16-5
二の腕から先のない腕を、ジムは恨めしげに見下ろした。
血は流れ続け、痛みは際限なく彼を襲う。
何という不覚、何という慢心。
彼は自信を呪い、サムワンを呪った。
焼け焦げたコートの端をナイフで切り取り、腕にあてがう。
痛みがひどくなった。
歯を食いしばり、傷口を包み込むようにしながら、きつく二の腕を縛りつける。
血の流れが途切れてきた。
これでいくらかは、ましになったはずだ。
そうでなくても、彼はそう思うことにした。
街まで戻り、目的を果たすまででいい。
それまで体がもてば、十分だ。
馬車は街への帰途についていた。
行きの時よりも、ずっと早かった。
手綱を握る御者の背中が見えた。
ちらりとも、ジムに視線を向けようとしない。
前を見たまま、ただ己の職務を全うしようと努めている。
それとも、ただ単に彼を恐れているだけかもしれないが。
窓の外を見た。
空と草原、動かぬ景色が後方へと過ぎていく。
手足に力を入れる。
指は動いた。
足は重く、ちょっと動くのも億劫に感じた。
だが、動いてくれた。
体はまだ、ジムの支配下にいてくれている。
都は今、祭りの最中だろうか。
市民たちの喜びと少なからずの不満の声の中、サムワン達が生み出した見せかけの王が誕生する。
ジョナサンもその場にいるのだろうか。
彼は無事でいてくれただろうか。
ああ、だめだ。眠い。
ジムの思考が散漫になる。
彼の意識が朦朧とする。
少し眠ろう。少し、ほんの少しだけ。
ジムはまぶたを下ろした。
眠りを恐ろしく感じた。
初めての経験ではない。
まだ起きられる。
ジムは確信していた。
まだ、大丈夫だ。
束の間の眠り。
次に目覚めた時、馬車はその歩みを止めていた。
「着きましたよ」
御者の声が安堵の吐息とともに聞こえた。
薄目を開ける。御者の軽蔑の眼差しが、彼に向けられていた。
さっさと降りてくれ。彼は目で訴えていた。
両手を支えにして、ジムは腰をあげた。
馬車を降りると、立ちくらみが彼を襲った。
血を流しすぎたのだ。
危うく転げそうになるのを、両足を踏ん張って堪えた。
御者は彼を助けようとはしなかった。
憂さを晴らすように手綱を振るい、馬車共々彼の前から去っていった。
ジムは歩き出した。
城の周囲には、すでに人だかりができていた。
ジムは前を見た。城はすぐそこである。
城の前には広場がある。
城の二階には広場を見下ろせるバルコニーがある。
新たな王はそこから、市民たちに顔を見せる予定だった。
王がすでに現れていたとすれば、ここまでの人が残っているはずがない。
まだなのだ。急がねばならない。
深く息を吸い込む。
鉄の味が、口の中に広がっていく。
長く息を吐く。思考を覆っていた疲労が、束の間消え失せた。
人だかりを押し除けながら、彼は前に進む。
彼に背中を押された、あるいは押しのけられた市民たちが、反感を込めてジムを睨んだ。
そして、目を疑った。
焼け焦げた服。ただれた肌。失われた腕。
明らかな重体の男。
眼光だけは鋭い、動く死体。
ジムに対する戸惑いが、市民の思考を覆う。
1人、また1人とジムは市民を押し退け進んでいく。
ざわめきは水面のように広がった。
彼の背中に刺さる視線が増えていった。
城と市民の間には、兵士が間隔を開けて警戒に当たっていた。
ジムは市民越しに兵士と対面した。
鉄の鎧を身につけ、腰紐には剣が吊り下げられている。
玄関へと続く階段にも、それぞれの段に2人ずつ、階段を挟むようにして立っていた。
警備は厳重である。
兵士がジムに気がついた。
つま先から頭までを視線で検めると、表情が強張った。
仲間たちに視線を送った。
正面とさらに左右から、ジムの元へ歩みよってくる。
ジムは目の前にいた市民を押し出した。
市民はつんのめり、正面にいた兵士の胸に倒れかかる。
兵士はとっさに両手を差し出し、市民を受け止めた。
瞬間、ジムは素早く兵士の腰に手を伸ばした。
剣の柄を掴み、鞘からするりと抜き取った。
兵士は目を見開いた。
受け止めた市民を脇に投げ飛ばす。
強かに体を打ちつけた市民は、両手を支えに体を持ち上げ、振り返った。
兵士と自分を押したであろうジムに対して、一言いってやろうと思ったに違いない。
顔には怒りが浮かんでいた。
しかし、彼の怒りはすぐに冷めることになった。
振り下ろされる剣。切り裂かれる兵士の首。
吹き出した鮮血が市民の顔を濡らす。
時が止まったような静寂。一瞬の呆然。
兵士が崩れ落ち、鎧が擦れあう鈍い音が聞こえた。
その場に居合わせた市民たちが、ようやく状況を理解した。
静寂をつんざく女の悲鳴。混乱が市民たちを追い立てる。
ジムを避けるように、我先にと逃げ出す市民たち。
ジムはその様を横目で見ながら、血に濡れた剣を払った。
石畳に血飛沫が飛び散る。
血溜まりに倒れる兵士。それを見てすぐさま駆け寄ってくる、彼の仲間たち。
手には剣を握り、ジムに対する敵意をその目に滾らせている。
ジムは階段を見上げた。
玄関の大扉を、その先にいるであろう王と、エリックと、彼らを取り巻くいく人もの兵士たちを思った。
道のりは長く、険しい。
ジムは感触を確かめるように、剣の柄を強く握りしめる。
兵士が雄叫びをあげた。
仲間たちを鼓舞するように、自らを奮い立たせるために。
雄叫びを合図に、兵士たちがジムに襲いかかる。
ジムは短く息を吐き、進むべき道へ、その足を踏み出した。
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