12-2
昼を少し過ぎたくらいに、シモンの部屋のドアが叩かれた。
惰眠を貪っていた彼女は、その柔らかなノックの音に意識を覚ます。
うんと背筋を伸ばす。ベッドから立ち上がり、玄関へと重い足を向かわせる。
寝癖のついた髪をかいて、さらにモジャモジャにしながら、
「誰」
と面倒臭そうにドアに言った。
「私です」
その可憐な声から、すぐに誰がきたか思い当たった。
そして、やはり面倒だったと半ば後悔した。
「まって、いま開けるわ」
ため息をつきつつも、ドアの施錠を解いて押し開く。
通路に立っていたのは、シモンの想像通りの顔。
カタリナは両手を腹の前で組んで、軽く会釈をした。
「ジムはいないわよ」
通路の窓から日差しが入り込んでいる。
外の明かりにシモンは目を細めながら、遠慮なくそう言ってやった。
どうせカタリナは、そのことで自分を訪ねてきた。
それがわかり切っていたために、彼女はあけすけにいってのけた。
これ以上ない回答に、カタリナの顔が曇った。
「そうですか」
カタリナは俯いたまま、残念そうに言った。
「いくらきても同じよ。彼はもう、ここに来ることはないわ」
シモンの言葉はナイフのごとく、カタリナの心をえぐった。
それも無意識ではなく、彼女は故意にそうしたのだ。
たとえカタリナに恨まれようとも、全然構わない。
彼女が諦めてくれることこそが、シモンの生活のためにも、心の平穏のためにも必要だった。
が、カタリナはそれでいて、ジョナサンの娘だった。
わずかな狼狽のあと、クッと奥歯を噛み締めて、シモンを睨みつける。
父親譲りの真の強さ。強情さ。
彼の血はしっかりと、彼女にも流れているのだと、シモンは思った。
「ジムが来たら、教えてください」
カタリナは深く頭を下げ、通路を引き返して行った。
階段を下っていく彼女を見届け、シモンは肩を落とす。
髪をかきむしりながら、面倒臭そうにため息を溢す。
「諦めなさいよ。もう」
呆れと、それに比例する感心。
もっとも、その感心もあまり良い意味のものではなかったが。
ドアノブを掴み、部屋に入る。苛立ち紛れに、乱暴にドアを閉める。
「行ったのか」
聞きたくもない男の声。
顔を向けると、部屋の奥から、ジム・フランコがシモンを見つめていた。
シモンは嘘をついていた。ジムは彼女の部屋にいた。
それもつい先日。夜更に突然押しかけてきたのだ。
「ええ。せっかくだから、会えばよかったのに」
そうすれば、いちいちカタリナの相手をせずに済む。
シモンは肩をすくめながら、キッチンへと向かう。
流しの横に置いたカゴに、果物が積まれている。
彼女はそこから黄色の色づいた梨を手に取った。軽く水で洗い、皮付きのままかじりつく。
「彼女を巻き込むわけにはいかない」
「彼女はもう、片足を突っ込んでるわよ。それが両足になろうと、同じことじゃないの」
「片足で済んでいるうちに、泥沼から引いてもらうんだ。俺たちと一緒に沈む必要はない」
「私は沈んでいいってわけ」
「俺を逃すと言うのなら、別に手を引いてくれて構わないが」
「冗談言わないでよ」
愚問と言いたげに、ゴミ箱目掛けて梨の皮を吐き出した。
ジムをみすみす逃す? そんなバカなことを許すわけがない。
「で、あの女はどうしたのよ」
「ヴィオラか」
「そう、あんたの元恋人」
ジムの顔が不愉快そうに歪んだ。それを見て、シモンはほくそ笑んだ。
そんな彼女の顔を見て、ジムは深いため息をついた。
彼女の冗談に付き合ってしまった自分に、心から呆れているようだった。
「今は別の場所にいる。詳しくは言えないが、元気でやっている」
「そうなの」
シモンはつまらなそうにいった。
正直、ヴィオラが生きていようが死んでいようが、どちらでもよかった。
偶然彼女の顔が思い浮かんだために、尋ねてみたに過ぎない。
だからといって、無関心とも言えなかった。
彼女にはある種仲間意識のような。
同じバカに付き合う同類としての共感を、シモンは密かに覚えていたからだ。
「で、用は済んだのかしら」
彼は何もシモンに挨拶するために、やってきたわけではない。
彼女の部屋に残した、ジムとヴィオラ、それにドミニクの痕跡を消しにきたのだ。
シモンの記憶以外に、ジムと彼女の関係を他人に知られないための措置だった。
「
証拠を消すのなら、彼女の口も封じておく必要はある。
彼女がどれだけ約束をしようとも、口は思いも寄らない形で開くことがある。
もちろん、その危険を考えるなら、シモンとて油断はならない。
だが、彼女とカタリナのそれに対する自制の経験の差。訓練の差を比較すれば。
その可能性が高いのは、カタリナであることは間違いはなかった。
「彼女が知っているのは、ヴィオラと俺がこの部屋にいた時のことまでだ。俺たちがこれから何をして、どこに行くかまではわかっていない。せいぜい、ここへ押しかけてきて、あなたを襲って洗いざらい吐かせようとするだけだ」
「さっきから私が蔑ろにされている気がするんだけど」
「自分の身を守る術くらい、知っているだろ」
ジムは床に落ちた髪の毛を、器用にピンセットで拾い上げる。
長い髪の毛だ。シモンのものではない。
おそらくはヴィオラが残した。彼女の残り香だろう。
細いその髪を、ジムは袋の中に入れた。
「信頼してくれてありがたいけど、少しは私の身も心配してくれてもいいんじゃないの」
「俺を殺そうという人間にかける心配は、生憎と持ち合わせていない」
「冷たいのね。で、お片付けは終わったの」
「ああ。あらかた済ませた」
シーツの乱れを手袋をはめた手で、さっと伸ばす。
毛髪。それにわずかに残った血痕を拭った布。
それらをひとまとめにした袋を、彼は片手に持っている。
「また連絡する。それまでは、いつも通り過ごしてくれ」
「けが人は連れてこないでよ。私は医者じゃないし、いいかげん部屋を血で汚されるのは嫌だから」
ジムはくすりともせずに、彼女の前を通って玄関へと向かう。
言質もなければ、保証もしない。
シモンは苦笑しながら、ジムの背中を見送った。
「ヴィオラには、よろしく言っておいて」
よろしくを言い合うような仲でもあるまい。
ジムは目を細め、不可解そうに眉をひそめる。
シモンは肩をすくめると、芯だけになった梨を、ゴミ箱の中に投げ捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます