第6話 村人Aがあらわれた どうする▼

「これは前回やった単語だけど、みんな覚えてるか?」

 そう言って先生は黒板にチョークを走らせる。時計を見ると10時20分。教室の中は、まだまだ気だるい睡魔に包まれていた。

 今日の2時限目は古典だ。先生はいつも前回学習した単語の復習から始める。

 いつもどおりの退屈な学校。おそらく、僕意外のクラスメートたちは。

 僕の他にいるだろうか。朝、おばあちゃんを起こしにドアを開けたら、変な服着たおじさんがいて、窓をぶち破り逃走する現場に居合わせた人は。いや、いない。いるわけない。

 登校中も、あの無残に砕け散ったガラスの処理のことで頭がいっぱいだった。僕とおばあちゃん二人で回す家計にとって、手痛い出費になりそうだ。今度あのおじさんに会ったらぶん殴ってやろう。

 朝っぱらから最悪の思いをしたが、実は悪いことばかりではなかった。

 机の中から、苔みたいな色をしたぼろい装丁の本を取り出す。朝、僕の家に不法侵入していたおっさんが置いていったこの本。家で少し中を見たが、面白そうな本だった。こいつで今日は時間を潰せそうだ。

 先生は張り切って参考書の説明を読み上げている。そんなものは右から左である。

 さっそく表紙を開く。朝も見た、全く未知の言語がずらっと並んでいた。当然読めない。

 決して大きくはないサイズのページの中に、びっしり文字が敷き詰められている。それらを図解したであろう絵もふんだんに載っていた。その中には、いわゆる魔法陣のような図も、随所に記載されている。

 これはもしかして、魔法に関する本だろうか。あのおじさん、実は、今流行の異世界転生者だったりして。そうすれば、前触れもなく僕の家に現れたことや、現代日本人とは思えない変わった服装をしていたこと、そして、この不思議な本を持っていたことも、何となく説明できる。

「……いやいや」

 もちろん、何を馬鹿なことを考えているんだ、とも思う。

 が、少なくとも、この退屈な授業を受けているより、そういった非現実的な妄想を膨らませている方が、今の僕は楽しかった。

 夢中でページをめくっていると、よれよれの日本語で書かれた書き込みをみつけた。


『火炎魔法は火傷の恐れがあるのでやめておく』

『雷撃魔法は避雷針になってしまう可能性があるのでやめておく』

『治癒魔法はアローに任せればいいのでやめておく』


「……はぁ?」

 一瞬沸き上がった「魔法」という言葉に対する高揚感。

 しかし、その後に続く情けない文字列に、ふつふつと怒りが湧いてきた。

 なんだあのおっさん。急に人の家に現れて、窓を割って逃げたくせに。魔法のひとつも使えないなんて。がっかりだ。

 雑に本を閉じ、机の中に放り込む。

 今日もいつもどおり、退屈な授業を受けなければならないようだ。ノートを開き、ペンを握る。

 ……しかし、あの本への期待を裏切られたからか、普段以上に勉強に身が入らない。先生の説明も、全く耳に入ってこなかった。

 板書を追うのをあきらめ、窓の外に目をやる。ふと校門のあたりに視線をおとすと、警備員が何者かともみ合っていた。

「なんだあいつ」

 同じくそれを見ていたのか、窓際の席の男子が立ち上がる。

「どうした佐々木」

 先生は板書の手を止める。

「先生、校門に変なヤツがいます」

 先生が窓に駆け寄ると、他の生徒たちも立ち上がり、窓へ張り付いた。

 みんなの注目を集めたそいつは、警備員の頭に拳を振り下ろす。警備員を吹っ飛ばしたそいつは校門を乗り越え、校舎めがけてすっ飛んできた。

「は、あいつヤバくね?」

「不審者じゃん」

「なんか変な服着てるし」

 口々に生徒たちが不安を募らせる。おそらくただひとり、僕はそいつの正体に気が付いていた。

 暴漢の正体は、朝出会ったあのおじさんだった。彼はものすごい速さで疾走し、校内へ突入していった。

 あまりの非日常的な光景に、誰もが声を失った。その静寂を切り裂くように、校内放送が流れる。

『緊急放送です。校内に不審者が侵入しました。全校生徒は、絶対に教室から出ないでください。』

 しばらく間が空いて、それから一気に教室中がザワつきだす。

「まじかよ、こんなことあるのか」

「え、やばい」

「大丈夫かな、めっちゃ怖くない?」

「なんだよあのおっさん、RPGの村人Aみたいな恰好してたじゃん」

「村人wwwww」

「これ休校コースだろ」

 一気に無法地帯と化す教室。古典教師が教壇をばんばん叩き、たしなめようとする。

「静かにしろ、授業中だぞ!」

 たしかに授業中だが、もうそれどころではない。退屈な日々へ突然やって来た非日常に、生徒たちは興奮しきっていた。

 僕は混乱していた。何であの人がここにいるんだ?僕を追ってきた?だとしたら、なぜ僕の居場所が分かったんだ……?

『緊急放送です』

 ふたたび放送が流れた。教室はピタリと息をとめる。

『鈴木真城君、鈴木真城君。至急職員室まで来るように』

 放送が終わる。すると、先ほどとは打って変わって、誰も何も声を発することはなかった。

 ……そりゃそうだ。

 部屋中の視線が僕に向いていた。みんなが、疑問と好奇の目で僕を、鈴木真城を見つめていた。

「鈴木……お呼びだぞ」

 先生は一連の出来事にあっけにとられた様子で、力なく言った。僕は無言のまま立ち上がり、教室を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る