第16話 雷鳴

 林に囲まれた空地。不敵な笑みを浮かべる黒コートの男は、じりじりとこちらににじり寄ってくる。

「それはスズキトシヒコの魔術書だろう。やつに何か吹き込まれたか」

「お前に教えることなんて何もない」

 ぎろりと相手を睨む。しかし、額を流れる冷や汗は隠せない。

「おしゃべりは一人前のようだが……」

 黒コートはゆらりと右腕を水平に伸ばし、人差し指を僕に向けた。

「いつまでそうしていられるかな」

 途端、僕の足元にざわざわと黒の文字が渦を巻き、妖しい光が僕を包んだ。

 視界に捉えていたはずの黒コートの姿が滲んでいく。体が重い。何かが頭の中に入りこんでくるような感覚があった。

「……何だ……これ……」

「催眠魔法だ。昨日、警備の男にかけたのと同じさ」

 途切れ途切れの意識の向こうで、奴の得意げな声が聞こえた。

 まずい。このままだと……。

 目を閉じて、糸に吊るされた人形を頭の中に想像しようとする。しかし、徐々に体から力が抜けていき、とうとう膝をついてしまった。

「限界のようだな」

 いつの間にか、黒コートは僕の前に立ち、上から見下ろしていた。

「どうやら私の見込み違いだったようだ」

 僕の手からノートがこぼれ落ちる。その声色には、薄れゆく意識の中でも、彼の失望の念がありありと感じられた。

「残念だ」

 男の手元が黒く光り輝く。スズのように、僕を氷漬けにするつもりだろうか。

 息が出来ない。苦しい……。

 ……。




 突如、真城の足元がまばゆく輝きだす。

「何――」

 真城に纏わりついていた紫の霧は吹き飛んだ。息は荒いが、その視線ははっきりと黒コートに定まっていた。

「あ……あぶねー……」

 よろめきつつも、なんとか奴から距離を取る。一方、黒コートの男は感心したように手をたたいた。

「自分にかけられた催眠を解くとは、やるな」

 そう言うと、彼は再び手をかざす。黒コートと僕の間10メートルほどの直線上に黒の刻印が噴き出した。

「いいぞ、もっときみの力を魅せてくれ」

 黒コートの右手が閃光を放つと、鋭利な氷柱が波のように押し寄せてきた。

「そんなのありかよ!」

 迫りくる氷の塊から逃げ回る。氷結魔法は、僕の辿る道を延々と追い回す。黄色い土で埋まったていた空地は、むき出しの氷塊で覆われていった。

「いつまで逃げ回るつもりだ?無駄だぞ」

 奴の言う通り、このままでは疲れ果て、足を止めた瞬間に氷柱が僕を貫いてしまう。この状況をなんとか打開しなければ。

 走りまわりながら、落としたノートを拾い上げる。必死でページをめくる。何か。何か書いていないか。頼むスズさん……。

「うわっ!」

 気を取られていたせいか、地面を覆う氷に足を滑らせた。ノートは投げ出されてしまった。

「終わったな」

 黒コートはつまらなさそうにフンと口を尖らせた。

 いいや、まだだ。一発、目に物見せてやる。

 凍った地面から上体を起こし、駆け回る氷の刃に手のひらを向け、目を閉じる。

 集中しろ。そして思い描く。まっ黒の雲の中に響きわたる雷鳴――。

 真城の手は輝き、それぞれの指先から青白い光が放たれる。雷は連なった氷の中心点を貫き砕いてそのまま突き進み、黒コートの右肩をかすめていった。

 雷鳴魔法。転ぶ直前、スズさんのノートからぎりぎりで読み取ることが出来た。ありがとうスズさん。

 魔法を打ち砕かれた黒コートは呆然と立ち尽くしていたが、しばらくして、唐突に笑いだした。あたりの木木を不気味な声がかき分けていった。

「さすがだ、マシュ。私の目に狂いはなかった。君の才能は本物のようだ」

 黒コートはゆっくりと真城に歩み寄っていった。氷漬けになっていた空地は、いつの間にか元の景色に戻っていた。

 真城は全身を緊張させたまま、片時も彼から視線を外さなかった。一方で黒コートは飄々とした足取りで、警戒心をまるで感じさせない。

「この世界に来た目的など、君の魅力に比べれば全く取るに足らない。あの中年の男など、もはやどうでもいいのだ」

 黒コートが深々と被ったフードを取った。現れたのは、金色の髪の青年だった。

「魔法陣を全く使わずとも、魔素を操るその精度。実に興味深い」

 金髪の男はぐいと真城に鼻先を近づける。真城の顔の筋肉はさらに硬直した。

 黒コートの口元がにやりと歪んだ。

 

 


 

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