13-4
馬車の中でフィリップと交わした会話。その内容をヴィオラに明かした時、彼女の顔はあからさまに歪んだ。もちろん、安堵や好機といった肯定的なものではない。それはフィリップを侮蔑するようでもあり、勝手をのたまう彼に対する怒りをあらわにするようでもあった。
その根底には、俺への心配があったのかも知れない。が、他人の勘ぐりで一喜一憂するほど、俺ももう若くはない。だが、とにかく、彼女の機嫌が損なわれたのは、間違いなかった。
「勝手な奴ね、あのフィリップって男は」
「人間は自分のためでしか動けない。そうでないとすれば、その人間はもはや人間をやめている」
「何よそれ」
「フィリップの受け売りだ。奴は間違ったことをしたかもしれないが、あいつの言葉には一応納得できる」
何が正しく、何が間違っているのか。
人の一生に置いて明確に存在する定義は、もしかすればないのかも知れない。
法律という人間の都合で考え出した線引きはあるが、あれは人間の価値判断を定義するものではない。
あれに照らし合わせて判断できるほど、人間は単純な生き物ではない。
有史以来、面々と練り上げてきた思考は、そう簡単に分別できるものではない。
ヴィオラは俺に対する呆れを、隠そうともしなかった。長々とため息をつき、白々しそうに目を細める。
「あいつの肩を持つわけ」
「単に納得しただけだ。あいつがやったことを許すつもりはない」
「どうかしらね」
ヴィオラは苦笑を浮かべながら、肩をすくめた。
俺の信頼は、すっかり地に落ちてしまっているようだ。
茶化し半分の大げさな態度とも取れたが、そのうち半分は本年が混じっているような気がした。
俺はベッドに腰を下ろし、窓から空を見上げた。
晴天。白雲流れる、青々とした空。
小鳥たちが空を渡り、どこかを目指して忙しく飛んでいく。
長閑な空気だった。
この場所の立地のせいか、周囲に喧騒はなく、自然の音色だけが聞こえてくる。
俺の頭を支配していた、心配と焦りはヴィオラの声で沈静化した。
そして長閑な光景によって、冷静さを取り戻しつつある。
今やるべきこと、そしてこれからやるべきこと。
思考の中にとっ散らかった問題を精査し、順序立てる。
体は思うようにはいかないが、幸運にも思考に費やす力は十分にあった。
「でも、まさかカタリナが捕まるとはね」
「なんとかしなければならないが、この体ではどうしようもない」
「さっきは飛び出そうとしてたじゃないの」
「……取り乱していたんだ。二度としない」
ばつが悪いことが、彼女は手にとるようにわかっただろう。
ヴィオラは得意げに、そして悪戯っぽく頬を歪める。
その顔を見て、俺はまた居心地が悪くなった。
「ジョナサンには連絡するんでしょ。彼女の親なんだし、立場を利用して手伝ってくれるかも」
娘のためとなれば、ジョナサンも協力するだろう。
非情さと冷酷さをいつも以上に発揮して、すぐにカタリナを見つけ出そうとするはずだ。
「連絡をとれるのか」
「
ヴィオラは肩をすくめると、すくと立ち上がった。
「食べ物でも買ってくるわ。大人しくしてなさいよ」
手をひらひらと振りながら、彼女は部屋を出て行った。
だが、思ったよりも早く部屋に戻ってきた。
半開きになったドアから、ヴィオラの顔が覗く。
そして意外そうな顔をして、俺を見つめてきた。
「噂をすれば、よ」
といって、彼女はドアを開き、まるで誰かを招き入れるように、横に退いた。
「よっ、元気にしてるか」
驚いた。姿を現したのは、件のジョナサンだった。
気兼ねない様子で手を挙げて、部屋に入ってくる。
「そのなりじゃ、元気とは言えないか」
ベッドの脇までくると、ヴィオラが座っていた椅子に腰を下ろす。
ジョナサンの背後から、鎧を身に付けた兵士が2人やってくる。
護衛のようだ。部屋に入るなり、部屋の隅や物陰に視線を巡らせている。
「どうして、ここに」
「たまたま近くに寄ったんでな。ついでに、お前の具合を確かめてやろうと思ったんだ」
「よく言うわよ。毎日毎日、確認に来てたくせに」
兵士の背後からヴィオラが腕を組みつつやってくる。
ジョナサンは首を動かすと、彼女を見て苦笑した。
「まあ、なんだ。今日きたのは本当にたまたまだ」
頬をかきながら、ジョナサンは言った。
どこか言い訳がましく聞こえたが、その点をつくとジョナサンはきっと、嫌な顔をするだろう。
そしてその感覚を否定すべく、数々の言葉を並べ立てるに違いない。
起きたばかりで、彼の長話に付き合うほど、体力が戻っていない。
無理はしない方がいいだろう。
「あのお嬢さんには感謝しておけよ。彼女がここに担ぎ込んでくれなきゃ、おっ死んじ待ってもおかしくなったんだからな」
俺の耳に顔を寄せると、ジョナサンは小声で言う。
その光景を、ヴィオラは怪訝そうに眺めている。
大層な中身があるわけではないが、けれど外見だけを見れば、さも秘密のやりとりをしているように見えるかもしれない。
「フローラさんから聞きました。なんでも夜更に担ぎ込んできたとか」
「だろうな。森からどんだけ急いでも、それぐらいはかかるだろう」
「森にいたのですか」
「別件でパトロールしてたんでな。すぐ動けたんだ。まさか街の近くで爆発音を聴くとは、思ってもなかったが」
前屈みになった体を戻し、ジョナサンは鼻から息をつく。
「で、だ。起き抜けに悪いが、お前らには話を聞かなくちゃならない」
「それが目的ですね」
「もちろん、お前の見舞いもかねてるがな。お前が起きるまでは話さないって、お前の彼女は口を閉ざしちまってたからな」
ジョナサンは肩越しに背後に目をやり、嫌味たらしくヴィオラを見上げる。ヴィオラは肩をすくめると、作り笑みを浮かべてそっぽを向いた。
「これでようやく仕事に当たれるってわけだ。口を動かすぐらいの体力はあるんだろ?」
それくらいの余力はまだある。
俺が頷くと、ジョナサンは指で兵士たちに合図を送る。
1人の兵士がメモ帳とペンを取り出した。書記のつもりだろう。
一言でも聞き逃さないように、兵士は目を光らせ、耳をそばたてる。
「まずはどうしてあの森に行ったのかだ。順を追って聞かせてくれ」
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