第20話 ベルの問い

 すっかり日が落ち、住宅街に並ぶ家々はオレンジ色に染まっていた。大きな通りを突っ切ると、そこと別の住宅地とを分かつ大きな川が見えてくる。川には大きな橋が架かっていて、橋の下にせり出した原っぱでは小さな子どもたちがそろそろ帰り支度をしようかと、橋を支えるコンクリートの柱の下に並べて置いたリュックを手に取った。その動作は緩慢で、友達とのしばしの別れを惜しんでいるのが、自転車を漕ぎながらその様子を見ていた真城にもよくわかった。

「おいマシュ。スピードが落ちているぞ。しっかり漕げ」

 真城の漕ぐ自転車の本来荷物を括りつけるスペースに腰を下ろすベルは、地面すれすれに浮く長い足を器用に折りたたんで真城の肩をばしばし叩いた。真城はむっとしたが、文句を言おうとするとベルは真城の後頭部に手をかざし鋭利な氷の塊を見せつけてくるので、言われた通りペダルを踏む足に力をこめた。

「魔法はなくても、人は発展していく生き物なんだな」

 ベルは沈む夕日を隠そうとする高い建物の群れに目を細めた。真城の住む街は人口十数万人規模の市だが、街の中心地には背の高いビルがそれなりに群生しており、ベルはその見慣れない光景をアスカルの風景と重ね合わせていた。

「あなたはスズさんを追ってこの世界に来たんですよね」

 眼下の水面にキラキラ反射する夕日が、真城の額を濡らす汗をすり抜けて光らせた。

「ああ。ボスの命令だ」

「連れて帰るのが目的なのに、全身氷漬けにしてましたよね?」

「なかなか捕まらなかったからな。少しカチンときた」

「……短気だ」

 真城はぼそりと言った。

 時空間の裂け目に入り込み、現代にやって来たベルは、身を隠しながらスズを追った。こちらの世界に魔法は存在しないと気付いた彼は、魔法を使うところを人の目に晒さないよう気を付けた。魔法が存在しないことが当たり前の世界でそんな場面を目撃されては、注目を浴び行動が制限されてしまうのは目に見えていた。

「その割に、昼の校舎で氷をぶっ放していませんでしたか?」

「手近な人間に彼を取り押さえさせようと催眠をかけたんだが、奴は無駄にタフだった。もう捕まえられればいいやと思ってな、ははは」

 やっぱり短気だ。魔法の研究者はみんなこうなのだろうか、と真城は思った。

「昨日派手に暴れたのが広まってしまうかと心配していたんだがな」

 冴えない中年警備員がドアを吹き飛ばし突然手から氷を生み出してみせたなんて、言っても誰も信じるわけない。

「まあ奴は取り逃がしたが、こうして思わぬ収穫が得られたからな」

 ベルは長い体をにゅっと伸ばして真城の顔を覗き込んだ。真城は息を荒げつつも、横目でチラとにやついた碧い瞳を確認して、げんなりしたまま視線を戻した。

「でもいいんですか。僕に魔術を教えたりして、敵に協力してるようなものじゃないですか」

「敵ではない。確かに殴りかかりはしたが、お前たちはあくまで研究対象だ。それに、」

 彼を送り出したロロが、いつこちらの世界にやって来るかは分からない。スズの家に生まれた時空間の裂け目は実験の失敗によって生まれた。時空超越が確実に可能かどうか、その信頼性を懸念したロロは、ひとまずベルだけを先行させ、自分は改めて実験を行い、時空超越をしようと考えたはずだ。時空間の裂け目という未知の領域で何が起こるか分からない以上、無理は出来ない。しかし、スズを、彼の家の時空間の裂け目を放っておくわけにはいかなかった。つまり、ベルの扱いはほとんど捨て駒に近かった。

 また、仮にロロが時空超越に成功し、こちらの世界にやって来たとしても、彼の目的はあくまでスズだ。スズさえ手中に収めてしまえば、いつどうなってしまうのか分からない時空間の裂け目の不安定さを考慮した彼が、ベルを回収せず置き去りにさっさと逃げ帰る可能性だって十分あり得る。

「何にせよ、迎えを待つよりこちらから能動的に動いたほうがいい。あいつはボスだが、それはあの白い箱の中での話だ」

 科学者は、自らの好奇心を最優先する。それはベル自身がよく理解していた。

「君はどうだ。自分自身の持つ好奇心に、逆らうことが出来るか?」

 ベルは目の前の真城に問いかけた。しかし真城は目も虚に、普段の倍の重量の自転車を前へと進めることに必死で、全くそれどころではなかった。

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