第15話 冷たい影

「スズさん、もう出かけていったよ」

 翌日。朝ごはんの支度をしていたおばあちゃんが言った。

 スズさんはあの後履歴書を買いに行った。今日は早速バイトの面接へ行ったみたいだ。

「大丈夫かなぁ、スズさん」

 彼の身を案じつつ、あつあつの味噌汁をすすった。完成した履歴書を見せてもらったが、あの内容で雇ってくれるところがあるのだろうかと、とても心配である。

 しかし。今日、僕は僕でやることがある。

 朝ご飯を食べ終えたら、町はずれの空地に行く。目的はそう、魔法の特訓だ。




『真城くん。君に頼みたいのは、空間移動の魔法。その中での上級魔術、時空超越魔法になる』

 スズさんはテーブルの上に魔術書を開いた。相変わらず、異界の文字列が何を意味しているのか、さっぱり分からなかった。

『時空超越の理論自体は確立されているみたいなんだが、実際に魔術が成功した例はほとんど確認されていない』

 そんな難しい魔法、僕にできるだろうか。とはいえ、スズさんを異世界に送り返すには、やるしかないんだけど。

『術式が記されてるページは、俺が訳しておくよ。俺は魔法が全然使えないから、君に頼りっきりになっちゃって申し訳ないんだけど、任せたよ』

 スズさんはにこりと頼もし気に笑った。




 家からおよそ20分。街中を自転車で駆け抜けていくと、川沿いに人気のない空地がある。

 整備された道を外れ、自転車を押しながら奥へ進んでいく。周りは木々に囲まれているので、手から炎や氷を繰り出そうが人目に付く心配はないだろう。

「ここらへんでいいかな」

 自転車を止めて、鞄から大学ノートを取り出す。中には、例のよれよれの字で、魔法の術式手順が詳しく書きこまれていた。

「えーと、『まずは初歩的な空間系統の魔術に取り組むべし』か」

 空間を操る魔法は、僕が使うことができた治癒魔法や催眠魔法とは、性質が大きく違うらしい。魔法エネルギー、いわゆる魔素を、より精度高く操作する必要があるようだ。

「……とはいってもなぁ」

 そもそも魔素がなんだかよく分からないし。あの時は夢中で魔法を使うことが出来たけど、いざ改めて使おうとなると……。

 でも。

 ノートを見る。スズさんが魔法についてびっしりと説明を書きこんでくれている。スズさんも、異世界に帰るために、こうして懸命に力を貸してくれている。なんならコンビニの面接も受けてくれている。その努力を裏切るわけにはいかないだろう。僕も頑張らなければ。

「私でよければ力を貸そうか?」

 背後から突然の声。おもわず飛び上がってしまう。しかし、その声には聞き覚えがあった。

 いや、その声『に』ではない。その話し方というか、口調に、だ。

「君がマシュか。昨日は世話になったな」

 誰もいなかったはずの空地に響く低い声。後ろを振り返る。

 声の主は、まっ黒のコートに身を包み、フードを深くかぶっていた。

 何だろう。スズを初めて見た時と似た感覚がする。この世界の住人ではない者のいで立ち。普段感じることのない、奇妙な匂い。

 直観が告げていた。間違いない、こいつは、警備員を操っていた人物だ。

「誤算だったぞ。まさか、こちらの世界の人間に、魔法が使えるとは」

 フードから覗く口元が、にやりと歪んだ。 

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