16-6
エリックの眉間に深い谷間ができた。
城の外から聞こえる不吉な音、物騒な気配に彼は静かに警戒する。
何かが起きたのだ。こちらが苦慮させられるような、何かが。
エリックは静かに視線を動かした。その先には、ジョナサンとシモンがいる。
奴らが仕組んだのか。
彼らの顔には、他の貴族たちと同様に困惑が浮かんでいる。
もしも演技をしているのでれば、相当な役者だろう。
本当に何も知らないのだろうか。
賓客たちが顔をそろえる広間。
今はまさに新王の顔見せの最中だった。
困惑する来賓たち、怯え、今にも取り乱しそうな人間もちらほらと見られた。
広間の扉が、乱暴に開かれた。その音と振動が鈍く響く。
兵士がやってきた。
兵士はエリックを見つけると、すぐさま彼の元へやってきた。
悪い報告に違いない。彼は覚悟した。
そして兵士は彼の想像通りのことを口にした。
「襲撃です」
兵士は言った。エリックはもう驚くのをやめた。
疲労も落胆も頭から追い出し、対処に集中する。
「敵の数は」
「単独です、現在正面入り口にて対処しております」
エリックは心の内で安堵した。反
孤独の乱分子、やっかみ目的の自殺志願者。
その程度のであれば、解決するのも時間の問題だ。
「ならば早急に片をつけろ、貴族たちにいらぬ心配をさせるな」
「ですが、敵は相当の手練れでして」
「手練れだろうと相手は一人なのだろう。数で押しつぶせば済む」
「しかし……」
「もういい」
エリックは兵士を押しのける。
その足は兵士の背後、彼が駆け上がってきたであろう広間入り口へと向けられた。
何が起きているのか、自分の目で見て確かめるに限る。
たかが無法者にどうして臆する必要があるのだ。
エリックは内心では兵士を侮蔑した。
何のための訓練だ。
何のためにお前たちがいる。
その鎧と剣は飾りで与えるほど安くはないのだぞ。
開け放たれた扉の先、部屋の外から悲鳴が微かに聞こえてきた。
それはエリックの耳だけではない。
その場に居合わせた、少なくとも扉の近くにいた来賓たちの耳にも届いた。
何か揉め事かね。
来賓の一人が、エリックに歩み寄り尋ねる。
ご心配なく、すぐに片をつけますので。
来賓を制して、彼の足は広間を出た。
長い廊下を進む。聞こえてくる悲鳴の中に、甲高い音色が混じり始めた。
剣と剣、あるいは剣と鎧がぶつかる音。
肉を切り裂く、鈍い音。戦いの気配が近い。
廊下の先には、血溜まりが広がっていた。
何体もの死体、何人もの兵士が一人の男を取り囲む。
失われた片腕、穴だらけの衣服、火傷と傷で覆われた身体。
男をひと目見て、およそ脅威になり得るようなものは感じない。
ましてや、何人もの兵士と死体に囲まれるような男には、到底思なかった。
男がエリックを見た。
瞬間、彼は理解した。そして驚愕した。
あの男が、ジム・フランコがどうしてここにいる。
なぜ、兵士に囲まれ、あまつさえ手にかけているのか。
エリックは困惑した。
そして彼の脳内に、裏切りという言葉が実感と共に広がっていった。
エリックは奥歯を噛み締めた。
これまで放置していた杞憂が、今まさに目の前に、脅威となって現れたというわけだ。
ジムの顔に笑みが浮かんだ。
エリックを嘲笑うように。
そして彼の足は、前へ、エリックの元へ踏み出される。
エリックは踵を返した。
「できるだけ長く、奴をあの場につなぎ止めろ。ここがお前の命の捨て場所だ」
兵士は目を見開いたが、構ってはいられなかった。
すぐに広間にとって返す。
「何か、あったようだが」
広間に戻ると、ジョナサンとシモンが彼を待ち構えていた。
「あなたの仕業ですか」
エリックはジョナサンに尋ねる。
見に覚えがない。それを言葉よりも先に、ジョナサンは表情に表した。
眉間にシワを寄せ、首を傾げる仕草。
物騒な音が、階段下から聞こえてきた。
シモンがエリックの脇を抜けて、階段下を覗き見る。
ジョナサンのもとへ戻り、状況を伝える。
ジョナサンは始めこそ目を見開いたが、納得がいったのか、すぐに平静さを取り戻したようだった。
そして、彼はエリックを見た。
「あいつをうまいこと、操れなかったみたいだな」
ジョナサンはわずかに頬を緩めながら、エリックに言った。
この事態を面白がっているようにも見えた。
エリックに苛立ちが募る。
「どうするつもりなんだ」
「王を直ちに避難させます。このままでは、殿下の御命が危ういですから。あの不届き者は、きっと王の命を狙っている」
「だろうな」
他人事みたいに。エリックは拳を握りしめる。
ジョナサンは頭をかくと、エリックを仰ぎ見ながら、
「避難は俺に任せてくれ」
と平然と言った。
エリックは顔をしかめる。
「どういうおつもりです」
「国家に属する人間として、当然のことをしようってだけさ」
ジョナサンは肩を竦める。
「お前にはあの
シモンヘ同意を求めると、彼女は苦笑混じりにうなずいた。
どうやら、彼は自分の退路を断とうとしているのだ。
エリックは気づいた。
エリックも軍人の端くれ。
国家と国民への守護と奉仕の精神は十分にあると、彼自身自負している。
ただ、それは己の命と願望の次に重要というだけで。
軍人としての職務を全うし、頃合いを見て、自分もこの場から去っておく。
犠牲はおそらく出るだろうが、この混乱だ。
王の命さえ守っておけば、あとはどうとでも取り繕えるだろう。
エリックはそう考えていた。
ジョナサンのこの、気まぐれさえなければ。
人の耳目が多すぎる。
否定をすれば、貴族たちに余計な不信感を与えかねない。
かといって、むざむざとこの場で命を落とすつもりはない。
エリックは言葉を失った。
彼が何かを言う前に、ジョナサンの手が打ち鳴らされる。
困惑する貴族たちの顔が、強張った使用人たちの顔が、不安げな新王の顔が、ジョナサンへと向けられる。
「大変恐縮ではありますが、ただいまより皆様にはこの場からの御避難をお願いいたします。とう城は現在、愚かな不届き者の襲撃に遭っております。間も無くこのエリック指揮する騎士たちによって、鎮圧されることとなりますが、万が一のことがございます。不肖ジョナサン・ビルゲートとこのシモンが皆さんを安全な場所へとご案内いたします。騒がず焦らず、ついてきていただきたい。よろしいですな」
貴族たちと王は困惑しながらも、静かにうなずいた。
「頑張れよ」
ジョナサンの手が、エリックの肩を叩く。
体裁だけの言葉
彼の仕草、彼の顔には、エリックに対する励ましなど込められていなかった。
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