17-2

あいつはきっと、謝ることはしないだろう。

彼女が受けた傷を、そして彼女の容態を。

言葉ではなく実際に目にした時、きっと彼は言葉を失うだろう。

唖然とするのではなく、深い自責の念に苛まれて。

ヴィオラはそう思っていた。


彼女が隠れ家を訪れたのは、手紙が届けられてから間も無くのことだった。


思ったよりぼろい屋敷だ。

一眼見てそう思った。

人によって使われるより、放置された月日の方が長かったのだろう。


外壁を伝うツタ。傾いた屋根。

風雨にさらされ続け、手入れをされることなく風化した壁。

屋敷は金がかかるというが、なるほど、確かにこれらの補修を全て行おうとすると、あっという間に大金が飛んでいくに違いない。


まあ、隠れ家としては上出来か。

あたりには人家はなく、人通りもなく、目立たない。

それに、このボロ具合。

とても人が住んでいるようには見えないだろう。


屋敷の周囲を兵士が巡回している。

ジョナサンの兵士だと、ジムから聞かされている。

屋敷へと近づくヴィオラの姿は、しっかりと彼らの目に止まっていた。


「ジムからの紹介状が、届いているはずなんだけど」


屋敷との距離を取りながら、兵士に言葉をかける。

そうしながらカバンを下ろし、両手を上げ、戦う意思がないことを伝える。


怪訝な顔を見せつつも、兵士は確認のために仲間を屋敷の中へと向かわせた。

そして戻ってきた。

戸惑いと警戒で緊張した顔をして。


間も無くヴィオラは屋敷へと案内された。

他の部屋へと案内されることなく、真っ先にとある部屋へと連れて行かれた。

そこは、カタリナのいる部屋だった。


「ヴィオラさん、ですか」


膝までかけられた布団。

その上にそっと置かれた両手。

両目を幾重にも覆いかくす白い包帯。

病室で見た時と代わり映えのない姿で、彼女はそこにいた。


「ええ、久しぶり」


同じ文句だなと、ヴィオラは心の中で小さくため息をついた。

彼女の傍にはメイドが1人、ドレスを来た女性が1人、それと女兵士待機している。

落ち着いた雰囲気と見た目からして、女性の方はカタリナの母親とみてまず間違いないだろう。


女兵士は兵士たちに視線を送る。

兵士たちは敬礼をすると、部屋を出ていき扉をしめた。


メイドと女兵士の視線がささる。


「彼からの手紙は、届いてるんでしょ」


カタリナはうなずいた。

そして枕元に置いてあった、一通の封筒を見せた。

あの時見た封筒と同じものだった。

折り目を開き、封筒の中から手紙を取り出した。

何度となく目を通したのだろう、手紙の端は指で折れ、シワがついていた。


「貴女が、娘を守ると」


母親らしき女性、ベスはカタリナの肩に手を置きながら、試すような視線をヴィオラに送る。


「ええ、そうです」


「その必要はありません」


女兵士が言った。

大変に遺憾である、と反感の言葉を呟くのに、ぴったりな顔をしながら。


「どこの馬の骨ともわからぬ女に、お嬢様の身を守らせるなど。私は反対です」


「馬の骨、ねぇ」


ヴィオラはほくそ笑んだ。

全くその通りだ、反論の余地はない。


「お嬢様を危険に遭わせた男の紹介など、あてにできるわけがありません」


これもまたその通り。

ヴィオラは壁に背中を預けた。


「第一、この女はサムワンとエリックと共謀していたと聞いています。そんな女をたよるなど……」


「できないわよねぇ、実際」


腕を組みながら、彼女は喉の奥で笑った。


「何がおかしい」


「別に、気に障ったのなら謝るわ」


肩をすくめるヴィオラの視線が、兵士からベスへと写る。

彼女は女兵士の言葉を聞きながらも、じっと、ヴィオラから目を離さなかった。

そして目があった。


「彼女の言っていることは間違いはありません。私はそういう人間だし、人に言えないようなひどいこともやってきた」


「そのひどいことを、ここでもやろうと?」


ベラは毅然とした態度を貫いた。

母親としての使命、騎士の妻としての威厳が彼女をそう振る舞わせているのか。

ただ、カタリナの肩に置かれた手は、彼女の心内をあらわすように、わずかに震えていた。


「そんなんじゃありませんよ、奥方様」


「では、どのような御用で」


「書いてあったはずですよ。あいつからの手紙に」


あいつ、その名で思い浮かぶ男の顔。

どうやらそれは共通の顔であったようだ。

女兵士も、ベスも、皆一様に表情が硬くなる。

ただ1人、カタリナだけは気まずそうに俯いた。


「ええ、存じてます」


「だったら……」


「だからこそ、鵜呑みにするわけにはいかないのです」


カタリナの肩に置かれたベスの手がするりと落ちる。

そして、彼女の両手は拳を作った。


「ジム・フランコは夫にとって大事な存在でした。娘にとっても、恩人だったに違いありません。ですが、彼は夫と娘の信頼を裏切った。娘を傷物にしただけはあきたらず、夫までもその手にかけた。とても、とても許せるものではありません」


握りしめた拳にさらに力が込められる。

震える両手。掌に食い込む指。

表情こそ毅然さを貫いていたが、彼女の肉体からは、これまでの悲しみと、積み重なった怒りが空気として放たれていた。


胸を膨らませ、息を深く吐き出す。

そうすることで、いくぶんか彼女がまとっていた剣呑さが薄らいだ。


「貴女をここへ呼んだのは、娘がどうしてもと言うからであって、本当なら屋敷に入れようなどとは思わなかった」


ベスは扉へと歩み寄り、押し開く。


「お引き取りください。今日、貴女はここを訪れなかった。そういうことにしておきます。さあ、どうかお引き取りを」


返す言葉もない。

取りつく島もない。

ヴィオラはカバンを手に取った。

今日のところは、引き下がる他にないだろう。


「カタリナちゃん」


「はい」


「あいつ、ちゃんと謝った?」


カタリナは答えなかった。

ということは、そういうことなのだろう。


「そっか。……お邪魔しました」


見送りはなかった。

ヴィオラが一歩部屋を出ると、すぐに扉は閉ざされた。

閉じられる間際、彼女はちらりと背後を振り返る。

隙間から見えたのはカタリナの顔だった。


何かを言おうと開かれた口。

伸ばしかけた腕。

広がりかかった手のひら。


まるで人を止めたそうな。

そしてどこか気がひけるような。

自分でもどうしたらいいのか、わからない様子。


ヴィオラは苦笑した。

母親のように突き放してしまえば、そんな顔をせずに済んだろうに。


扉が閉められた。

カバンを片手に、ヴィオラは屋敷を出た。

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