質よりは量

「──それで、“イシバシ”って人が襲ってきてこうなっちゃったんだ。“ユウキ”さんも犠牲になって……」


 彼女は“ショーコ”と名乗った。一方的に事情を説明してきたが、殆ど頭に入らなかった。石橋? 勇気? 日本人らしい名前だけど、どこかイントネーションがおかしい気もする。


「えっと、『ショー』の一族っていう所の末裔……だったよね?」


 犬耳も垂れ下がり落ち込んでいる様子のショーコに優しく話しかける。どうやら他の一族は全員亡くなっていて、ショーコ自身も1年前から狛犬に姿を変えられてしまったらしい。


「うん。ずっとひとりぼっちだったの……優しく触れて、声をかけてくれて、ありがと」


 可愛い声と顔でお礼を言われるのは嬉しい。……でも、正直目の前で起きている事、説明された事がまるで現実とは思えなかった。

 もしやこれから、『世界を救って?』とかなんとか言われて剣と魔法の世界に……?


「いきなりだけど1つお願いして、良い?」


 ほらきた。



「1週間だけ、私の彼氏のフリをして!」

「え?」



 全くもって予想外の告白。いや告白ならまだ良かった。彼氏の『フリ』だ。本物の彼氏じゃない。

 ショーコは慌てている僕に畳み掛ける。


「あぁ、分かりづらかったかな。7日間ね!」

「いやそうじゃなくって、なんでそんな事を?」


 四つん這いの姿勢のまま話しているから、白い和服の中身が見えそうになっている。そんな邪念を僕は必死に抑え、ショーコの澄んだ瞳をしっかりと見つめたまま口と喉を震わせた。


「うーんあのね……あと1週間で私、遠い所に行っちゃうからさ。今まで恋愛とかした事無かったし。それまでの間だけでも良いから、彼氏のフリ……してくれない?」


 崩れかけている台座からショーコはぴょんと飛び降り、2つの足で立つと首を傾げて聞いてきた。いや、本当に可愛い。僕よりも身長は10cmほど低く、学校のどんな女子よりも綺麗で、華奢だ。

 一目惚れしてしまいそうだったが、好意を抱いてはいけない。あくまで彼氏の『フリ』なんだ。事情はよくわからないけど、こんな美少女の頼みを断る訳にはいかない。

 ……課題にはこの事は書かないつもり。というか書けない。


「あぁっ、別に断ってもいいからね?」

「いやいいよ。でも付き合えるのは今の時間帯。日に20分くらいしかないよ」

「だったら良いって事!?」


 髪を揺らしながら顔を近づけてきた。全体的に左に流れている前髪は少しだけ目元に被っているが、それがより美しさを際立たせている。


「まぁ……うん」

「やった! じゃあ今日はなにする?」

「僕も恋愛経験とかないからよく分からないけど、どこかに出かけるとか?」

「あー……ごめん。それはできないんだ」


 持ち上がっていた犬耳が再び垂れ下がる。様子からして嘘ではないだろうし、石にされていたという事実もある。きっと何か問題が。


「私ね、この場所から離れるとまた石になっちゃうの。それに助けてくれた人が離れても石に戻るの……」

「って事は、ここでしか会えないんだ」


 改めて辺りを見回す。神社は既にボロボロで、体重を預けたら倒壊してしまいそう。木々の匂いは心地良いが虫がまとわりついてくるのはうっとおしい。けれど何故かショーコには虫が寄り付いていなかった。


「ごめんね。前に泥棒さんが来た事はあるんだけど、私に驚いて逃げて行っちゃって……」


 お賽銭箱を壊した人物だろうか。バチが当たったと思っておこう。

 ショーコと、彼女の話す内容は正にファンタジー。でも実際に起きた事なのだから嘘ではないはず。石化も魔法の様な何かだけど、ショーコ自身は犬耳が付いているだけで超能力が使える訳でもない。物騒な事はきっと、起きない。多分。


 壊れたお賽銭箱の手前、石の階段に僕達2人は並んで座った。ショーコは手を重ねて太ももの上に乗せていて、やはり行儀が良いと伺える。


「それじゃあ、これから7日間! 学校の事とか、どこかに遊びに行った時の事とか……私に話して?」


 夕日に照らされたその時のショーコの表情は、儚かった。口角は上がっていたが瞳は異常なまでに透き通っている。

“あと1週間で遠い所に行っちゃう”

 遠い所ってどこだ? それにここから離れられないんじゃなかったのか?


 今日は結局、ここに来た経緯と家族構成くらいしか話せなかった。



【1日目】

 10月5日(月曜日) 終了

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