力を抜いてされるがままだ。そうして時間が経つ度に妻は姿形を変えて人間に戻った。



「あ、あなた……今日は随分と早かったね」


「それで俺の晩ご飯は?」


「あ、えっと……」


「まぁ、それは良いとして分かったことがある。猫になる現象についてだ」


「え……-?」


「俺は帰るのが遅くて、そのストレスから猫になってしまうと思ってたんだが、全く的を得ていなかった」


「何が原因なの?」


「その俺の枕だ。俺は猫になっているのを寝室でしか見ていない。それに必ずと言っても良いほど、近くには俺の枕がある。昔から俺の匂いを嗅ぐのが好きだったから変ではないな」


「そ、そんなことは……ないよ?」



 凄く、目が泳いでいる。

 自覚があり過ぎて否定できていない。でも、それも今日で・・・終わりだからな。



「明日からはもっとゆっくり起こして良いよ」


「会社は?」


「行かない」


「辞めちゃったの?」



 私のせいでと自分を責め始めようとした妻にネタバラシをする。



「違うよ、正確には自宅で仕事。いつまでかは決まってないけど当分は在宅勤務になった」


「そ、それじゃ、ここにいてくれるの?」


「そうだ」


「私と一緒にお昼ご飯も食べてくれるの?」


「そうだ」


「あなた……あなた!」


「おっと」



 目に涙を浮かべ、ダイブしてきた妻を危なげなく受け止めて抱きしめ合う。妻からの連続キスが微笑ましい。



「だけど、遊べはしないからな?」


「大丈夫。あなたが隣にいてくれさえすれば私は幸せなの。愛しているわ、あなた……」


「やばっ、勃って……」



 むぎゅっと妻が大きくなっていく俺の大事な部分を掴む。



「晩ご飯食べてないけど……今からでもあなたと繋がりたい……」


「止まらないぞ?」


「我慢なんかしなくて良い。全部私の中に出しちゃえば良いの」



 まさか学生時代に俺が言った言葉をほとんど変えて、こんな場所で言ってくるとは思わなかった。



「そこまで言うなら受け止めろよ?」


「勿論」


「今夜は寝かさないからな?」


「それは私のセリフ」


「「んっ……」」



 こうして俺は最愛の妻といつもよりも長く幸せな時間を共に満喫するのだった。

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寂しくなると猫になる妻 スラ星 @kakusura

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