十二章
12-1
学園の休みが明けてから、一ヶ月と数日。
ようやくドミニク校長が学校に顔を出した。
包帯と湿布。それに疲労を蓄えた色の悪い顔と共に。
「私がいない間、何もなかったかい」
その時の教師の顔と言ったら。
あなたにだけは言われたくはないと、苦笑と困惑の両方を込めて、これまでにな苦笑を浮かべていた。
だが、彼が帰ってきてなお、ジム・フランコは姿を表さなかった。
数日経っても、数週間経っても。
ドミニクは彼のことには、一切触れようとしなかった。
まるで彼を腫れ物として扱うようだった。
シモンのところにも顔を出したが、ジムの姿はない。
ヴィオラ共に家を出てから、とんと音沙汰がないと、シモンは肩をすくめて教えてくれた。
だが、彼女は何かを知っている。
そうは思ったが、シモンは何も話さないだろう。
カタリナがシモンの正体をバラすと脅したとして、彼女は姿をくらますだけ。
みすみす情報源を失うだけで、カタリナには何も得することはなかった。
カタリナは、不安だった。
彼がずっと帰ってこないのではないか。
いい知れない予感が、彼女の頭をついてまわった。
「彼が貴方を助けたんじゃないんですか」
不安による予感。それがカタリナを突き動かした。
校長室へとやってきた彼女は、この数週間何度も尋ねた質問をドミニクへ投げた。
ドミニクはため息をつく。
同じ答えを用意し、同情の眼差しと共に彼女に送った。
「ああ、そうだ。だが、彼があれからどこに行ったのかは、私も知らない。残念だがな」
「先生は、彼をみすみす逃したんですか」
「逃したのではない。彼は正式に辞めていったのだ。もう、ここにはいられないとね」
回転するソファが、キィと音を立てる。
留め金の部品が、おかしくなっているのかもしれない。
「後で油をささなければ」
ポツリと呟いたドミニクは、腰を上げる。
「彼のことはもう忘れることだ。カタリナ君」
「忘れる?」
「その方が君のためにもなる。彼のことを思い続けても、彼が帰ってくることは、もうないのだから」
どうしてどう言い切れるんだ。
カタリナは立ち向かうように、視線を強くする。
ドミニクの哀れみはますます強まっていく。
「私にできることはもうないんだよ、カタリナ君。そして君も、普通の学生に戻る時がきたんだ。今までのことは、全て夢だと思ってくれ。悪い、夢なのだと」
「……失礼します」
カタリナは失望の眼差しをドミニクに向ける。踵を返すと、乱暴にドアを開閉し、部屋を出た。
廊下を進んでいくうちに、苛立ちがだんだんと弱まっていく。
先ほどドミニクに向けてしまった態度。
それに彼女は激しい羞恥と嫌悪、それに後悔が彼女の心を苛んだ。
彼は何も間違ったことは言っていない。
ジムには血が付きまとう。
ドミニクがそうだったように、ヴィオラがそうだったように。
ジムに関わり続ければ、いつ何時カタリナが致傷沙汰に巻き込まれるともわからないのだ。
カタリナは校舎を出ていた。
今日は休日だ。学園内には人気がなく、閑散としている。
彼女はその足で、裏手にある宿舎へと向かった。
ひっそりとした玄関を潜り、見慣れた廊下を進む。
ジムの部屋の前に立つと、ノックをする。
返答はない。ドアノブをひねると、ドアは抵抗なく開かれた。
中は無人だった。
ジムは愚か、同居人の庭師の姿もない。
ジムがひょっこり戻っているのではないか。
そんな考えが頭をよぎったが、現実の前に無残にもかき消された。
ドアを閉めた後、カタリナは重い足取りで宿舎を後にする。
宿舎を出たからといって、いくあてはなかった。
ブラブラとさまよう気にもなれず、カタリナは噴水前のベンチに腰を落ち着かせた。
日光に当てられて、噴水のしぶきが輝いている。
晴天。気持ちの良い日光が、庭の樹木と噴水の輪郭をくっきりと表している。
庭師のジムは、そこにはいなかった。
彼はついに、庭師の職を辞してどこかで暮らしている。
いや、息を潜めているに違いない。
ジムの考えていることはわからないが、しようとしていることはわかる。
誰かを殺すのだ。誰に言われたからではなく、自分の意思でその手を血で汚す。
1羽の小鳥が噴水の足元に降りてきた。
そして噴水の淵に飛び乗り、波を立てる水面に足をつける。
体を震わせて水を巻き込み、体を洗い始める。
小さな水しぶき。
体に水をまとうと、小鳥はクチバシで羽の毛をつくろいはじめる。
カタリナには、もはやするべきことは残されていない。
部外者。その立場は、もはや覆ることはないのだ。
自分の立場は当然のことだし、カタリナ自身もよく理解している。
しかし、理解と気持ちは時として折り合いがつかない。
心が、ジムの消失を受け入れてくれない。
約束したじゃないか。どうして勝手に消えたりしたんだ。
子供っぽいわがままが、カタリナの頭に残り続ける。
その約束は今や何の意味もないものだ。
だがそれを忘れずに抱え込んでいるのだから、カタリナはまだ子供と言えるのかもしれない。
小石を拾い上げて、カタリナは放り上げる。
地上から解放された石は、吸い寄せられるように落下。
噴水の水面へ、ぽちゃんと音を立てて飛び込んだ。
その拍子に小鳥が驚き、水をしたらせながら、何処かへと飛び立っていった。
もう一度、シモンの元を尋ねよう。
それでも何もわからなかったら、
ジョナサンもジムの行方を知りたいだろうし、迷惑でも聞くだけの時間は取ってくれるかもしれない。
カタリナは腰を上げて、校門へと向かった。
ジムの存在を忘れるには、もう少し時間がかかりそうだ。
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