13-2
長い夢を見た気がした。どこまでも続く黒。その中に混ざり、散りばめられる鮮やかな赤。形になるでもなく、集まるわけでもなく。赤は黒の中で踊り、周囲をたゆたっていく。
夢というのは記憶が作り出した、何かしらの光景なのだという。
自分で見て聞いたものが記憶として蓄積され、夢という形で、無意識の中で混ざり、幻影になると。
その夢が何の意味があったのだろうか。
それは俺にもわからなかった。
まぶたの裏に投影された映像。
それがいつの間にか消え去り、記憶の中に混ざり、溶けていく。
次にやってきたのは、生々しい感覚だった。
光、熱、寒気、そして人の手の感触。
まぶたを閉じていることがわかった。
いつもなら難なく開くのに、どういうわけか開かない。
しつこく絡んだつたのように、まつ毛が絡まっているようなのだ。
眉間に力を入れ、まぶたを引き剥がす。
視界が開けてきた。焦点が次第に定まっていく。
白い天井。格子柄で傘のついたランプが吊り下げられている。
右手には窓があり、風にあおられたカーテンが視界に入ってくる。
どこかの部屋だということはわかった。
どうして自分がここにいるのか。どうやって運ばれてきたのか。
そこまでの検討はつかなかった。
左手を誰かに握られている。
目を動かすと、女の頭が見えた。
ヴィオラの頭だ。彼女は俺の手を握ったまま、ベッドに突っ伏していた。
彼女の背中は時折、ゆったりと上下していた。
どうやら、眠っているらしかった。
ドアが開く音がした。
首を動かすと、飛び込んできたのは白い布を貼った仕切りだ。
足音が仕切りの向こうから聞こえてくる。
姿を見せたのは、白衣を肩にかけた女性だった。
白衣のポケットに手を突っ込み、丸いメガネの奥に藍色の鋭い瞳が光っている。
赤茶けた長い茶髪。
片手には湯気の立ったカップを。
もう片方にはカルテを持っていた。
香りからして、コーヒーだろう。
彼女はカップに口をつけながら、カルテをじっと見つめていた。
「ああ、目が覚めたんですね。お加減はどうです」
顔を上げると、俺と目があった。
そして意外そうに、女性は言った。
「ここは」
「街の診療所ですよ。フローラ・キッド。ここの医師です。よろしく」
フローラは気怠げに名を名乗ると、ベッドの脇に立った。
ベッドチェストにカルテを置くと、ヴィオラを起こさないように、彼女の手の下からするりと俺の手を抜き取る。
ヴィオラは起きなかった。
フローラは安堵のため息をついた。
俺の腕をとると、フローラは手首を掴んで脈をとる。
「脈拍は問題なし。服をはだけてもらえますか」
言われるがまま、俺は上着のボタンを外した。
いつの間にか、病院でよく見る患者服を着せられている。
眠っている間に、着替えられたようだ。
ボタンをはずし終えて、上着をはだける。
驚いた。体の至る所に縫い付けられたような跡がつけられた。
まるで継ぎ接ぎの化物だ。
「傷跡も、開いている様子はありませんね」
フローラは俺の体を見て、表情一つかえなかった。
彼女は首に下げた聴診器を、胸に当てる。
冷たい円形の金属が、俺の鳩尾に優しく触れた。
イアピースを耳にはめて、まるで音楽を楽しむように、フローラは目を伏せて相槌を打った。
「術後の経過は、良好のようですね」
そう呟くと、聴診器を離して胸のポケットに金属部をしまった。
耳につけたイアピースを首にかけると、俺を安堵させようとしたのか、優しい笑みを浮かべた。
「自分はどのくらいここに」
シャツのボタンを止めながら、俺は部屋の中を見渡した。
淡い緑の壁紙。
仕切りを挟んで2つのベッドが俺の足元に並んでいる。どちらも無人だった。
フローラの背後にもしきりがある。
おそらくその向こう側にも、もう一つベッドがあるのだろう。
ベッドチェストの上には、一輪挿しの花瓶が置かれていた。
紫色の花。花弁が大きく開き、中心から赤い綿毛が顔を覗かせている。
フローラはカルテを手に取ると、ペンを走らせた。
「ちょうど5日目になりますね」
「5日、ですか」
「ええ。ずっと寝通しでしたから、びっくりするでしょうけど」
フローラは苦笑し、同情の眼差しを向けてくる。
5日。容赦のない時間の経過に、俺は狼狽した。
そして、焦りを感じた。
「カタリナ様……!』
毛布をめくり上げ、勢いよく立ち上がる。
いや、そうしようとした。
だが、俺の足腰は俺を支えるだけの力はなかった。
膝が崩れ、体が前のめりに倒れていく。
両手をついて体を支える。それだけで、腕が軋んだ。
「ご無理はなさらない方がいいですよ。病み上がりなんですから」
フローラの声に哀れみが込められている。
ベッドを支えにして、体を起こす。
腕がフルフルと震えた。
窓の出っ張りを掴み、立ち上がる。
窓に自分の姿が映り込んだ。
これが、俺か。
げっそりとこけた頬。
窪んだ目。
筋肉が落ち、ほっそりとした腕。
これが自分だとは到底思えなかった。
だが間違いなく俺だった。
動揺も目の動きも、窓に写った俺は俺と同じように動いている。
「ジム、起きたのね」
首を動かすと、ヴィオラが目をこすりながら体を起こしていた。
「では、私はこれで。くれぐれも安静にしているように。それと、彼女には感謝をしてください。ここへ担ぎ込んでくれたのは、彼女なんですから」
フローラはヴィオラの肩を叩き、微笑みを俺に向ける。
静かにベッドを離れ、部屋を後にする。
残された俺とヴィオラは、ただ見つめ合った。
何をいうでもなく、何を話すでもない。
ただ視線をかわし、やがて彼女はふっと柔らかく笑った。
「心配かけさせないでよ。馬鹿」
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