12-9
その爆発は、闇を討ち払った。
その爆発は、馬を飲み込んだ。
その爆発は、馬車をいともたやすく吹き飛ばした。
ヴィオラはその爆発を、目の当たりにした。
フィリップへの苛立ちのせいで、冷静さをかいた。
その自負があったために、彼女は1人馬車を離れていた。
溜飲が下がり、そろそろ馬車へと戻ろうとした矢先。
まさか、馬車が吹き飛ぶなどとは思っても見なかった。
彼女の足元に破片が飛んできた。
燻った火がヴィオラの足元をほのかに照らし出す。
ヴィオラは破片を踏み潰し、馬車へとかけた。
ひどい有様だ。
2頭の馬はどちらも瀕死。後ろ足が吹き飛び、前足がピクピクと震えている。
胴体からはみ出た肉と臓物が、燃える馬車に照らされて、艶かしく光っていた。
馬車の荷台は全壊だ。
残骸には肉片がこびりつき、衣服らしき布切れがひっかかり、ひらひらとはためていていた。
「ジム」
ヴィオラは視線を巡らせる。
馬車に乗っていたジムの姿を探して。
彼の無事を願って。
ジムは確かにいた。だが、無事とは言えなかった。
馬車の後方。ちょうどヴィオラが走ってきた方向の茂みに、彼はひっそりと倒れていた。
走り戻った時には影になっていて、気づかなかった。
一抹の不安が過ぎる。
彼はもう、死んでいるのではないか。
不安を忘れるため、そして取り除くために。
彼女はごくりと唾を飲みながら、ジムのもとへ歩み寄る。
無事とは、言えなかった。
衣服の下から見え隠れする傷、火傷。
身体中に破片が突き刺さり、黒々とした赤が滲み出している。
だが、彼は生きていた。
虫の息だが、彼の胸は上下し、口からは血と共に息が吐き出されている。
「しっかりして」
ヴィオラは声をかけた。
だが、返事はない。
弱々しい視線をヴィオラに向け、何をいうでもなく口を動かす。
出てくるのは血と、今にも途切れそうな吐息だけだった。
「くそっ……」
このままではジムは死ぬ。
彼女は視線を巡らせたが、目につくのは木と草と茂み。
とても彼の命を助けるような代物は見つからない。
ここへくるまでに、民家は愚か集落の一つすらなかった。
もしかすれば木こり小屋の一つでもあるかもしれないが、医療が受けられるわけではない。彼に必要なものは医者であり、無人の小屋ではないのだ。
だか、ここでじっとしていてもラチは開かない。
ヴィオラは、覚悟を決めた。
「面倒ばっかりかけないでよ。もう」
彼の衣服と自分の服の袖をナイフで破き、ジムの腕を足にきつく巻きつける。
簡単な止血だが、しないよりましだろう。
そして彼女はジムを背負った。
鍛えているため、彼女も人並みよりかは力はある。
しかし、死に体の男1人を背負うのは、体にこたえた。
膝がきしみ、太腿にやけに力がこもる。
どうにか体勢を保つと、車輪の跡を辿って、彼女は森の中を進み始める。
耳にかかるジムの吐息は、相変わらず弱かった。
血の匂いが、いやに鼻についた。
「眠るんじゃないわよ。絶対、寝たらだめよ」
脂汗をかきながら、足を動かすヴィオラ。
たとえ返答がなくとも、彼女はジムに言葉をかけ続ける。
彼が
「おいて、いけ」
ジムが言葉を絞り出した。
彼はまだ生きている証拠だった。
だが、彼の提案はヴィオラには、到底許容できるものではなかった。
「バカ言うんじゃないわよ。置いていけるわけないでしょ」
「ただの、足手まといだ。構わず、置いていけ」
「いやよ」
「見捨てることくらい、お前にだって、できるだろ」
「私を見捨てたみたいに?」
ヴィオラは鼻で笑った。
「あんたと同じにしないで。私は、あんたとは違う」
「……この、バカが」
「うるさいわね。けが人はけが人らしく、大人しくしてなさいよ」
車輪の跡が森を貫き、外へと向かって伸びている。
どれだけの時間を要したかはわからない。
が、ひとまずは森の出口が見えてきた。
雲間から月が顔を出し、出口の闇をうっすらと青く染め上げる。
「まだ生きてるわよね」
森を出ても、街まではしばらくかかるだろう。
ジムは、押し黙っていた。
吐息も先ほどまでと比べて、だいぶ弱々しくなっている。
あまり時間はなさそうだ。
両腕に力を込めて、もう一度ジムを背負い直す。
やるしかない。そう心に決めた時だ。
彼女の背中に、ずしりと重みを感じた。
「……冗談でしょ」
背中に感じたのは、明らかな死の重みだ。
指をジムの口に持っていくと、吐息を感じなかった。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと……!」
急いで背中から下ろし、仰向けに地面に寝かせる。
両手でジムの胸を連続して圧迫する。
それから彼の顎を上げて気道を確保。
口を重ね、人工呼吸を行う。
ジムの唇は、ひどくいてついていた。
死人と生者の境目。
どうかまだ連れて行ってくれるな。
ヴィオラは念じながら、口を離した。
再度ジムの胸を圧迫。
心音を確かめると、わずかに鼓動が蘇ってくる。
だが喜んでもいられない。急いで医者にかけなければならない。
ジムを背負い、急いで森を出る。
森を出れば後は簡単だ。
砂利道沿いに、真っ直ぐに街へと向かうだけ。
問題はそれまでの間に、ジムの体が持つかどうか。
不安と心配を力でごまかし、彼女は前だけを向いた。
額から流れ落ちる汗。
それを拭っていると、目の前から6人の人影がやってきた。
明かりは持っていない。
闇の中に姿を隠すように、黒い衣服を身につけている。
彼らの手には、怪しく光る刃が握られている。
「後詰ってこと」
爆発で殺せなかった分を、ここで殺す。
あの爆発が目印になったか、それとも最初からずっとつけていたかは知らないが、面倒なことこの上ない。
ジムを下ろす間も無く、彼らはヴィオラを取り囲む。
逃げる場所はもはやない。腹をくくり、腰にさしたナイフを握る。
共倒れも覚悟。だが、3人は殺してから死んでやる。
6人がじりじりとにじり寄る。囲いがどんどんと狭まっていく。
いよいよくるか。ヴィオラが身構えた、その時だ。
遠くから、土を蹴立てて何かがやってきた。
馬の足音。地響きのようなその大きな音は、次第にヴィオラたちのもとへ近づいてくる。
道の先。ランタンをぶら下げた何かたちが、やってくる。
身構えたのは敵も同じだった。
その地響きは、彼らの仲間ではないのかもしれない。
第三の伏兵かと思った矢先。一本の矢が、6人の男の1人の喉を貫いた。
矢を握りながら倒れていく男。
そして、次の瞬間にはさらに2人の男が、矢の餌食になった。
散り散りになって森の中へ姿を眩ませる男たち。
彼らに代わってやってきたのは、鎧を着た騎士たちだ。
彼らの先頭の馬には、見覚えのある顔が乗っていた。
「できるだけ生け捕りにしろ。殺してもかまわんが、最低1人は連行してこい」
馬上からジョナサン・ビルゲートが部下たちに指示を出す。
彼の部下は男たちを追って、森の中を進んでいった。
「お前、ジムの女か」
馬を降りた彼は、ヴィオラの前に立って、珍しそうに彼女を見た。
「そのバカ、まだ生きてんのか」
視線を逸らし、ジムを見る。
「一応はね。さっき心臓が止まりかけたけど」
「そうかい、そいつは何よりだ。……話は後から聞く。そいつを医者に連れてってくれ」
馬を回せ、怪我人だ。
ジョナサンの指示に、すぐさま1頭の馬が用意される。
「急げよ。くれぐれも死なせてやるな」
ジョナサンは哀れみを込めた慈愛の目を、ジムに向ける。
ヴィオラは黙ったままうなずき、馬に乗り込む。
ロープでしっかりとジムを固定すると、馬の腹を蹴り、闇を駆け抜けた。
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