16-4
小さくなっていく街を、サムワンは眺めていた。
石畳はすでに土に変わり、揺れるシートは振動を増していく。
馬車はどこに向かうのだろう。
サムワンはジムを、自分に向けられたナイフを見た。
彼のその狂気は、これから行く場所で、解き放たれるのだろうか。
森へと差し掛かる。
緩やかな坂道を昇っていく。
木立が馬車を見下ろし、揺れる木の葉の影が車体に落ちている。
馬車は速度を緩め、やがて停まった。
「降りてください」
身をかがめながらジムは立ち上がり、馬車の戸を押し開く。
木漏れ日と陽気に温められた風が、途端に馬車の床を照らした。
ジムは先に馬車を降り、戸をささえ、サムワンを待った。
今日ほど腰が重く感じたことはなかった。
まるで、罪人にでもなった気分だった。
サムワンは深くため息をつくと、両手で支えを作り、立ち上がる。
外に足を踏み出してみると、ジムが顎をしゃくった。
サムワンが目を向けると、茂みを裂くように伸びた小道を見つけた。
長らく放置されているらしく、道を挟む雑草の背は高く、落ちる影によって小道の色は黒々としている。
「ここで待っていてくれ。すぐに済む」
ジムは御者に声をかけ、ナイフをサムワンの背中に突きつけた。
すぐに済む、か。サムワンは口の中で、ジムの言葉を噛み締めるように、繰り返した。すぐに済む、すぐに済む。
小道にはいくつかの足跡が残されていた。
獣のものもあれば、人間のものと思われるものまで。
ジムの迷いない足取りをみると、その足跡の中に、彼のものも混じっているのだろう。
道は単純だった。一度も折れることなく、真っ直ぐに進んでいく。
その間、2人は一言として口にしなかった。喋ることもなければ、その必要をどちらも感じなかった。
ジムはサムワンの後頭部を見つめ、サムワンは軽く俯き、踏み消されていく足跡たちを眺め続けた。
道の終わりには地面に造られた穴があった。
人1人が横たわれるほどの、縦長の穴である。
それは、自然にできたものではなく、人の手によって、地面を荒く抉り取った形跡があった。
その証拠に、窪みの脇には積み重なった土の山があり、頂にはスコップが突き刺さっている。ジムの足はそこで止まり、サムワンは立ち止まったまま、その窪みを見下ろした。
「これが、私の墓穴か」
サムワンはポツリと言った。
その穴に横たわる自分の死体を、ありありと想像できた。
ジムに土をかけられ、自然の中へと埋没していく自分を、死を、想像できた。
サムワンは暗い土気色の穴から、上を見た。
枝葉の合間から木漏れ日が差し込んでいた。
これから作り上げるはずだった国の姿。
手にできるはずだった富と権力。
今日という日を皮切りに築き上げられるはずだった幻想を、サムワンは脳裏に見た。そして、ため息とともに吐き出した。
冷たい現実が目の前に横たわり、死が彼の背後からやってくる。
ジムが動く気配。
ゆっくりと持ち上がった腕が、サムワンの首へと伸びる。
手首が伸び、その手に握られたナイフが、サムワンの首へ向けられる。
怖気がサムワンの背筋を、ゆっくりと撫でる。
ジムの手にかけられてきた、数多の人間たち。
彼らもきっと、この居心地の悪さを覚えていたに違いない。
「またすぐに会えるさ。なぁ、ジム」
サムワンは肩越しに彼を見た。
ジムの眉根が、わずかながらに跳ねるのを見た。
不可解げに、あるいは不審げに。
ジムは視線を鋭くさせた。
そうすることでサムワンの発言の真意を、推し量れるとでも思っているようだ。
だが、ついにジムは真意を読み解くことはできなかった。呆れるようにため息をつき、止めていた腕を動かす。
サムワンは息を吸った。
膨らむ首筋、冷たい感触。
サムワンは首筋をなぞる刃を感じた。
痛みを、感じた。
冷たい血が傷口より垂れ落ち、衣服を赤く彩る。
サムワンは息を吐いた。体が重い。
膝が崩れ、あの穴が近くに見えた。
背中にあたる硬い感触。
ジムの靴底だった。ジムはサムワンの背中を蹴って、彼を穴の中へと落とした。
生者に対する態度ではない。ジムの中ではサムワンは、すでに死者として扱われていた。
口に土が入り、不快感がジャリジャリと音を立てて広がっていく。
あら難い眠気で、まぶたが重くなっていく。
残りわずかな力を振り絞り、サムワンは仰向けになった。
そしてポケットに手を入れ、ジムを見た。
穴の傍にある土の山。
そこに足を向けたジムは、頂点に刺さったスコップを手に取り、土をサムワンの体にかけていく。土が重なり、サムワンの体が意識と共に、暗い土の中へ沈んでいく。
ジムと目が合った。サムワンは笑った。
口角から血が漏れ出し、唇を濡らしていく。
震える腕を動かし、サムワンはポケットから球体を取り出した。
掌にすっぽりとおさまる、黒い金属の塊だった。
表面は艶やかで、球体の中心には丸い突起が付いている。
ジムの表情に緊張が走った。
サムワンの手に握られた金属の正体を、彼は知っていたのだ。
サムワンは破顔した。
口を開き、乾いた哄笑の声が、森の中に響き渡る。
ジムのその顔。
驚きと緊張で強張った彼の表情は、サムワンに満足を与えた。
人生の終幕の光景としては、悪くはない。
わずかに残った生への執着へ、彼は諦観の年と共に決着をつけた。
サムワンはわずかに力んだ指の腹で、彼は球体の突起を押し込んだ。
ジムは手を伸ばすが、それを嘲笑うかのように、衝撃と熱とが彼の手と体を飲み込んだ。
爆発は森の静寂を破り、御者の耳に届けられた。
ぎょっとして体を硬らせた御者は、すぐさま首を回し、音の方向を見た。
焼けたような、煤けた匂いが鼻をついた。
空へと登る黒い煙。
それを追うように、慌てて飛び立っていく小鳥たち。
不安がる馬たちが、落ち着きなく足を動かし、弱々しくいなないた。
何かがあったのだ。
御者の心がざわめいた。
手綱を握る手に力が入る。
逃げてしまおうか。逃れ難い誘惑が、彼の手と思考を急き立てる。
これ以上、あの危険な男に付き合う必要がどこにある。
逃走の決断へ、御者が片足を突っ込もうとした時、彼の目は森の奥からやってくる人影を見た。
あの男だ。御者は思った。
仕事を終えて、戻ってきたのだ。
だが様子がおかしい。
左右に揺れながら歩くその様は、まるで亡霊だ。
怖気が、御者の背筋をなぞる。人影は煙を背負っていた。いや、身体中から煙を立たせている。
彼が近づいてくるにつれて、焦げたような匂いが御者の鼻をくすぐった。
彼から漂ってくるのだ。なぜかはわからなかった。
彼の姿を、御者がはっきりと見るまでは。木陰から日の元へとやってきた彼を見て、御者は小さな悲鳴をこぼした。
あまりに、無残な姿である。
衣服ははだけ、その下から覗くただれた肌。
片腕は弾け飛んだのか、断面からは肉と骨が見え、たえず血が流れ出ている。
顔は原型を止めないほど、ひどい火傷をおっていた。
それがジム・フランコであるとは、到底思えなかった。
「いくぞ」
喉の奥底から漏れ出たような、かすれた低い声。その目つき、その口調。身につけたわずかな服の断片から、御者はようやく彼をジム・フランコであると認めた。
「い、行くって、どこへ」
ジムが御者の方へ向かってくる。
御者の足は自然と、ジムに道を譲った。
彼は馬車に這い上がるように昇り、座席に腰を沈めた。
「都、街へ戻る」
そうと言ったきり、ジムは目をつむり動かなくなった。
御者は迷った。このままこの男を置いて行こう。
あの様子じゃいつ死んでもおかしくない。
放って置いたって、どうせわかりはしないはずだ。
「早くしろ」
御者はびくりとした。
ジムのまぶたが開き、彼の視線が御者に突き刺さる。
「すぐに、はい、すぐに」
御者は弾かれるよう足を動かした。
御者台に乗り込み、手綱を握りしめる。
今にもあふれてきそうな涙を袖でぬぐい、半ば投げやりぎみに、手綱を振るった。
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