十三章

13-1

 カタリナが連れてこられたのは、ぼろいアパートだった。

 大昔に作られた水路跡のすぐ近く。

 ひっそりとたたずむ木造2階建ての、横長の建物だ。


 外付けの鉄階段はサビに覆われ、2階の通路には所々穴が空いている。

 男たちに案内されたのは、幸いにも1階の部屋だった。

 あんな危ない通路を男たちが通れば、間違いなく床が抜ける。

 その危険がありありと想像できた。

 2階の部屋に人気がないのは、おそらく同じ考えの人間が多かったからだろう。


 数段しかない低い階段を上がる。

 狭いコンクリートの通路を進み、建物の端まで来た。

 元から鍵がかかっていないのか。男たちは平然とノブを掴むと、ドアは抵抗なく開かれた。


 狭い部屋だ。

 短い廊下の先に、フローリングの部屋がある。

 ベッド以外に家具と呼べるものはない。

 長い間ほったらかしになっていたのか、部屋中に綿埃が溜まっている。

 部屋に漂うカビの匂いに、カタリナは顔をしかめた。


「ここにいろ」


 男たちは冷たくあしらうように、カタリナに言った。

 彼女を部屋の中に突き飛ばす。

 つんのめりながら、どうにか体勢を取ると、カタリナは背後を見た。

 男たちはあざけるように不適に笑みをこぼしている。


「見張ってろ。ボスに連絡してくる」


 男の1人が仲間に言添え、1人部屋を出て行った。

 残された男は彼の背中を見送ると、玄関に前に腰を据えた。


 部屋には窓はなかった。

 四方を囲む壁。西側の壁の上部に換気口がある以外に、人が出入りできそうな場所は、あの玄関しかない。

 

 見張りの男は、カタリナに背中を向けて、タバコをふかしている。

 油断というなら、今を置いて他にない。

 あとは、使えそうなものがあるかどうか。


 油断をしているといっても、カタリナの力だけでは、男をどうにかすることはできない。非力な彼女にとって効率という意味でも、補助という意味でも。道具やそれに類する何かの力は欠かすことができない。


 部屋をぐるりと見渡す。家具のない部屋。目につくのは、やはりベッドだ。

 ベッドに座るふりをして、ベッドに近くにいく。

 カビの生えたシーツ。その上に湿った毛布と枕が乗っかっている。

 シーツの端をつまみ、軽く引っ張ってみる。

 劣化して汚れてはいるが、引いても破れそうな気配はない。


 これは使えそうだ。

 カタリナは男の方を確認する。

 男は相変わらず、退屈そうにタバコをふかしている。

 彼女が何をやろうが、知ったことではない。

 油断と彼女に対する無関心が、彼の背中から感じられた。


 カタリナはシーツを剥がして、床に置いた。

 物音で男が彼女を見た。


「汚かったから」


 彼女が言うと、男は「大人しくしていろ」と言うだけで、顔をしかめて前を見た。

 ほっと息をつきつつ、彼女はシーツを雑巾を絞るように、きつくねじった。

 歪な縄ができると、端と端をそれぞれ両手に巻きつける。


 手ごろな長さに調節し、彼女は深く息を擦った。

 覚悟がカビの匂いで汚される。

 不快な匂いに鼻を曲げながら、カタリナは男の背中を見た。


 適切なタイミング。適切な攻撃。

 ジムと戦った時の、あのひりついた緊張が蘇る。

 足音を忍ばせ、ゆっくりと廊下を進む。

 

 足音に気づいた男の顔が、ゆっくりと振り返ってきた。

 その瞬間、カタリナは脱兎の如く、男の背後に駆け寄った。

 手早く男の首にシーツを巻き付け、持ち手を交差させる。

 そして男に背を向けて、荷物を背負うような形で、肩を軸にしてシーツを引っ張る。


 男の首をシーツは捉え、カタリナの力のままに締め上げる。

 男はわずかに腰を浮かせる。そうはさせまいと、カタリナはさらに引っ張る。

 呻き声がやんだのは、それからわずかに数秒たった時だ。

 シーツから感じた、どすんと増た重み。

 するりと力をぬくと、シーツもろとも男が床に倒れていく。


 男は泡を吹き、痙れんをしていた。

 不思議と、可哀想とは思わなかった。

 彼らから受けた暴力、拘束、拉致。

 見に受けた彼らからの不当の扱いが、彼女の心から同情をなくしていたのかもしれない。


 カタリナは男を跨ぐと、一目散に部屋をでた。

 男の仲間が、まだ帰ってきていない。

 とにかく遠くへ。男たちに見つからない場所へ行かなければ。


 右も左もわからない、不慣れな通り。

 そこに立ち尽くしたカタリナは、闇に逃げるように走り出した。

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